NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/6/6


光輝く氷のぼんぼりとかまくら祭り Hikarikagayakukoori-no-bonbori-to-kamakura-matsuri 

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 光輝く氷のぼんぼりとかまくら祭りは、平家の落人の里として知られる、栃木県日光市湯西川温泉の冬の風物詩とされる。毎年1月末から2月末日の約一ヶ月行われるという。
 旧栗山村(現在の湯西川地区)は、約800年前の源平の戦いに敗れて身を隠した平家の、落人伝説を伝える地域とされている。
 舞い降りる雪の中に浮かぶ氷のぼんぼりのほのかな光と、暖かいかまくらの中で、雪深い湯西川温泉ならではの風情が楽しめる。そして、夕暮れになる午後5時30分から午後9時まで、氷のぼんぼりに灯りがともされ、ファンタスティックな世界に変わるという。
 メイン会場の他にも、湯西川沿いの沢口河川敷にミニかまくらが作られ、そのひとつひとつにもろうそくの灯りがともされて幻想的な世界を体験できる。
 また、日曜祝祭日には餅つき大会も行われ、ミニかまくら作りも体験する事ができる。
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2008/5/1


金ヶ崎城(敦賀城) Kanegasaki-jou(Tsuruga-jou) 

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 敦賀城(つるがじょう)という別名を持つ金ヶ崎城(かねがさきじょう)は、敦賀湾に突き出した小高い金ヶ崎山に築城された。
 源平時代、木曾義仲との戦いに備えるために、平通盛(たいらのみちもり)が築いたとされる。
 南北時代の武将新田義貞(にったよしさだ)が尊良・恒良親王と嫡男義顕、弟の脇屋義助らと共に入城し、斯波高経(しばたかつね)率いる軍に攻められ大激戦の末破られたが、再度奪還したことでも知られている。
 落城の際には尊良親王と子の義顕は共に自害したとされ、その親王自刀の地というのが残されている。また城址の麓には金ヶ崎宮が建てられ、両親王が祀られている。
 元亀元(1570)年、織田信長の朝倉景恒(あさくらかげつね)を下した「金ヶ崎の退き口」もまた有名である。
 数々の激戦の舞台となった城は、昭和九(1934)年に国の史跡指定を受け、現在も大切に整備されている。
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2007/10/12


祇園城跡 Gion-jyou-ato Gion Castle Ruins

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 源平合戦の頃から戦国時代末期まで、現栃木県小山市を中心に繁栄した小山氏の居城。
 築城年は定かではないが、記録には14世紀後半から登場する。祇園城の名前は、城守りの守として祇園社(現・須賀神社)を祀ったことに由来するとされる。
 小山氏の居城となったのは、戦国時代初頭、15世紀に入ってからで、関東争乱の舞台として重要な拠点となったという。最盛期には下野の守護役にも任じられるほど勢力を持った小山氏だが、戦国時代に入ると北条氏との対立・服従など時代の波に翻弄されることとなる。元和五(1619)年に当時の城主だった本多正純が宇都宮に転封されたのに伴い、祇園城もその歴史に幕を閉じた。
 現在は城山公園として整備され、桜の名所として市民の憩いの場となっている。
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2007/9/4


河内祭・御船祭 Kouchi-matsuri Mifune-matsuri Kouchi Festival

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 本州最南端の町である和歌山串本町古座で毎年7月24、25日に「河内祭(こうちまつり)」が行われる。「御船祭(みふねまつり)」とも言われ、国の重要無形民俗文化財に指定された古座川を舞台にした水上の祭りだ。
 古く源平の戦いに源氏方として出陣した熊野水軍の勇士達の戦勝を、「河内神社」で祝ったのが始まりとされ、その凱旋の姿を伝えるものだと云われている。
 色鮮やかな陣幕や水引き、槍、矛、提灯などで飾った御舟3隻が、「古座神社」で入舟式を行い、河口から御神体である河内大明神の祀られている清暑島(せいしょとう)にゆっくりと2日かけて遡っていく。その為、参拝や奉納は本祭の25日に行われる。
 町では獅子が舞い、中学生らが櫂伝馬競漕を勇壮に繰り広げている。
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2007/8/13


三明寺 三重塔 Sanmyou-ji Sanjuu-no-tou Three-story Pagoda at Sanmyoji Temple

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 三明寺(さんみょうじ)は、八世紀初めに創建されたと言われ、本堂には弁財天が祀られている。源平の争乱のころ、源義仲に味方した三明寺の僧・望月忠源(もちづきちゅうげん)は源範頼の軍と戦って敗れ、その後範頼が三河国守となった際に家臣河合五郎に寺を焼き払わせたため寺は荒廃。しかし、世紀末に後醍醐天皇の皇子である無文禅師により再興された。
 三明寺三重塔は享禄四(1531)年に建立されたもの。高さは15メートルと小さいながらも、優れた名塔として有名。一・ニ層が日本風の和様、三層が中国から伝わる唐様(からよう)の両方を兼ね備えた折衷様の建築様式である。当時の建築は、地方によって違いのあるものが造られ、室町末期の建築を知る上で重要とされる建物となっている。この三重塔は弁財天を納める宮殿(ぐうでん)とともに国の重要文化財に指定されている。
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2007/5/22


十二単 Jyunihitoe 

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 五衣唐衣装(いつつぎぬ)もしくは、女房装束といい、平安時代からの女性貴族の正装。
 はじめて、十二単という言葉が使われたのは、鎌倉時代に編まれた『源平盛衰記』。建礼門院平徳子の装いを、「弥生のころなれば藤がさねの十二単を召されたり」と記している。
 実際に、十二枚の着物を重ねるわけではないが、小袖(こそで)、袴(はかま)、単(ひとえ)、五枚の五衣と呼ばれる袿(うちぎ)、打衣(うちぎぬ)、表衣(おもてぎぬ)、裳(も)、唐衣(からぎぬ)を着るため、総重量は一〇キログラムから、二〇キログラムにも及ぶ。
 着つけの際には、二本の紐を組み合わせて、常時一本の紐で留めるが、一人で着ることができないため、前から補助する前衣紋者、後ろから補助する後衣紋者が付いて着つける。
 季節や儀式によって、袿の組み合わせが決まっており、色の組み合わせ毎に固有の呼び方があった。
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2007/2/8


大海の放下 Oomi-no-houka 

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 愛知県新城市大海に伝わる郷土芸能踊り。県の指定無形民俗文化財。
 祭りの歴史は、室町時代末期といわれる。源平の争乱で中央政治が
 乱れ、各寺院の僧侶たちは、寺院から追い出しを受け地方に放浪した。その僧侶たちは放下僧と呼ばれ、すべての執着を捨てるため放下と呼ばれる行をおこなったものが現在まで伝承されている。
 現在では盆の行事として行なわれるこの踊りは、僧侶に扮した人が、高さ3メートルの大うちわを背負って、胸につけた縦横50センチもある太鼓を打ち鳴らし、古くからある歌謡に合わせて舞い踊る。
 初盆の家々を訪ね、新仏の供養をして回る。
 毎年8月14,15日に行なわれる。
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2006/12/15


総持寺 Soujiji Sojiji Temple

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 大阪府茨木市の総持寺は、平安時代、中納言藤原山蔭卿により開かれた。宗派は高野山真言宗。亀の恩返しにより開かれたという逸話は、『今昔物語』や『源平盛衰記』などにも紹介されている。
 近畿地方に点在する三十三の霊場を巡り、観音経を参拝する遍路「西国三十三所巡礼」の第二十二番の札所。本尊の千手千眼観世菩薩は「亀に乗った観音様」として有名で、子育て、厄除けの観音として知られている。ほかに薬師如来、地蔵菩薩、不動明王、弘法大師、稲荷大明神など多くの仏や神を祀っている。
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