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2008/4/16


植木鋏 青影 200mm Ueki-basami Aokage 200mm 

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 植木鋏「青影(あおかげ)」は、少し小ぶりの使いやすい、本格派の安来青鋼(やすきあおはがね)を使用した植木鋏である。
 安来青鋼は、クローム、タングステンを含むため、熱処理の時に安定感を増し、切れ味が良く、耐久性が高い。
 この商品は、切れ味が落ちても、研ぎなおす事によって、末永くいつまでも使用出来る。
 「青影」は、感触調整の簡単なネジタイプを採用しており、刃の背部分を曲面に加工する事で、枝の間などの狭い所の作業にも使いやすい。
 さらに、はがね堂加工によるオーバーミラー研磨により、はがねの性能を最大限に引出している。
 「青影」は、小ぶりである為に使いやすい、全長200mm、刃渡り65mmの、バツグンの切れ味を誇る植木鋏である。
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2008/3/5


信州そば切包丁 黒打ち仕上げ Shinsyu-sobakiriboucyou Kurouchi-shiage Shinshu Soba Knife Kurouchi-shiage

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 蕎麦好きも極まってくると、お店に食べに行くだけでは飽きたらず、やはり自分で打ちたくなってくるものだろう。
 打ち立ての蕎麦の香り、歯ざわり、のどごしは、日本人だけが知っている至福の世界。その瞬間に出会うため、心と魂を込めながら自分で蕎麦を打ってみたい。そう思い立ったら、やはり使ってみたいのが、職人が鍛えた本格的なそば切り包丁である。
 信州の工房で鍛え上げられた黒打ち仕上げは、表面の黒い部分を残して、刃の部分だけを研いだもの。鋼は安来鋼白紙、麺を細く切るのに適した片刃。650gの重量があり、押切りがしやすい。価格は抑えているが、プロでも使える本格派である。
 台所に、こんな「道具」をさりげなく置いておきたい。
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2008/1/24


肥後鐔 Higo-tsuba 

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 「肥後鐔(ひごつば)」とは、江戸時代に肥後の国、熊本県八代市で作られた刀の鐔である。
 熊本の金工芸では「肥後象がん」が知られているが、この象がんの技術を発展させるきっかけとなったのが、刀の鐔をはじめとした刀装金具の制作だった。
 鐔とは、刀剣の柄(つか)と刀身との境に挟み、柄を握る手を防御するものである。板状につくられており、鉄製のものがほとんどである。
 刀剣と同じ、砂鉄を原料とした良質の鋼材である玉鋼を鍛錬し、鉄の色や形、象眼透かし彫りが施され、実用性を重視しつつ品格のある工芸品となっている。
 肥後国細川藩・細川忠利(ほそかわただとし)の父である忠興(ただおき)が優秀な職人を集めて指導し、制作を奨励したのが始まりだといわれ、特に優れた職人たちは「肥後金工」と呼ばれ、全国的にも知られていた。
 現在も細川忠興が暮らしていた八代市で、肥後鐔を作り続ける刀匠により、伝統が受け継がれている。
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2007/12/25


「タケフナイフビレッジ」キッチンナイフArtus Takefunaifubirejji Kicchin-naifu-Arutasu ARTUS Kitchen Knife by Takefu Knife Village

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 タケフナイフビレッジは、七百年の伝統を誇る刃物の一大産地「武生(たけふ)」で、地元の打刃物職人達が昭和五七(1982)年に作り上げたブランドだ。
 そのブランドから、地元出身のデザインディレクターである川崎和男の協力の下、昭和五八(1983)年に発表された包丁が「キッチンナイフArtus」である。
 刃部は従来の包丁を踏襲しつつ、その刃部からグリップまでを一体化させたシンプルなもので、衛生的で斬新な、デザイン性の高い商品となっている。
 また、武生に古来より伝わる「火造り鋳造」により、手作りで鍛造した鋼をステンレスで挟み込んだ三層構造を実現させ、切れ味と錆び難さを両立させている。
 ブランドが掲げる、手作りの良品を目指した七つのポリシーと武生の刃物造りの伝統、そして川崎和男による卓越したデザインが三位一体となって誕生したキッチンナイフであり、誕生から二〇年以上を経た今も、モデルチェンジをすることなく当時のデザインのまま、造り続けられている。
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2007/10/9


越後与板打刃物 Echigo-yoita-uchihamono Echigo Yoita Forged Blades

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 新潟県長岡市与板地区の打刃物産業は四百年余りの伝統を誇り、その切れ味の鋭さと使いやすさには定評がある。
 戦国時代の天正六(1578)年、上杉謙信の家臣が春日山より刀剣師を招き打刃物を作らせたのが始まりで、享保年間(1716~36年)には与板の大工道具は「土肥のみ」または「兵部のみ」として知られるようになった。明治に入ると刀剣師が鉋(かんな)の製造に着手し、全国にその名をとどろかせた。そして昭和六一(1986)年、のみ・かんな・まさかり・ちょうなについて、通産大臣(現経済産業大臣)より「越後与板打刃物(えちごよいたうちはもの)」として伝統的工芸品の指定を受けるに至った。
 与板の打刃物は火づくりの鍛造技法によるもので、地鉄に鋼をのせ丹念に焼いては叩きの地道な工程を繰り返し、伝統工芸師の魂が宿った完成品へと仕上げられて行く。
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2007/4/27


土佐打ち刃物 Tosa-utihamono 

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 土佐の地で発祥した土佐打ち刃物(とさうちはもの)には、400年にも及ぶ歴史がある。
 高知は高温多雨な土地柄良木に恵まれ、昔から全国に多くの木材を搬出してきた。その木材の伐採に古くから打ち刃物が造られ、使用されてきたという歴史がある。
 土佐打刃物としての本格的な始まりは江戸時代からで、土佐藩の財政難による元和(げんな)改革から始まった。
 土佐藩の家老野中兼山が進める農業、山林収益策によって木材の伐採や新田開発が活性化していき、これに伴い農業、林業用の打刃物の需要も大幅に伸び、品質や技術が飛躍的に向上した。 
 こうして時代の流れにあわせて発展を続けてきた土佐打ち刃物は、多少の機械化は取り入れられたものの、伝統的な鍛造技術は今も変わらず江戸時代より受け継がれている。
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2007/4/26


除夜の鐘 Joya-no-kane 

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 除夜(じょや)とは年越しの夜のことで、一年の暦を除く夜、という意味を持つ。
 新年を迎えるにあたり、人の体である眼(げん)・耳(に)・鼻(に)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六根に好(こう・きもちがよい)、悪(あく・きもちがわるい)、平(へい・どうでもよい)の三種、更に浄(じょう)、染(せん)の二種に前世・今世・来世の三世の三種を掛けた合計百八の人の煩悩(ぼんのう)を払い、新たな気持ちで新年を迎える為に鐘を打つ儀式だが、これ以外にも十二の月、季節をあらわす二十四節気、七十二候全てを足した数とする説や、四苦八苦を打ち払うなどの諸説がある。
 通常は108回打たれるが、この回数にこだわらない寺社もあり、東京の天龍寺は、訪れた全ての参拝者に鐘を打ってもらう。
 旧年への追憶と新年への祈願をこめ鐘の音は穏やかに響き渡り、年の瀬をゆっくりと知らせる。
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2007/4/13


石川 銅鑼 Ishikawa dora Ishikawa Bronze Gong

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 銅鑼(どら)は、石川県に古くから伝わり、四百年もの歴史を持つ伝統工芸である。
 銅鑼は古代ジャワ、スマトラの南方民族の打楽器にはじまり、中国、朝鮮を経て日本に伝来したものとされている。
 日本では出船の合図や茶の湯で使われ、石川県の金沢では安土桃山時代の茶の湯の流行に伴い、製作されるようになった。
 金沢の地で銅鑼の製作に打ち込んだのは人間国宝の魚住為楽氏であった。彼は仏具の中の砂張(さはり)の鈴の鋳造方法にヒントを得て銅鑼製作を始め、その音響は絶賛の対象となったという。
 銅鑼は他の工芸品とは異なり、音色を生命とする楽器。魚住為楽氏の造る銅鑼は、余韻を残して響くその音色が絶妙で素晴らしい。材料の砂張は、金属鋳物の中で最も鋳造が難しいと言われる鋼と錫の合金で、配合のバランスが音響の質の決め手となる。現在では、三代目魚住為楽氏がその技を継承しているという。
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