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2008/6/20


村上城(臥牛山城) Murakami-jou(Gagyuuzan-jou) 

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 村上城(むらかみじょう)は、新潟県村上市一之町の臥牛山(がぎゅうざん)にあった平山城で、歴代の村上藩主の居城であった。またの名を「臥牛山城」とも言う。標高135mの「臥牛山」は、その山容が、草の上に伏した牛の姿に似ている。
 戦国時代、この地の領主で上杉家家臣であった本庄氏が築城したとされ、当初は木柵がはりめぐらされた中世式の城郭であった。
 慶長三(1598)年、上杉景勝の会津転封に伴い本庄氏も会津へ追従した。上杉転封のあとに越後には堀秀治が入封。このため村上城も堀秀治の家臣・村上頼勝が領主となり、その時に、城下町の整備と共に石塁が増築され、三層造りの天守閣も造営された。
 村上氏以降、幕末まで約二〇回ほども城主が入れ替わり、幕末に旧幕府軍側にたった村上藩は新政府軍の攻撃を受け、城は自落。残った建物もすべて焼失した。
 現在は石垣、門礎石などが残っており、散策コースが整備されている。平成五(1993)年に国指定の史跡となった。
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2007/12/20


とちお祭 Tochio-matsuri 

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 とちお祭(とちおまつり)は、新潟県長岡市の旧栃尾市区域にて毎年八月下旬に行われている祭りである。
 栃尾ゆかりの戦国武将・上杉謙信が、信仰した毘沙門天を巣守神社(すもりじんじゃ)に祀り、豊作を祈願したのが始まりといわれている。
 とちお祭では、オープニングで栃尾のうまいものが集まる味のテント村や、各種演奏を披露する。
 祭りでは、伝統の栃尾甚句に合わせて通りを埋めつくす人々が踊る大民踊流しや、みこし渡御、町内会ごとに時代を反映し趣向を凝らした山車と踊りで市街地をめぐる仁和賀(にわか)行進、全国でも珍しい、力自慢の男女が樽みこしを引き合う樽みこし綱引きなどが行われる。
 その締めくくりは夜空を彩る5000発の花火で、フィナーレを飾る大輪の花に、祭りの終わりを惜しむかのような歓声があがる。
 とちお祭は、楽しくて見ごたえのある祭りである。
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2007/10/9


越後与板打刃物 Echigo-yoita-uchihamono Echigo Yoita Forged Blades

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 新潟県長岡市与板地区の打刃物産業は四百年余りの伝統を誇り、その切れ味の鋭さと使いやすさには定評がある。
 戦国時代の天正六(1578)年、上杉謙信の家臣が春日山より刀剣師を招き打刃物を作らせたのが始まりで、享保年間(1716~36年)には与板の大工道具は「土肥のみ」または「兵部のみ」として知られるようになった。明治に入ると刀剣師が鉋(かんな)の製造に着手し、全国にその名をとどろかせた。そして昭和六一(1986)年、のみ・かんな・まさかり・ちょうなについて、通産大臣(現経済産業大臣)より「越後与板打刃物(えちごよいたうちはもの)」として伝統的工芸品の指定を受けるに至った。
 与板の打刃物は火づくりの鍛造技法によるもので、地鉄に鋼をのせ丹念に焼いては叩きの地道な工程を繰り返し、伝統工芸師の魂が宿った完成品へと仕上げられて行く。
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2007/7/31


上杉まつり Uesugi-matsuri Uesugi Festival

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 山形県米沢市の城下町で毎年行なわれるお祭り。
 藩祖・上杉謙信公を祭神とする上杉神社と、2代景勝公・10代鷹山公を合祀する松岬神社の春の大祭である。
 4月29日から5月3日の期間、
会場となる松が岬公園には露店がたちならび、多くの人で賑わう。
 祭りのならわしで、家庭の主婦はいそいそとウコギを摘み鯉を煮て、祭料理に精をだす。
 笛や太鼓の音にのせて,千人規模の踊り手が色とりどりの衣装に身を包み、花笠踊りなどを踊り町中を練り歩く。
 最終日には、上杉、武田軍が死闘を演じた「川中島の合戦」を再現。両軍あわせて約700名もの武者姿の人々や馬たちが、実践さながらに演じる。
 
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2007/3/19


前橋城跡 Maebashi-jyou-ato Maebashi Castle Ruins

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 前橋城の前身は、厩橋(まやばし)城。箕輪城主、長野氏の一族である長野賢忠が戦国時代、天文三(1534)年に築いたとされる。
 前橋城は、戦国時代から江戸時代にかけて、北関東の要所として戦国群雄の争奪戦が繰り広げられた城である。天文二十(1551)年、上杉氏が北条氏に敗れたことにより、上州は北条氏の配下となり、厩橋城も北条氏のものとなる。
 その後永禄三(1560)年、権力奪回を窺っていた上杉謙信が厩橋城を攻め落とした。
 以降、甲斐の武田氏、織田信長、北条氏、平岩氏、酒井氏と、城主が目まぐるしく変わるこの厩橋城が「前橋城」と名を変えたのは、慶長六(1601)年、酒井重忠の代に城を大改修して近世城郭を築き上げたときのこと。酒井氏の代は9代、150年続いたが寛永二(1749)年に姫路へ転封、代わりに松平氏が17万石で入封、明治維新を迎えた。
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平井城跡 Hirai-jyou-ato Hirai Castle Ruins

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 平井城は、現・群馬県藤岡市を流れる鮎川左岸の断崖上に所在した城である。
 室町時代の永享十(1438)年頃に、関東管領、上杉憲実により築城されたといわれる。後に小田原の北条氏康に攻められ落城、その後越後の長尾景虎(上杉謙信)が奪還したが、景虎は関東における拠点を前橋城に移したため、平井城は廃城にした。
 平成七年から平井城跡の発掘調査が行われ、15世紀中頃から16世紀後半の遺物が出土した。土塁や横堀、堅堀、橋脚台跡、掘立柱建物跡、竪穴状遺構、厠跡などが発掘され、歴史的価値のある史跡として
 県指定の史跡にもなっている。
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2007/2/16


尾浦城 Oura-jyo Orajo Castle

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 尾浦城は、山形県鶴岡市大山にあった城である。
 尾浦城は高館山から東側に延びた丘陵尾根先端に位置する平山城であったという。
 武藤氏が天文元(1532)年、大宝寺城から大浦に移り築城したのが始まりとされる。
 武藤義氏は上杉謙信の力を背景に庄内を平定したが、東禅寺義長の謀反により自害した。
 以後、武藤家、上杉家、東禅寺家による陣取り合戦が続き、尾浦城所有者は次々と入れ替わった。
 慶長五(1600)年、庄内は最上義光領となり、尾浦城は再建され「大山城」と改名された。
 元和八(1622)年、最上氏改易で廃城になる。
 現在は、鶴岡西高校前の大山公園が城跡となっている。
 尾浦城は、戦乱により次々と主君が替わった城であり、まさに戦国時代の象徴といえる。
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2007/1/26


上杉神社 Uesugi-jinjya Uesugi Shrine

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 山形県米沢市にある神社。戦国時代の名将上杉謙信公を祀る。
 桜の名所である松が岬公園内に位置し、毎年4月29日に、上杉謙信公を祭神とした「米沢上杉まつり」で賑わう。公園は、米沢城跡地であり、神社は、本丸の奥御殿があった場所にあたる。
 謙信公は武田信玄との壮烈な川中島合戦のあと、天正6年(1578)3月13日越後山城中で逝去した。その遺骸は移設されることが多かった。
 1598年、2代目上杉景勝公が会津に移封されると、越後領主堀秀治が、その遺骸の移転を請う。景勝公は、会津若松城内に御堂を造って移す。
 1601年、景勝公米沢移封に伴って、遺骸を米沢城に移し御堂に納めた。
 1612年祠堂を造営し、中央に遺骸、左に善光寺如来尊、右に毘沙門天を安置する。明治4年、祠堂を改め、謙信公、鷹山公ニ柱を祀り、上杉神社と称し神祭を行うこととなった。
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