NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/1


百済寺 三重塔 Kudara-ji Sanjuu-no-tou 

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 奈良県北葛城郡広陵町にある百済寺(くだらじ)の創建の時期、経緯等は明らかでない。寺は三重塔と小さな本堂を残すのみである。
 塔は鎌倉時代中期に建立され、高さ22.9メートル、本瓦葺である。長い相輪を持つ。三手先(みてさき)、二層の繁垂木(しげたるき)を用い、がっしりと軒を支えている。軒先の四方には牙を出したかわいらしい鬼瓦(おにがわら)が据えてある。
 塔の内部は四天柱と来迎壁(らいごうへき)があり、須弥壇(しゅみだん)という大型の壇に、金剛界大日如来像を安置する。明治三九(1906)年に県の重要文化財に指定されている。
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2008/8/8


成田祇園祭 Narita-gion-sai 

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 成田山祇園会(なりたさんぎおんえ)は、千葉県成田市にある成田山新勝寺奥之院の大日如来(だいにち にょらい)の祭りである。
 新勝寺の本尊は不動明王であるが、不動明王は密教の根本尊である大日如来の化身である。
 成田山の祇園会は三〇〇年の歴史を持ち、毎年7月上旬に行われる祇園会にあわせて行われるのが、成田祇園祭である。
 大日如来の御輿渡御を先頭に、旧成田町全域の一〇台の山車や屋台が賑やかに繰り出され、各町内をくまなく巡行する。
 大きな山車や屋台が、狭くて急な坂を、山車上の若衆頭があおる掛け声やお囃子に合わせて曳き上げられていく様子に誰もが熱くなる。
 特に新勝寺境内に山車が集結し、囃子や踊りの競演を行う「総おどり」も実に壮観で、まさに関東屈指の夏祭りである。
 
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2008/5/26


深川閻魔堂 法乗院 Fukagawa-enmadou Houjou-in 

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 法乗院(ほうじょういん)は、東京都江東区深川にある真言宗豊山派の寺である。本尊は大日如来(だいにちにょらい)。
 江戸三閻魔のひとつで、御府内八十八ヶ所第74番札所とされ、通称・深川閻魔堂(ふかがわえんまどう)と呼ばれている。
 寛永六(1629)年、現在の東京都江東区である深川富吉町に創建され、寛永一八(1641)年に現在地へ移った。
 開山は覚誉憎正(かくよそうじょう)で、古くは閻魔王を本尊としたが、宝暦一〇(1760)年の類焼後、大日如来を本尊にした。
 境内の閻魔堂には、運慶(うんけい)作と伝わる閻魔像と十王像が安置されていたが、戦災で消失した。現在は、19ある特殊賽銭箱に賽銭を入れると、閻魔様の説法が聞ける日本一のハイテク閻魔様として知られている。
 深川閻魔堂・法乗院は、地元では「深川のおえんまさん」として慕われている寺である。
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2008/5/12


入鹿神社 Iruka-jinja 

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 奈良県橿原市(かしわらし)の小綱町(しょうこちょう)にある「入鹿神社(いるかじんじゃ)」は、蘇我入鹿(そがのいるか)の邸宅があった場所と伝えられており、ご祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と蘇我入鹿である。
 蘇我氏は、古墳時代から飛鳥時代に活躍した氏族である。聖徳太子の死後、蘇我氏は天皇家をしのぐほどの勢力を持つようになったため、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)や中臣鎌足(なかとみのかまたり)が、中国から帰国した留学生とともに、天皇中心の中央集権国家の建設を目指し、蘇我氏を倒した。
 このように日本書紀には、蘇我蝦夷(そがのえみし)や入鹿が、大化元(645)年の「大化の改新」による政治政策で討滅されたとあるが、地元では今でも神として大切に崇められている。
 昔は普賢寺(ふげんじ)という寺があり、入鹿神社の神宮寺として建立された寺だったが、明治初めに廃寺となった。大日如来を納めた本堂だけは、大日堂として残されており、国の重要文化財に指定されている。
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2008/3/7


宝福寺 三重塔 Houfuku-ji Sanjuu-no-tou 

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 総社市の北西、秋葉山の山すそにたたずむ宝福寺(ほうふくじ)は、この地に生まれ後に画聖と称えられた雪舟が、少年時代に修行した寺。絵ばかり好んで経を読もうとしないので、寺の僧は雪舟を仏堂の柱にしばりつけた。しかし床に落ちた涙を足の親指につけ、床にねずみを描いたところ、僧はその見事さに感心し、雪舟が絵を描くことを許したという。山門近くには、柱に縛られた姿の雪舟のブロンズ像が置かれている。
 境内に立つ三重塔(国指定重要文化財)は、墨書銘から南北朝時代の永和二(1376)年に建てられたものであることが判明。岡山県下では二番目に古い三重塔である。高さ18・47m、本瓦葺、丹塗りで、軒の出が深く、室町時代初期の寺院建築の風格を備えている。
 塔内初層には須弥壇(しゅみだん)が設けられ、大日如来と脇侍四天王が安置され、天井には天女の絵が描かれている。
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2008/1/24


黒貫寺 Kuronuki-dera 

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 黒貫寺(くろぬきでら)は宮崎県西都市にある寺である、正式名称は真言宗智山派黒貫寺。
 天慶九(946)年に真言宗の名僧である隆元によって建立された。また遡って、クマソ征伐の折にはヤマトタケルと景行天皇が訪れ、滞在した場所といわれる。
 南北朝時代に伊豆から現地に赴いた伊東氏 が都於郡(とのこおり)を治めていた時代には日向第一の寺院として栄え、その後も島津家の加護を受け江戸時代まで隆盛を誇っていた。
 境内の観音堂には大日如来坐像、聖観音坐像、薬師如来立像の三体が祀られている。明治七(1874)年に火災によって山門を残しすべて焼失し、現在残る観音堂は末寺である久峰(ひさみね)寺の観音堂を移築したものである。また、佐土原町西上那珂の平等寺にあった木造の仁王像がある。
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2007/12/6


長保寺 多宝塔(国宝) Chouhou-ji Tahou-tou The Tahoto Pagoda (National Treasure) at Chohoji Temple

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 天台宗・長保寺(ちょうほうじ)は紀州藩主・徳川家歴代の墓所がある寺として知られている。その寺にある大門、本堂と並んで国宝に指定されているのが多宝塔(たほうとう)である。
 正平一二(1357)年の建築といわれており、純和様の貴重な遺構である。
 多宝塔は二重の造りになっており、屋根は本瓦葺で、頂上には相輪が飾られている。一重の内部には四本の柱が配され、須弥壇が置かれており大日如来像が安置されているという。
 下重の出組や上重の二重繁垂木など、随所に木組みの見事な美しさが見られる。
 高さ一三・四mと少々小ぶりだが、国宝らしく凛とした存在感のある、均整の取れた美しい塔である。
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2007/11/28


法観寺 五重塔(八坂の塔) Houkan-ji Gojuu-no-tou(Yasaka-no-tou) 

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 法観寺(ほうかんじ)は京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院である。
 この寺の五重塔は室町時代の建築物で、高さは約49メートル、東寺や興福寺の五重塔に次ぐ高さだ。
 茶屋や数奇屋の軒が並ぶ風情ある八坂通りを進んでいくと、正面にこの五重塔が現れる。夜はスポットライトで照明され、町並みとともに写真に収める観光客も多い。法観寺の塔というよりも八坂の塔(やさかのとう)としての名称のほうが有名だ。
 作りは純和様、本瓦葺。塔の五層部には欄干を意味する高欄がある。中心の礎石は創建当初のものがそのまま用いられており、初層内部には大日如来を中心とする金剛界五仏が安置されている。
 また二層目までは階段で登ることもでき、高台にある塔の二階から、京の町並みが堪能できる。
 明治三〇(1897)年に国指定重要文化財となっている。
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