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2008/7/11


七支刀(しちしとう/ななつさやのたち) Shichishitou-nanatsusayanotachi 

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 七支刀(しちしとう/ななつさやのたち)は、奈良県天理市布留町の石上神宮(いそのかみじんぐう)にある全長74.8cmの鉄剣である。国宝に指定されている。
 石上神宮は、崇神天皇七(紀元前91)年の創祠とされる古社で、祭神は布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)。
 七支刀は、六叉の鉾(ろくさのほこ)の名で石上神宮に伝世されてきた鉄剣で、表裏に金象嵌(きんぞうがん)の文字が61ある。
 表の銘文冒頭に泰和四年とあり、これは日本では仁徳天皇五七(369)年にあたるとされる。
 この剣は現在、日本書紀に記されている、神功皇后が朝鮮・百済から献上された七枝刀にあたると考えられている。
 銘文については腐食が激しく、読み取れない字も多くあり、その内容には諸説あるとされている。
 七支刀は、祭祀的な象徴であったとも推測される古代の剣である。
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2007/8/9


上地八幡宮 Ueji-hachiman-guu Uechi Hachimangu Shrine

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 上地八幡宮(うえちはちまんぐう)は、愛知県岡崎市上地町宮脇にある神社である。祭神は、応神天皇、仁徳天皇、天照大神。
 元暦元(1184)年、源頼朝の弟、源範頼は平家討伐に向かう途中、この地の郷士・大見藤六の屋敷で休息した折に、屋敷に隣接した小さな祠が源氏の氏神である八幡宮であると知り、戦勝を祈願した。
 建久元(1190)年、平家との戦に勝利した範頼が三河の守護に命じられると、戦勝に感謝し、祠に祀られていた八幡宮と鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮の分霊を合わせて祀り、社殿を造営したのが上地八幡宮の創祠という。
 名物の鬱金桜(うこんざくら)は、昭和22年の拝殿建立の折に上地町から奉納されもので、薄緑色の花を付ける八重ザクラであり、別名「美人ザクラ」とも呼ばれ、幸せを呼ぶと言われている。
 上地八幡宮は、源氏ゆかりの歴史ある古社である。
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2007/6/20


猿賀神社 Saruka-jinja 

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 猿賀神社(さるかじんじゃ)は、青森県平川市猿賀にある神社である。祭神は、上毛野君田道命。
 猿賀の語源は、アイヌ語で変化神を意味する「サラクカムイ」に由来するといわれている。
 仁徳天皇五五(367)年、蝦夷討伐の将である田道が敗死し、後に蝦夷が墓を暴くと遺体が大蛇と化したので、人々は恐れて猿賀野に祀ったと伝わる。
 大同二(807)年、蝦夷征伐のため北上した坂上田村麻呂が勝利を祝い、田道を祀る祠と社殿を造り「神蛇宮」として建立したのが神社のはじまりとされている。
 江戸時代には藩主・津軽為信により祈願所と定められ、繁盛した。
 現在、神社の参道にはかつての別当寺である神宮寺があり、境内には本殿の他、胸肩神社、日吉神社、池上神社等が配されている。
 秋の例大祭では、勇壮な民俗芸能の獅子踊りが奉納される。
 猿賀神社は、農漁業、交通守護神、眼の守護神として信仰を集める古社である。
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2007/5/1


宇治上神社 Ujigami-jinjya 

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 宇治川の東岸の朝日山の山裾にに鎮座する宇治上神社。
 菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、仁徳天皇、の兄弟とその父である応神天皇を祀る。宇治の名は、この菟道稚郎子の名に由来する。
 対となる宇治神社は菟道稚郎子の屋敷跡といわれ、菟道稚郎子を祀っている。
 平安末に建てられた本殿は神社建築では日本最古といわれ、再建されていない。檜皮葺きの覆屋の中に一間社流造(いっけんしゃながれづくり))の三つの内殿が並ぶ。
 また拝殿は鎌倉時代の桧の木が使われており、いずれも「国宝」に指定されている。
 拝殿の脇には「宇治七名水」のひとつである「桐原水」(きりはらすい)と呼ばれる自然の水が湧き出ており、地元の人たちがありがたい水として汲みに来る姿がよく見られる。
 またここは、世界遺産である「古都京都の文化財」のひとつとなっている。
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2007/4/24


西院春日神社 Saiin-Kasuga-jinjya 

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 京都府右京区にある神社。
 833年、淳和天皇が仁明天皇に位を譲る際、西院にある淳和院に移った。勅諚により奈良の春日四座大神を勧請し、守護神としたのが始まりである。
 淳和天皇の皇女、崇子内親王が病を患った際、神前の石に祈願をしたところ、病は快癒したことから、この石は「疱瘡石」と呼ばれ、現在でも病平癒の守護神として崇められている。また、社前にある「梛石」を撫でると、旅先から無事に帰ることができる、とも言われるなど「石」で有名な神社である。
 本殿の脇にあるのは病気平癒の神様が祀られている「春日若宮社」である。子供を守る神様である。
 「仁徳天皇御胞衣塚」には仁徳天皇が生まれた際の「御胞衣(おえな)」が埋蔵されているといわれており、安産、子授け、母子の健康を祈願する。
 その他厄除・交通旅行安全などたくさんの御利益がある神社である。
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京都 朱智神社 Kyoto Syuchi-jinjya 

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 京都府田辺市にある神社。
 69年の仁徳天皇時代に「西峰山頂」あたりに創建された。535年宣化天皇時代に現在の場所に移設された。その当時は「朱智天王」と命名された。
 この地帯一帯に勢力のあった息長氏(おきながし)の祖神が祀られている。
 京都府の登録文化財に指定されている本殿は「一間社流造・檜皮葺」で、安土桃山様式の特徴であった唐獅子や牡丹などの、豪華絢爛で華やかな彫刻が見られる。「牛頭天王像」(ごずてんのうぞう)と呼ばれる3つの顔がある唐文様装束の木像は、京都府指定文化財に指定されている。
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2007/3/20


補陀洛山寺 Fudaraku-san-ji Fudarakusanji Temple

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 和歌山県、那智の浜近くに建てられている補陀洛山寺(ふだらくさんじ)。
 那智の浜は、平安時代から江戸時代までおよそ千年にわたり、はるか南海に極楽浄土があると信じた「渡海上人」が、わずかな食糧を船に積み、補陀洛渡海に旅立ったことで知られる。
 補陀洛山寺は、この渡海上人を祀る寺だ。古く古墳時代、仁徳天皇の治世に、インドから熊野の海岸に漂着した裸形上人により開基されたとされる。
 江戸時代まで那智七本願寺のひとつとして大伽藍を有していたが、江戸時代、文化五(1808)年に天災により主要な堂塔はすべて滅失。平成二(1990)年に室町様式の本堂が再建された。本尊の千手観音菩薩は、国の重要文化財に指定されている。
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2007/3/8


熊野那智大社 Kumano-nachi-taisya 

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 熊野那智大社は和歌山県東牟婁郡、那智山の中腹に位置する神社である。
 熊野本宮大社、熊野速玉大社と共に熊野三山と呼ばれ、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に含まれる。
 那智大瀧に大己貴命(おおなむじのみこと)を祀ったのが由来とされる。仁徳天皇五(317)年に現在の地に社殿を移し、夫須美神(ふすみのかみ)を祭神として祀った。
 享保時代に行なわれた修復により現在の姿となる。社殿は全て重要文化財に指定されている
 背後には那智四十八滝と呼ばれる滝が連なり、修験道の修行の地としても知られている。
 日本三大火祭りの一つ、那智の火祭が毎年7月14日に行なわれ、観光客が多く訪れる。
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