NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/11


弓道 Kyuudou 

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 弓道とは、剣道・柔道と並ぶ日本で最も広く行われている武術の一つである。
 長さ221センチメートルの長い和弓(わきゅう)を用い、矢を放ち的にあてる。この間、射法八節(しゃほうはっせつ)という規定動作が行われる。足踏み(あしぶみ)・胴造り(どうづくり)・弓構え(ゆがまえ)・打起し(うちおこし)・ 引分け・会(かい)・離れ・残心(ざんしん)の順に所作を行う。この動作は、心身の鍛錬と礼儀作法を基調としている。
 上着は白木綿で襦袢(じゅばん)形の筒袖、黒や紺色の袴(はかま)を着用する。男性は馬乗袴、女性は馬乗袴または、長いスカートのような行灯袴(あんどんばかま)である。弓掛(ゆがけ)という鹿の革の手袋を右手に着け、弓を引く。
 競技方法は「あたり」と「はずれ」のみで判定する得点制と、審査員が採点する採点制がある。
 現在は武芸からスポーツへ移行してきてはいるが、古来から続く流派も存在している伝統文化である。
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2008/1/24


肥後三郎弓 Higo-saburou-yumi 

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 肥後三郎弓(ひごさぶろうゆみ)は、名人松永重児によって作られた、薩摩弓の強さと京弓のしなやかさの、両方の特徴を合わせ持つ、美しい弓である。
 重児氏は七歳から弓作りを始め、一六歳で薩摩弓の研究のために鹿児島へ修行に出向いた。芦北白石の球磨川沿岸が竹と櫨(はぜ)の産地だということを知り、後にその地に移住して弓作りに情熱を傾けたという。
 鹿の皮を煮詰めて作った「ニベ」という接着剤で、竹と櫨の木を何重かに交互に重ね合わせて芯を作り、さらに両側から竹を張り合わせて原型が作られる。使用される竹と櫨は球磨川沿岸の厳選されたもののみを、二〇年もの間寝かせてから加工するという。
 時間を惜しまず、手間も惜しまず、職人の手で心を込めてゆっくりと制作された肥後三郎弓は、国内外の弓道家などに高い評価を得ているという。
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2007/5/23


甲州印伝 Koushu-Inden 

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 甲州印伝(こうしゅういんでん)は山梨県甲府市に伝わる細工物で、経済産業大臣指定の伝統工芸品である。
 印伝とは漆で模様をつけた鹿革を加工したもので、財布、印鑑入、巾着、ハンドバッグなどの製品が作られている。
 手や体になじみ、大変な強度もそなえていることから、戦国時代には武具の一部にも使用された。
 寛永年間(1624~1644)、日本に来航した外国人が献上した装飾品の柄を模したものが始まりとされ、基となった装飾品が印度から伝来したものと伝えられたことから「印度伝来」がのちに「印伝」と称したとされる。
 江戸時代には各地に産地があったが、現在は甲州印伝のみが伝統を受け継いでいる。
 一つ一つを手作業で作り上げる製品は、使い込むほどに馴染み、味わいを増す工芸品である。
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2006/12/15


印傳 Inden Inden (lacquered deer hide)

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 印伝(いんでん)とは、鹿革に漆加工を施した日本の伝統工芸品。平安朝の頃にインドからその技法が伝来したとされる。甲州で印伝の技術が発達した理由は、山に囲まれ原料となる鹿が多く生息、そして漆がとれたことによる。
 染めた鹿革に型紙(手彫りされた和紙)を重ね、その上からへらで刷り込むようにして漆をのせていく「漆付け(うるしつけ)」が代表的な技法。型紙をはずすと漆が盛り上がり、独特の光沢を放つ。
 印傳屋は天正十年(一五八二年)創業。印傳屋の遠祖上原勇七が甲州印伝を創案したと言われる。体になじみ、強度もあるため、武具の一部としてさかんに使われ、江戸時代になると巾着や財布など、実用と装飾を兼ねたものへと広がった。家伝の秘法を代々継承し、研鑽を重ねてきた印傳屋の、時を超えて伝えられた印伝は、現代人をも魅了する。
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