NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/6/29


掛札英敬 KakefudaHidetaka Hidetaka Kakefuda

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 オーダーメイドの風呂敷を専門とする染物店「京都 掛札」三代目。1977年、京都市生まれ。1996年、京都市立芸術大学入学。在学中に彫刻専攻から構想設計専攻に移籍。大学在学中に家業を手伝い始め、代々店に伝わる家紋帳を見て伝統模様に興味を抱き、大学卒業後に家業を継ぐ。
 2004年、中村勘九郎の「十八代目中村勘三郎襲名」の挨拶の品として木綿の風呂敷のデザイン、制作を担う。これをきっかけに翌年、唐草や亀甲など日本の伝統文様をアレンジした綿の風呂敷を発表。「入門編として気軽に使かってもらえる風呂敷が欲しいと思ったんです」と語る口調は、まったく気負いがない。2005年以降、日本伝統の文様をもとにした「ジャパニーズモダン」とも称される新作風呂敷を発表し続けている。
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2007/6/14


西祖谷のかずら橋 Nishiiya-no-kazurabasi Nishi-Iya Vine Bridge

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 西祖谷のかずら橋は、徳島県三好市西祖谷(にしいや)山村善徳にあり、日本三奇橋の一つに数えられる。かずら橋とは、しらくちかずらなどの葛類を使って架けられた原始的な吊り橋である。
 起源は、弘法大師が困っている村民のために架けたとか、平家の落人が、追手が迫ってもすぐ切り落とせる葛を使って架設したとの伝説もあるが、定かではない。
 祖谷川の渓谷は極めて深い。その為、祖谷川両岸の往来は困難を極め、住民が工夫の末作りだしたのが、このかずら橋である。
 現在の西祖谷のかずら橋は長さ45m、幅2m、谷からの高さ14mであり、国の重要有形民俗文化財となっている。
 人ひとり渡っても揺れ、床面も丸太や割木を荒く編んだだけで、スリル満点である。この橋の特徴を表す歌として、「祖谷の粉ひき節」がよく知られている。
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2007/5/15


仙台七夕まつり Sendai-tanabata-matsuri Sendai Tanabata Festival

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 「青森ねぶた」、「秋田竿灯」、「山形花笠」をはじめとする東北四大祭りの一つ。
 七夕飾りや祭りは、江戸中期から全国各地で行われていたため、仙台が元祖というわけではないが、仙台藩祖・伊達政宗が奨励していたと言われる伝統的な祭り。
 明治に入ってからは新暦の採用等で七夕まつりは、年々衰退の一途を辿っていったが、不景気を吹き飛ばそうと1927年、商家の有志達が仙台商人の心意気とばかりに、華やかな七夕飾りを復活させた。久しぶりにその光景を目にした仙台っ子達は喝采したと言われる。ただ、今日の様な大規模なものではなく、戦局の悪化とともに再び小規模なものへとなっていった。そして、戦後の1946年に復活し、現在のような形で開催される様になった。
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2006/12/22


石州和紙 Sekisyuu-washi Sekisyuu Japanese Paper

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 島根県の西部石見地方一帯で、伝統工芸品として今でも作られている、手漉きの和紙。その歴史は1300年と言われる。
 原料には地元で栽培される良質な楮(こうぞ)の木など、植物の靭皮(じんぴ)繊維を使う。
 かつて大阪商人は、石州半紙を帳簿に使っていた。帳簿は商人の命の次に大事なもので、火災のときには、帳簿を井戸に放り込んで避難する。石州半紙でできた帳簿は、微細、強靭に作られているため、顧客情報を失うことはなかったと言う。
 石州和紙が完成するまでの工程は、原材料の調達から、加工、紙漉きまで10工程以上もの作業、すべて手作業で行われ、職人として高度な技術を必要とする。
 重要無形文化財にも指定されている。
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2006/12/18


白川郷(世界遺産) Shirakawa-go(Sekai-isan) Shirakawa-go (World Heritage)

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 平成八(1996)年、世界遺産に認定された「白川郷・五箇山の合掌造り集落」。白川郷とは、岐阜県白川村荻町の合掌造りの集落を指す。合掌造りの家屋の多くは、江戸時代末期から明治時代に建てられた。
 合掌造りとは、木材を梁の上に山形に組み合わせて建築された住居で、勾配の急な茅葺き屋根を特徴とする。屋根が三角形になっているのは、積雪の多さに対応するため。建物が南北に面して建てられているのは、白川の風向きを考慮し、風の抵抗を最小限にするとともに、屋根に当たる日照量を調節し、夏は涼しく、冬は保温される合理的なしくみである。
 ドイツの建築学者ブルーノ・タウトが「極めて論理的、合理的で、日本には珍しい庶民の建築」と自著で紹介し、世界的に知られることになった。
百棟余りの合掌造りの家が並ぶ風景は、日本の里山の原風景を思い出させてくれる、やすらかさに満ちあふれている。
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2006/12/17


漆刷毛 Urushibake Urushibake (Urushi Brushes)

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 12世紀頃、仏像仏具等の漆塗りに使われたのが、漆刷毛の始まりと言われ、明治18年に京都から三島郡鳥飼村に伝わった。
 日本の数ある漆工芸品には、この漆刷毛は欠かせない重要なものとなる。漆塗りの技術には、刷毛むらなく均一に塗れて、塵ひとつない仕上がりが求められる。したがい漆塗りに用いられる漆刷毛も極めて入念な細かい手作業が必要となる。
 刷毛の素材には主に人毛が用いられる。漆が最も嫌う油気が人毛にはなく、薬品による傷みもほとんどない。長い時間乾燥させた日本女性の髪が最適といわれる。
 よく選別された人毛を糊漆で固め、檜の板で合わせ十分に締め付ける。最後に鉋で整形して仕上げる。
 漆塗り職人たちは使用中、毛先の様子を伺いながら「使っては削る」を繰り返し20年ほど使い続ける。
各地方の漆の塗り方によって製法を変える作業も必要となる。漆刷毛製作の職人の技はこうした長年の経験から生まれる。
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2006/12/15


南部菱刺し Nanbu-hishizashi Nambu Diamond Embroidery

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 南部菱刺しは、青森県八戸を中心とした南部地方で古くからおこなわれてきた刺し子である。
 発祥は、古く今から200年前まで遡る。当時の農民は、麻や芋麻の着物しか着ることを許されず、木綿は糸として使うものと決められていた。そこで農村の女たちは知恵を働かせて、補強と保温のために麻に木綿糸を刺して北国の厳しい寒さを凌いできたのである。そして、この技術が今に受け継がれ、伝統工芸として花開いた。
 横長でひし形の美しい模様、そして模様の種類の多さに魅了され、明治・大正・昭和の時代の南部菱刺し衣裳収集家もいるという。また、今では手芸愛好家に人気を集め、南部刺しは一般の人々にも注目されている。
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2006/12/11


越前和蝋燭 Echizen-wa-rousoku Echizen Japanese candles

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 福井県越前市の伝統工芸に越前和蝋燭がある。大部分を職人による手作業で作る。県の郷土工芸品の指定品だ。
 越前和蝋燭は江戸時代に創業、仏教と共に発展した日用品だ。”華燭の典”の言葉通り、儀式にも不可欠なものだった。信仰心の厚い土地柄に支えられ、この福井の地で長く伝統に磨きをかけられてきた。
 原料は植物のハゼの実。そして芯は特別に漉いた和紙。完成した蝋燭は、断面が年輪状になる。絶えず芯から空気が供給されるため、常に炎のかたちが変化するのが特徴だ。揺らぐ炎は消えにくく、油煙も少ない。そして独特の形と朱い色はどんな空間にも馴染み、周囲を明るく包む。現代では主に仏壇に使用されることが多いが、他にもパーティやインテリアにも使えそうだ。
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