NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/15


徳島 地蔵寺 Tokushima Jizou-ji 

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 四国霊場第5番札所である地蔵寺(じぞうじ)は、弘仁一二(821)年、嵯峨天皇の勅願により、弘法大師が開創したと伝えられている。
 地蔵寺はかつては阿波・讃岐・伊予の三力国に三〇〇あまりの末寺を持つ大寺であったが、天正年間(1573~1592)の兵火によって殆んどが焼失し、大師堂と御影堂だけが残った。境内は約四万平方キロメートルに及ぶ広大なものである。
 奥の院の羅漢堂には、等身大の羅漢像が三〇〇体余りも並び、さまざまな表情をした像は「木像」の五百羅漢としては珍しく、日本最大級のものとされている。
 地元の人から「羅漢さん」の名で 親しまれているこのお寺の境内には樹齢八〇〇年の大銀杏があり、「たらちね銀杏」とも呼ばれ親しまれている。
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熊谷寺 Kumatani-ji 

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 四国霊場第八番である熊谷寺(くまたにじ)。
 弘法大師が弘仁年間(816~823)にこの地を訪れ、閼伽が谷(あかがたに)で修行されていると、紀州の熊野権現が現われ、1寸8分(約5cm)の金の観世音菩薩像を大師に授けた。
 大師は自から霊木に等身大の千手観音像を刻み、その胸の中に仏舎利120粒とともに、金像の本尊を納めて堂宇を建立、安置したのが起こりとされる。
 昭和二(1927)年火災に遭い、本堂・本尊とも焼失。その後昭和一五(1940)年に本尊を安置する奥殿と拝殿が、昭和四五(1970)年に供養殿と本尊が再建された。
 本堂から更に階段を上った所にある大師堂は、宝永四(1707)年に建立され、安置されている大師像も永享三(1430)年の作とかなり古く、寺宝とされ伝わっている。
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大栗山花蔵院大日寺 Oogurizan-kezouin-dainichi-ji 

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 四国霊場第一三番である大栗山花蔵院大日寺(おおぐりざんけぞういんだいにちじ)。
 弘仁六(825)年、この地を巡錫中の弘法大師が「大師が森」で護摩修法をしていると、空中に紫雲と共に大日如来が出現し「この地は霊域なり、心あらば一宇を建立せよ」と告げられた。
 感得した大師は尊影の大日如来を刻んで本尊とし、堂宇を建立して安置したことが寺号の由来となっている。
 山門をくぐると、正面に合掌した手の中に安置された「しあわせ観音」の像がある。その名の通り幸せを祈ると良いとされ、参詣者に親しまれている。
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徳島 常楽寺 Tokushima Jouraku-ji 

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 四国霊場第一四番である常楽寺(じょうらくじ)は、弘仁六(815)年、この地で修行を積んでいた弘法大師が建立したとされる。
 修行中に、化身した弥勒菩薩が多くの菩薩を従えて現われ説法を行ったので、大師は霊木にその姿を刻んで堂宇を立て、本尊にしたといわれている。このように弥勒菩薩を本尊にしているのは八十八箇所霊場のなかでは唯一である。弥勒菩薩は未来仏ともいわれ、釈迦入滅後、五六億七千万年後にこの世に下世し、民衆を救済されると伝えられている。
 また庭石を波のように配した流水岩の庭、七福神の庭など端正な庭に囲まれた寺でもある。
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2007/10/15


満濃池 Mannou-ike Manno-ike Pond

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 満濃池(まんのういけ)は香川県仲多度郡満濃町にある、日本最大の灌漑用のため池である。別名・満濃太郎とも呼ばれており、貯水量1540万トンの大きさを誇っている。
 大宝年間(701~704)、讃岐の国守であった道守朝臣(みちもりあそん)の創築と伝えられている。しかしその後池は決壊、長い年月の間放置されたままであったが、弘仁一ニ(821)年に空海がわずか三ケ月たらずで修復拡大した。その労力もむなしく、満濃池はその後も決壊を繰り返した。
 寛永ニ(1625)年に生駒讃岐守は、家臣であり土木工事の名人である西嶋八兵衛に修復を命じた。八兵衛は期待に応え、寛永八(1631)年に完成させたが、その後も大地震などで池は数回に渡り決壊、その都度、多くの人々の努力によって修復されてきた。
 現在の満濃池は昭和三四(1942)年に完成したものである。
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2007/10/2


無量寿寺 Muryouju-ji Muryojuji Temple

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 愛知県知立市八橋町寺内にある臨済宗妙心寺派に属する寺。正式名は八橋山無量寿寺(やつはしざんむりょうじゅじ)。平安の歌人である在原業平も名歌に詠んだ、カキツバタの名勝地である。
 慶雲元(704)年に慶雲寺として創建されたというが、開基に関しては不明な点が多い。
 弘仁一ニ(822)年に密円が現在地に移転、真言宗の無量寿寺として整備された。
 寛文一〇(1670)年になり、厳点和尚により臨済宗に転宗され、文化九(1812)年には煎茶道の方巌売茶(ほうがんばいさ)翁により杜若庭園も作られた。
 杜若庭園は現在、八橋かきつばた園といわれる有名な庭園として整備されている。
 毎年四月末から五月中旬に行われる八橋かきつばたまつりは知立市最大のイベントである。
 古来より歌にも詠まれるほど美しく親しまれている、紫色の花カキツバタ。業平のように歌を詠みながら昔に思いを馳せるのもいいかもしれない。
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2007/10/1


遍照院 Henjou-in Henjoin Temple

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 遍照院(へんじょういん)は愛知県知立市弘法町にある真言宗の寺院である。
 弘仁年間(810~824)布教のため関東地方を訪れた空海(弘法大師)が建立した寺である。
 ご本尊は、空海自身が刻んだ自身の三体の座像である。本尊の一体は別れを惜しみ、やや右に振り返るようなしぐさなので、見返弘法大師と呼ばれ親しまれている。
 山門をくぐると鐘楼堂があり、その背後に本堂がひかえる、かなり大きな寺である。本堂の地下では暗闇の中で仏の道を修行することが出来る、戒壇めぐりが体験できる。
 弘法大師の本尊は秘仏とされており、大師の命日である旧暦の三月二一日にのみご開帳されている。また、毎月の命日には市が開かれ、知立駅より境内まで多くの露店が立ち並び、人々でにぎわう。
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2007/9/27


最澄 Saichou Saicho

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 最澄(さいちょう)は平安時代初期の僧。日本天台宗の開祖。
 天平神護二(767)年、近江国(滋賀県)の生まれ。中国からの渡来人・三津首(みつのおびと)の子孫で、幼名は広野といい、14歳で近江国・国分寺に出家し、名を最澄とした。
 19歳の頃、東大寺で正式の僧となるが、 官寺仏教に疑問を持ち、比叡山に一乗止観院(延暦寺の前身)を建立し、そこに籠もり修行した。開眼し下山するまで約12年を要し、それが「12年籠山」という修行規則として制度化されている。
 延暦二三(804)年に唐に渡り、円・密・禅・戒という四宗を学んだ。帰国後、桓武天皇の支持を受けて天台宗を創設した。『山家学生式』『顕戒論』『内証仏法血脈譜』などを記している。
 弘仁一三(822)年に比叡山の中道院で没。没後44年目に日本で最初の伝教大師の称号が与えられた。
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