NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/1/25


四日市萬古焼 Yokakaichi-banko-yaki Yokkaichi Banko Ware

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 四日市萬古焼(よっかいちばんこやき)は、三重県四日市市で焼かれる伝統工芸品である。
 江戸時代中期、茶の湯と陶器が趣味の大商人・沼波弄山が、自作が永遠に残るよう願い「萬古不易(ばんこふえき)」の印を押したのが、萬古焼の名の由来である。
 萬古焼は、弄山の死とともに一時中断したが、江戸時代後期になって再び焼かれるようになった。現代の四日市萬古焼は、その時の技法を研究して明治時代の初めに焼かれた物が元になっている。
 四日市萬古焼は、各時代の流れに沿った特色ある陶磁器を生産し続けている。土鍋は全国の7割を生産、また急須でも名高い。
 四日市萬古焼は四日市の代表的な地場産業であり、庶民の暮らしと密接に結びつく工芸品である。
 1979年、伝統工芸品の指定を受ける。
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志賀島 Sika-no-sima The Island of Shika-no-Shima

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 志賀島は、福岡県福岡市東区にある島で、博多湾の北部に位置し、砂州により本土と陸続きになった陸繋島である。
 志賀島は、周囲約11km、全戸数約790戸、人口約3000人余り。このような形態の島は、全国的にも珍しい。
 天明四(1784)年、2人の農民がこの島の田んぼで偶然「漢倭奴国王」の金印を発見した。
 中国の後漢書に、57年、光武帝が奴国の使者に金印を渡したと書いてあり、これがその金印だと言われている。歴史的にも貴重な品で、国宝である。
 この金印は日本の歴史の始まりを示す品であり、今は福岡市博物館に展示されている。金印がなぜこの志賀島に埋没していたかは今でもよく解っていない。
 志賀島は、古代日本の大陸・半島への海上交易の出発点であり、古から続く歴史的舞台である。
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2007/1/23


鈴鹿墨 Suzuka-zumi Suzuka Sumi Ink

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 鈴鹿墨は、鈴鹿の山の松材から作った上品な墨である。
 平安時代初期に鈴鹿の山で採れる松材を燃やして油煙を取り、それをニカワで固めて墨を作ったのが始まりと伝えられている。
 江戸時代に大名の家紋が決められたり、寺子屋が広まったこととともに墨を必要とする人が増え、領主に保護されたこともあって生産が増えた。
 鈴鹿墨は、地理、及び気候風土の諸条件に恵まれているため、作品創作時の墨の発色が良く、上品で深みがあり、基線とにじみが見事に調和する品である。
 現在も、昔ながらの「型入れ成形」等の技法を用いて油煙墨、青墨、松煙墨を製造し、その生産量は全国の30%を占める。
 1980年、通産省の伝統的工芸品に指定される。
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