NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/13


満月 Mangetsu Full Moon

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 満月(まんげつ)とは、欠ける事なく円に見える月の事で、月と太陽の黄経差が180度となる事、あるいは月齢約14.8、十五夜とも呼ばれる。
 月の満ち欠けは「朔望」とも言われ、太陽との位置関係で決まる。
 太陽と同じ方向にある場合を新月あるいは朔、反対方向にある場合を満月あるいは望と言い、その間に上弦・下弦の半月が存在する。
 満月の時、月と太陽は地球を間において反対側にある。これが正反対になるとき、月食が起こる。
 太陰太陽暦では一五日前後がかならず満月になり、このため中国暦では一五日を望日と呼ぶとされているが、実際には太陰太陽暦には誤差があり、一五日だからといって満月とは限らない。
 満月はよく鑑賞の対象となるが、特に旧暦八月一五日は中秋の名月といわれ、月見の行事が行われる。
 満月は最も明るい夜であり、昔から不思議な力が信じられてきた、美しさと神秘の象徴でもある。
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2007/10/31


渡月橋 Togetsu-kyou 

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 「渡月橋(とげつきょう)」は、京都嵐山の桂川に架かる、全長一五五メートルの橋である。
 別名「嵐橋」とも呼ばれるこの橋は、承和三(836)年、弘法大師の弟子である道昌(どうしょう)が、大堰川(おおいがわ)修復のとき架橋したものである。
 亀山上皇が、曇ひとつない夜空に、まるで月が橋を渡るかのような風景をみて「くまなき月の渡るに似る」とひと言もらしたことから「渡月橋」の名がついたといわれている。
 この橋は、応仁の乱での焼失や洪水などで幾度か再建されたが、慶長一一(1606)年に角倉了以(すみのくらりょうい)によって現在の位置に架けかえられた。
 現在の橋は昭和九(1934)年に鉄橋として改修されたものだが、橋の欄干(らんかん)や桁隠しやは木製を使い、昔の面影を今に伝えている。
 渡月橋の南には、桜の名所で全国的に有名な標高三七五メートルの嵐山がある。お花見や新緑、紅葉や雪景色など、まさに四季折々の素晴らしい景観が楽しめる場所である。

 
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2007/10/24


【潮】 Chou The Character for Tide

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 大自然をテーマとする親しみやすい字。
 本来は水と艸と日だけを合わせた字で、後で月が加わりました。日(太陽)の上下に草があります。左右が反対の字体もあります。月がはじめて加わるのは篆文(てんぶん)です。古代、太陽と月の天体の形そのものを表すためにその字の真ん中に点を付けることがありました(例外あり)。現在の「日」の真ん中の線はこういう由来です。また他の字と間違えないためでもあります。例えば、環の中の○と太陽を区別できるように。(実は、詩的な言葉使いでは、太陽、月、星はよく玉にたとえられました。『荘子』でもそうです。)
 潮の甲骨文字と金文(きんぶん)の旧字体には月の部分がまったくありません。勿論、古代人が月に興味がなかったというわけではありません。ただ、月の引力は潮の満ち干を起こさせるといった科学的な因果関係についての認識がなかっただけだと思われます。
 『百人一首』などのような平安文学をみても月に対する日本人の特別な思い入れがわかりますが、それほどまででないにしても、古代中国人の月への執着も著しいものです。青銅器に刻まれた金文にある望という字には、月を4週に分かつ時間の捉え方が見られます。また、この字には、月への執着だけではなく、月の引力発見にまで至らないものの、冷静な天文学的な、雲気などの観察との関係もみられます。
  
■ 潮・金文(きんぶん)
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2007/9/27


隠岐武良祭風流 Oki-mura-matsuri-fuuryuu Oki Muramatsuri Furyu

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「隠岐武良祭風流(おきむらまつりふうりゅう)」は隠岐三大祭りのひとつで、隔年の一〇月一九日に行われている。
 その起源は鎌倉時代の初めに遡り、隠岐の守護に任ぜられた佐々木定綱(さだつな)が、本国近江から日神・月神を迎え、五穀豊穣を祈願して始めたことと伝えられている。
 元屋八王子神社に祀られている日神(日天子)と、中村一之森神社に祀られている月神(月天子)が、この武良郷(むらごう)の地の神々たちと、中村の会所で出会うというもの。
 両神社から行列が出て会所に向かう。到着すると「日天子・月天子の和合による礼」が行われる。
 さらに、甲冑を付けた武者の「行司礼拝」、化粧した若者が囃子に舞いながら大太鼓を打つ「陰陽胴打ち」、子供による相撲の舞い「神相撲(こずま)」、青年による相撲の舞い「占手(うらて)」などが続き、流鏑馬(やぶさめ)を最後に祭りは終了する。
 古式ゆかしい多彩な行事は、まるで歴史絵巻のようで県の無形民俗文化財に指定されている。
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2007/9/11


青麻神社 Aoso-jinja Aoso Shrine

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 青麻神社(あおそじんじゃ)は、全国の青麻神社の総本社で、太陽・月・星を一緒に祀っており、名水の名所としても知られる。
 仁寿二(852)年に、現社家の遠祖・穂積保昌が京都からこの地に来て、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、月読神(つくよみのかみ)の日月星の三光神を清水湧く岩窟の中に奉祀したのが始まりとされている。あわせて里人に麻の栽培を教えたといわれ、これが神社や地名の由来となっている。
 この神社は昔から中風病退除のご利益で知られ、また創健者である穂積一族が水運に携わっていたことから海上安全の神として崇められており「三度詣でれば生涯中風の難よりのがれる」と伝えられている。
 現在境内には名水「おすず」が湧き出ており、清らかな水を求めて多くの参詣者が訪れる。
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2007/9/10


ソラヨイ Sorayoi Sorayoi

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 ソラヨイ(十五夜そらよい)は、鹿児島県南九州市知覧町(旧・川辺郡知覧町)に伝わる伝統風習であり、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 五穀豊穣を祈り、土地の神と月に感謝する祭りであるが、発祥については、よく判っていない。
 また、名前の由来は「空が良い」「それは良い」と言われているが、はっきりしていない。
 ソラヨイは、月が出る頃に始まる。田圃に積み上げられたワラ造りの「ワラコズン」の中に人が2人入り、右回りに回し出す。
 中学生までの男の子が「ソラヨイ・ソラヨイ」と囃しながら、ワラみの笠、腰みの、ふんどし姿で、逆方向に廻りながら、素朴で神秘的な踊りを見せる。
 ソラヨイ終了後は、大人・子供にわかれて、3回綱引きをし、その後、ワラを崩して土俵を作り、相撲をとる。
 ソラヨイは、素朴で珍しい、一五夜の伝統行事である。
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2007/6/21


八月 葉月 Hachigatsu Hazuki August,Hazuki

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 八月は別名を葉月(はづき)という。
 その由来はいくつかあり、新暦の九月から十月にあたるため、葉がおちる秋の表現である「葉落月」、また稲の穂が張る月から「稲張り月」、そして「張り月」に転じて葉月となった等、多くの説がある。
 また、中秋の名月と呼ばれる満月を見れることから「月見月(つきみづき)」の別名もある。
 年中行事として、八月の二日から七日に行われる青森ねぶた祭り、四日から七日に行われる秋田竿灯、六日から八日に行われる仙台七夕など、東北地方では短い夏を謳歌するように大きな祭りが行われ、鮮やかな夏に更に彩をそえる。
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2007/6/4


朔(新月) Saku(Shingetsu) The New Moon

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 「朔(さく)」とは、月が太陽と同じ方向にあって、月を見る事ができないこと。「新月」とも呼ぶ。
 地球から見て月と太陽が同じ方向となり、月から反射した太陽光が地球にほとんど届かないことと、強い太陽光の影響で地上からは月が見えない。太陽の経路である黄道と、月の経路である白道が極めて近いか重なる地点で朔となった場合に「日食」が起こり、新月の輪郭が白い光の輪となって見ることができる。
 朔から次の朔までの周期は約29・5日である。風水の世界では、新月に入った瞬間から8時間以内に願い事のリストを2個以上10個以内作ると、願いが叶うと信じられているという。
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