NIPPON Kichi - 日本吉

記事数3件: 1~3 件表示          

2007/1/22


倶利伽羅不動尊 Kurikara-Hudouson Kurikara Fudouson

Jp En

 栄寿二(1183)年の平家と木曾義仲の戦いで有名な倶利伽羅峠の近くにある不動尊。日本三大不動尊ともいわれている。
 養老二(718)年、元正天皇の勅願でインドの高僧善無畏三蔵法師がこの地で修法。感得した剣に巻き付いた黒龍の姿を彫刻して、倶利伽羅不動尊と名付けたとあり、それが奥の院の本尊といわれている。
 その一〇〇年後、弘法大師がこの倶利伽羅不動尊にたどり着き、三蔵法師作の不動尊とほぼ同じ像を刻み、護摩法を行った。その像は本堂に祀られている。
 栄寿二年の源平の合戦で、一部を消失したが、源頼朝の寄進で再興、江戸時代には加賀藩の長楽寺と称した祈祷所があった。
 倶利伽羅とは、インドの言葉で「黒い龍」を意味する。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/1/17


山刀伐峠 Nadagiri-touge Nadagiri Pass

Jp En

 山形県尾花沢市最上町の境界あたりにある峠。
 松尾芭蕉の「奥の細道」にもでてくる峠である。最上の地に向かうため案内人に連れられ、この峠を越えた芭蕉は「高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて夜行がごとし」とあるように、たいへんな難所であり、山賊がではしないかと、不安な気持ちで大変だったようだ。
 現在でも旧道を歩くと、当時の難儀した様子が伺える道のりが残っている。
 道中には、「子宝地蔵尊」がある。その信仰は厚く、旧3月、7月の24日が縁日とされている。
 その隣には、「子持ち杉」と呼ばれる老松がある。その姿は、独特な枝張りをしており、まるで「森の神様」が宿っているかのような形で、芭蕉や、当時の人々が冷や汗を流しながらこの峠を越えたというのも、よくわかる気がする。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




倶利伽羅峠 源平供養塔 Kurikaratohge Genpeikuyohtoh Kurikara Pass Genpei Memorial

Jp En

 倶利伽羅峠は、富山県と石川県の県境にある峠。かの有名な源平合戦があり、「火牛の計」の作戦により平家が敗れたところである。源平砺波山合戦にまつわる史跡が多い倶利伽羅峠古戦場。源平供養塔もその史跡のひとつだ。
 寿永二(1183)年、源平合戦の際、源氏の軍勢は太鼓、ほら貝を用いて一斉にときの声を上げ、角に松明を付けられ猛り狂う五百頭の牛を平家軍に放った。京都からの長途の行軍に疲れまどろんでいた平家軍は、暗闇の中を慌てふためき、武具も整えられず右往左往するばかり。将兵は軍馬もろとも地獄谷へ駆けこみ落ちたという。これが後に「火牛の計」と名づけられ、源平盛衰記にも記されている。
 源平供養塔は、「倶利伽羅公園」から小矢部市側に歩いて数分の猿ケ馬場にある。側には八重桜があり、見ごろの5月には、あまたの魂をなぐさめるように辺りを淡い桜色に染め上げるという。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数3件: 1~3 件表示          
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter