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栄寿二(1183)年の平家と木曾義仲の戦いで有名な倶利伽羅峠の近くにある不動尊。日本三大不動尊ともいわれている。
養老二(718)年、元正天皇の勅願でインドの高僧善無畏三蔵法師がこの地で修法。感得した剣に巻き付いた黒龍の姿を彫刻して、倶利伽羅不動尊と名付けたとあり、それが奥の院の本尊といわれている。
その一〇〇年後、弘法大師がこの倶利伽羅不動尊にたどり着き、三蔵法師作の不動尊とほぼ同じ像を刻み、護摩法を行った。その像は本堂に祀られている。
栄寿二年の源平の合戦で、一部を消失したが、源頼朝の寄進で再興、江戸時代には加賀藩の長楽寺と称した祈祷所があった。
倶利伽羅とは、インドの言葉で「黒い龍」を意味する。
養老二(718)年、元正天皇の勅願でインドの高僧善無畏三蔵法師がこの地で修法。感得した剣に巻き付いた黒龍の姿を彫刻して、倶利伽羅不動尊と名付けたとあり、それが奥の院の本尊といわれている。
その一〇〇年後、弘法大師がこの倶利伽羅不動尊にたどり着き、三蔵法師作の不動尊とほぼ同じ像を刻み、護摩法を行った。その像は本堂に祀られている。
栄寿二年の源平の合戦で、一部を消失したが、源頼朝の寄進で再興、江戸時代には加賀藩の長楽寺と称した祈祷所があった。
倶利伽羅とは、インドの言葉で「黒い龍」を意味する。
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