NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/28


無鄰菴 Murinan 

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 京都市左京区の一角にあり、風光明媚な庭を持つ別荘。それが無鄰菴(むりんあん)である。
 明治、大正期の元老であり、内閣総理大臣も勤めた山縣有朋(やまがたありとも)が所有していた。
 有朋自らが、海外の庭園なども参考にして設計、監督し、当時の造園家の手により作庭された和洋折衷の庭が有名である。
 明治二九(1896)年に完成した庭は、京都東山を借景として池や芝生を配した池泉遊式になっており、琵琶湖疏流が引き入れられて、流れる水音がどこからでも聞こえるようになっている。
 醍醐寺三宝院の滝を模した三段の滝もあり、ツツジやカキツバタの色付きなど、四季折々の風情を楽しむことができる。
 それまでの山水画のような作庭とは違い、どこか牧歌的な雰囲気を併せ持った庭でもある。
 この庭を眺めながら、明治三六(1903)年、有朋と伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎の四者によっていわゆる「無鄰菴会議」が開かれ、日本の一時代を築いた場所としても知られている。
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2008/2/6


妙法院 Myouhouin 

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 妙法院(みょうほういん)は、数々の著名な寺社が立ち並ぶ京都府東山区に位置する天台宗の古刹である。
 古くから皇族や貴族の子孫が住持を務める寺院を「門跡」といって別格の扱いとされるが、この妙法院も門跡の一つであり、青蓮院、三千院と並び「天台三門跡」と称されてきた名門である。
 その創建には諸説あり、元は比叡山上にあった小寺院であるといわれ、開祖を最澄とするものや、後白河上皇が落飾後の永暦元(1160)年ごろ、比叡山の僧、昌雲が里坊を開いたのを始まりとするものなどがある。
 平安時代末期には京都市内に移転、その後は幕末まで代々法親王が住持を勤めていた。
 当時は広大な敷地面積を誇り、通し矢で有名な三十三間堂は、今も妙法院の管理するところである。
 豊臣秀吉が築いたといわれ、国宝にもなっている庫裏(くり)や重要文化財である大書院、狩野派の筆による障壁画が残る大玄関など、桃山文化の美が封印された大伽藍を今に伝えている。
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2008/1/24


清水卯一(人間国宝) ShimizuUichi 

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 大正一五(1926)年、京都市東山区生まれ。陶芸家。
 昭和一五(1940)年、地元陶芸家で同じく人間国宝の石黒宗麿(いしぐろむねまろ)に師事し、鉄釉に魅せられ中国陶芸を学ぶ。
 さらに国立京都陶磁試験場で学び、京都市立工業研究所窯業部にて助手として経験を積んだ後、京都の自宅工房において陶芸活動に専念した。
 日展、現代日本陶芸展、日本伝統工芸展などにおいて、数々の賞を受賞。その非凡なる才能が開花。釉薬と土を情熱的に研究をし、徐々に青磁の作品を手掛けるようになる。
 昭和四五(1970)年、京都から滋賀県志賀町に工房を移して蓬莱窯(ほうらいよう)を築き、そこから独創的な青磁作品を数多く生みだしていく。
 昭和六〇(1985)年四月一三日、人間国宝の認定を受けた。
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2007/12/21


錦織寺 Kinshoku-ji Kinshoku-ji Temple

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 錦織寺(きんしょくじ)は、比叡山延暦寺の三代座主であった慈覚大師が、夢のお告げに従って松の霊木を探し出し、御堂を建て、毘沙門天王像を安置したのが始まりとされている。
 それから三百数十年後の文暦二(1235)年、親鸞(しんらん)が本尊に阿弥陀像を安置し再興した。言い伝えでは、再興中に天女が下ってきて、蓮糸で織った錦を仏前に献じたという。このことから朝廷より「天神護法錦織之寺」という寺号を賜り、錦織寺の名となった。
 広い境内には、県指定文化財である本尊を安置する阿弥陀堂、親鸞の真影のある御影堂、他重厚な宝蔵・書院・講堂・鐘楼がある。
 火災も多かったが、東山天皇から大宮御所の一部を下賜されたという宮御殿は当時のままであり、親鸞が大著「顕浄土教行証文類」を書き終えた様子の絵像「満足の御影」など貴重な寺宝類が数多く残されている。
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2007/11/28


法観寺 五重塔(八坂の塔) Houkan-ji Gojuu-no-tou(Yasaka-no-tou) 

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 法観寺(ほうかんじ)は京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院である。
 この寺の五重塔は室町時代の建築物で、高さは約49メートル、東寺や興福寺の五重塔に次ぐ高さだ。
 茶屋や数奇屋の軒が並ぶ風情ある八坂通りを進んでいくと、正面にこの五重塔が現れる。夜はスポットライトで照明され、町並みとともに写真に収める観光客も多い。法観寺の塔というよりも八坂の塔(やさかのとう)としての名称のほうが有名だ。
 作りは純和様、本瓦葺。塔の五層部には欄干を意味する高欄がある。中心の礎石は創建当初のものがそのまま用いられており、初層内部には大日如来を中心とする金剛界五仏が安置されている。
 また二層目までは階段で登ることもでき、高台にある塔の二階から、京の町並みが堪能できる。
 明治三〇(1897)年に国指定重要文化財となっている。
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2007/11/20


源氏香 Genji-kou 

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 源氏香(げんじこう)とは、香道(こうどう)の楽しみ方のひとつで、何種類かの香りを組み合わせてその香木の香りを嗅ぎ当てる組香(くみこう)の一種である。
 香道は、室町時代におきた日本の伝統文化であり、仏教と共に日本に伝えられた香は、平安時代には個人の趣好・知的感覚により薫物が作られ、室町時代・東山文化隆盛の頃に、香木を使用する聞香(もんこう)形式が整えられた。
 源氏香は江戸中期に成立した組香で、組合せ数が源氏物語の巻数と重なる事からこの名が付いた。
 五種類の香を各五包、合計二五包用意し、その中から任意の五種類を取り出し、五つのうちで同じものがどこにあるかを当てる。
 組み合わせの種類が多いので、これを香之図と呼ばれる図で表すのが特徴で、五二種類の組合わせそれぞれに源氏物語の各帖の優雅な名前がついている。
 源氏香は、香道における、今に伝わる高雅な遊びである。
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組香 Kumikou 

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 組香(くみこう)とは、香道(こうどう)において、一定のルールに即した香りの楽しみ方のひとつである。
 香道は、室町時代におきた日本の伝統文化であり、仏教と共に日本に伝えられた香は、平安時代には個人の趣好・知的感覚により薫物が作られ、室町時代・東山文化隆盛の頃に、香木を使用する聞香(もんこう)形式が整えられた。
 組香は、二種類以上の香木の微妙な香りの差異を組み合わせ、香りによって一つの文学的なストーリーを組み立てるものである。
 数種類の香をそれぞれのテーマにより組み合わせて焚き、香りによって主題を表現し、その趣向を味わうもので、例えば源氏物語の中からのテーマであれば、香りで源氏物語を読み、楽しむ。
 組香は、香道において様々な物語や詩歌を香りでもって表現する、風流な遊びである。
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2007/11/14


京都祇園 Kyoto-Gion 

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 京都祇園(きょうとぎおん)は、京都府京都市東山区近辺の、八坂神社の門前町として栄えた花街である。
 鴨川から八坂神社までの四条通沿いに発達した場所で、かつては祇園門前町として参拝人目当ての水茶屋が軒を並べ、遊里として島原をも凌ぐほどに発展していた。
 京都の代表的な繁華街であり、芸妓・舞妓がいる事や劇場、茶屋、料亭、バーなどが並び、格子戸の続く家並みには昔日の風雅と格調が偲ばれる。
 観光客にも大変人気で、花見小路や新橋通りの石畳と通り沿いの町屋の風景は、とても現代とは思えない、幻想的で昔懐かしい情緒を感じさせてくれる町並みを形成している。
 京都祇園は、時代の流れを忘れさせる、雅で粋な場所である。
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