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2008/4/22


もののふ(MONONOFU) mononofu Mononofu

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 サムライではなく、「もののふ(MONONOFU)」。自由で革新的な戦国時代の雰囲気を表現・発信する戦国ブランドである。
 現代アートの推進と伝統工芸の復権。そんな相反するかのように見える2つをさりげなく、しかし大胆に結びつけたのは歴史好きの一サラリーマン。
 国立博物館で変わり兜を見た田中秀樹氏は、これまで知らなかった世界を知り、圧倒されるとともに、その時興味を持っていたインディーズTシャツとのコラボレーションを考えたという。
 変わり兜が戦国武将の美意識であり、自己主張なら、様々なクリエイターが素材やデザインにこだわる現代のTシャツも自己表現の一つ。それならTシャツの中に変わり兜のデザインを取り入れていくことも可能である。また、もし現代に戦国武将たちがよみがえったら、自らの美意識で今の様々な素材やデザインを取り入れていくに違いない、とプロデューサーの田中氏は語る。
 現在、「天下『布』武プロジェクト」を推進中。
[→より詳しい記事を見たい方はこちら]
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2008/3/10


花ござ Hanagoza 

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 藺草(いぐさ)を織って作った敷物は、古来よりござや畳表として利用されてきた。
 藺草はイグサ科の宿根性多年草で、内部組織が海綿状に満たされた円筒型の茎を持つ。そのためござや畳表は弾力性があり、断熱効果もあるという。また、調湿効果もあるといわれ、暑い真夏に畳やござの表面がひんやりと感じるのはそのためである。
 ござは畳が普及する前の一般的な敷物であったといわれているが、藺草を様々な色に染め、伝統的な技法で花模様や幾何模様などを丹念に織り上げて作る、花ござと呼ばれるものが古くから伝わる。
 熊本県は藺草の産地としての五〇〇年近い歴史を持ち、伝統工芸品として花ござが今も伝えられている。
 自然の色を生かした色やカラフルな色に染めた藺草をふんだんに使って、特殊な技術で織り上げると、模様が鮮明に浮き上がり、光沢のある美しい花ござが生み出される。
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八橋人形 Yabase-ningyou 

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 八橋人形(やばせにんぎょう)は素朴な土人形で、江戸時代後期に京都伏見の人形師が秋田市八橋に伝えたとされる。その昔、町内にある天神様を祀る菅原神社の縁日で売られ、境内には人形屋が軒を連ねたという。
 男の子が生まれると天神人形、女の子が生まれると雛人形を求め、家に飾って子供たちの成長を願った。ずっしりとした土の量感と、決して派手ではない彩色が特徴的だ。
 現在、伝統工芸八橋人形を製作するのは、道川土人形店の一軒しかない。ずっと後継者不足に悩まされてきたが、なんとか後継者が決まり、店主はほっと胸をなでおろしている。
 先々代が作った合わせ型に粘土を詰め乾燥させて焼く作業は夏場に、絵付け作業は冬場に行う。絵付けに一番神経を使うのは目を入れる瞬間で、一瞬呼吸を止めて精神を集中させる必要があるという。
 丹念に絵付けされた手作りの土人形のぬくもりが、全国の愛好家の心を癒しているに違いない。
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2008/3/7


びらびら簪 Birabira-kanzashi 

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 びらびら簪(びらびらかんざし)は、未婚女性向けの簪である。
 簪は、女性が髪を結う時に使う日本の伝統的な装身具であり、特に江戸時代後期には様々な種類の物が作られ、髪を飾った。
 びらびら簪は、天明年間(1781~1789)頃から流行した簪で、銀製の鎖、細い棒状、または板状のものが簪の端部分から垂れ下がった形状をしている。
 鎖、棒状の先には玉や蝶・鳥などの飾り物がついているものが多いのが特徴とされる。
 江戸では俗に「びらびら」と呼び、多くは童女、未婚女性がつける簪とされており、裕福な商人の娘などが使っていた。
 歩くたびに揺れるところに人気があり、鎖の先の鈴や珊瑚など装飾物が、微かな音をたてる。
 びらびら簪は、今でも若い女性をひきつける魅力を持った、伝統工芸品である。
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2008/3/4


作並こけし Sakunami-kokeshi Sakunami Kokeshi

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 秋保温泉と並び、宮城県仙台の奥座敷と呼ばれる作並温泉。
 作並こけしは、この作並温泉を発祥とする伝統工芸品である。
 子供が握って遊べるように、他のこけしよりも細い胴を持つのが特徴で、肩から下部にかけて徐々に細くなる、円錐に近い形が一般的である。
 その歴史は比較的新しく、幕末から明治の初め頃と考えられており、また都市部で発達したという点も、他のこけしとは一線を画すものである。
 素材には東北地方に自生しているイタヤやミズキ、アオカが使用され、木肌が白く、きめ細かくて割れにくいという特徴を巧く利用している。
 肩と裾の部分にはロクロ線が引かれ、その間には菊を図案化した独特の模様が描かれた意匠となっており、同じく宮城県の遠刈田こけしの影響を強く受けたと考えられている。
 その表情は可憐でやさしくて派手さも無く、木の暖かいぬくもりが伝わる、最も素朴なこけしとして今も親しまれている
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2008/2/29


楢岡焼 Naraoka-yaki 

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 楢岡焼(ならおかやき)は、秋田県大仙市南外に伝わる伝統陶器である。
 文久三(1863)年、地元旧家の小松清治が、秋田の寺内焼の陶工を招いて窯を作らせたのが始まりとされ、以後、小松氏が5代に亘って窯を守ってきた。
 時代と共に技術改良を重ねた結果、今日に見られる美しい青味を持つ焼き物が完成した。
 楢岡焼の最大の特徴は、高温で焼成した海鼠釉(なまこゆう)を、更にもう一度、酸素を入れない還元方法で炭火焼成する「海鼠釉焼締め」にある。
 この技法が、美しい青色と、時に窯の中の炎と隆灰で起こる微妙な釉の変化の面白さを生み出しているとされる。
 楢岡焼は、土を活かし、装飾を控え、使いやすさと温もり、そして美しさを追及した、秋田県が誇る伝統工芸品である。
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2008/2/22


堺五月鯉幟 Sakai-gogatsu-koinobori Sakai Gogatsu Koinobori

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 堺五月鯉幟(さかいごがつこいのぼり)は、その名のとおり大阪の堺市で生まれた、錦布で製作された鯉幟である。
 明治の初期、堺で玩具、文具商を営んでいた商人が、お伊勢参りの帰りに見た名古屋の紙鯉をヒントに、和凧職人に紙鯉を作らせて販売したのがその始まりである。
 明治中期には、紙から現在の素材である錦布になり、また、それに伴う様々な技法も確立されていった。
 鯉の背に、金太郎がまたがったデザインが特徴で、素材は紙から布に変わったものの、昔と変わらぬ伝統の技法で、錦布に一筆一筆手描きされ、丹念に染め上げられている。
 そうした手作りならではのぼかしや色の濃淡、毛先の繊細さ、勢いの良さで今も高い人気を誇る逸品である。
 昭和六一(一九八六)年には大阪府により伝統工芸品に指定され、今も日本全国の空に、優雅に漂う鯉を精力的に送り出している。
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浪華本染めゆかた Naniwa-honzome-yukata 

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 浪華本染めゆかた(なにわほんぞめゆかた)は、大阪を主生産地とする木綿の染物である。
 木綿の一大生産地として知られた泉州と河内がすぐ近くにあり、石津川と大和川の水質や流域の自然条件が木綿の晒作業に最適であることなど、発展に必要な土台が好条件で揃っていたことが、その誕生に大きく関わっている。
 加えて明治に入ってから、布地の上に伊勢型紙を置いて糊を付け、その上から染料を注いで染める、注染(そそぎぞめ)技法が大阪で開発されたことによって、この優雅で涼しげな浴衣が誕生することとなった。
 染物としても非常に質の高いものであり、表裏両面に色を染めることやなかなか色落ちしないこと、めくれても裏にも模様があることが特徴で、この染物が長く愛される元にもなっている。
 昭和六十(一九八五)年には、浴衣としては全国で唯一、大阪府より伝統工芸品の指定を受け、今も活発に夏の夜を彩る美しい浴衣を生み出し続けている。
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