NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/12


善福院 Zenpuku-in Zenpukuin Temple

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 和歌山県海南市に所在する古刹。鎌倉時代の建保二(1214)年に栄西禅師により開創されたと言われる広福寺五ヶ院のひとつである。
 広福寺は古くは七堂伽藍を備えていたが、大旦那の加茂氏の没落に伴い荒廃。以後、真言宗に転宗し、伽藍を修復し、さらに江戸時代に入り紀州藩となってからは天台宗に改宗。明治時代までは広福寺は三ヶ院あったが現在は禅福院のみとなっている。
 乱石積基壇の上に立つ二重屋根、寄棟造りの釈迦堂は国宝に指定されている。本瓦葺寄棟造、平行垂木などは鎌倉時代後期の禅宗様式の典型的な建築として、鎌倉円覚寺舎利殿、山口巧山寺仏殿などとともに有名である。
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2007/9/21


鈴木大拙 SuzukiDaisetsu Daisetz Teitaro Suzuki

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 言葉や思想を持たない「禅」という高度に結晶化された概念に、あえて言葉や思想を盛り込み、世界に向けて発信した偉大な哲学者。
 明治二(1870)年、石川県生まれ。学生時代に鎌倉・円覚寺にて禅と出会い、悟りの境地に達し、禅者として生きる決意を持つ。「大拙」という居士号を得る。
 鈴木大拙(すずきだいせつ)が目指したのは、西洋と東洋を橋渡しすること。願いは、「ひとつの世界」の獲得。禅の英語化という難題を易々と成し遂げ、『老子道徳経』『大乗起信論』を英訳し、『大乗仏教概論』を英文で出版した。
 欧米の知識人達に与えた影響は計り知れない。カウンターカルチャーの時代には、「禅」が西洋人の東洋に対する憧れを育む要因となった。
 生涯、坐禅を怠らず、西と東、民族、人種、宗教などの根深い問題を禅思想を通して考え続け、語り続けた。
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2007/2/6


浄智寺 Jouchi-ji 

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 浄智寺は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗・円覚寺派の寺であり、鎌倉五山の第四位である。
 本尊は阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の三世仏で、各々過去・現在・未来を象徴している。
 弘安六(1283)年、鎌倉幕府執権・北条時頼の三男、宗政の菩提を弔うために創建された。
 開基は既に故人となっていた宗政と、その子北条師時。開山は南宋出身の高僧兀庵普寧(ごったんふねい)、同じく南宋の大休正念、日本の南州宏海の三人である。
 当時は塔頭が11院あり、伽藍も完備し、相当の大きさを誇ったが、度重なる火災や地震で衰微し、現在の建物のほとんどは昭和になって再建されたものである。
 曇華殿(どんげでん)には三世仏が、また境内奥には七福神の弥勒菩薩の化身としての布袋尊が祀られている。
 浄智寺は、鎌倉の薫りを今に伝える名刹である。
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2007/1/30


円覚寺 Engaku-ji Engaku-ji Temple

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 円覚寺は、神奈川県鎌倉市山ノ内に存在する、鎌倉五山第二位の臨済宗・円覚寺派の大本山である。本尊は釈迦如来。
 弘安五(1282)年、鎌倉時代末期、北条時宗が元寇の戦没者追悼のため、中国より無学祖元禅師を招いて創建した。
 以来、北条氏をはじめ朝廷や幕府の篤い帰依を受け、鎌倉時代末期には伽藍が整備された。
 室町から江戸時代にかけて幾たびかの火災に遭い、衰微したこともあったが、江戸末期に大用国師が僧堂・山門等の伽藍を復興し、今日の円覚寺の基礎を築いた。
 円覚寺の名前の由来は、建立の際、大乗経典の「円覚経」が出土したからである。
 円覚寺の現在の建物は関東大震災以後に修復されたもので、6万坪の広い境内をほぽ一直線に伽藍が並び、15の塔頭寺院が建つ。
 円覚寺は、歴史と伝統を誇る、厳しい僧風の寺である。
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鎌倉 瑞泉寺 Kamakura Zuisen-ji Zuisenji Temple

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 瑞泉寺は、神奈川県鎌倉市二階堂にある臨済宗・円覚寺派の寺である。本尊は釈迦牟尼仏。
 嘉暦二(1327)年、夢窓疎石が開山し、鎌倉幕府の重臣・二階堂道蘊が建てた瑞泉院を、鎌倉公方・足利基氏(尊氏の4男)が中興した。
 瑞泉寺は基氏以降、鎌倉公方代々の菩提寺となり、鎌倉五山に次ぐ関東十刹の第一位の格式を誇る寺である。
 仏殿の背後には後醍醐天皇や、足利尊氏に帰依された夢想疎石の作と伝えられる岩盤を削って、池を配した簡素な庭園がある。鎌倉期唯一の庭園として、国の名勝に指定されている。
 瑞泉寺は、鎌倉随一の花の寺、紅葉の名所としても知られ、梅、水仙、つつじ、牡丹、マンサクなど、一年中花の絶える事がない、伝統と景観の見事な寺である。
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2007/1/12


天女橋 Tennyobasi Tennyobashi Bridge

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 天女橋は、沖縄・那覇市にある円覚寺総門前の円鑑池の中にある弁財天堂に架けられた、日本最古の石造りアーチ橋である。
 1502年、朝鮮から贈られた経典を収納する堂宇が建てられた。天女橋は、堂宇へ渡る橋としてその時架けられたものである。
 この橋長9.4m、幅3mの小さな橋の名前は、中之島に祀られていた水の女神「弁財天」に由来する。
 橋の形式は、石造の単拱橋で、橋の中央アーチ上部が高くなっていて、その前後をゆるい斜面にしている。中国南部地方に多い、駝背橋(らくだの背中に似た橋)の形式の特徴を持つ橋である。
 1972年、国指定重要文化財に指定される。
 天女橋は、歴史と落ち着きを感じさせてくれる橋である。
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