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2008/6/30


伊勢亀山城(胡蝶城) Ise-kameyama-jou(Kochou-jou) 

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 伊勢亀山城(いせかめやまじょう)は、三重県亀山市本丸町にあった城である。
 2000m余りの白亜の土塀により、蝶の群れが舞うような姿に見えた事から別名・胡蝶城(こちょうじょう)とも呼ばれている。
 文永二(1265)年、関実忠(せきさねただ)によって若山に築城され、その後現在の位置に遷された。
 元亀四(1573)年、関盛信(せきもりのぶ)が織田信長によって追放されるまで関氏代々の居城となっていた。
 交通の要所にあったため、城主はその後本田氏、石川氏、板倉氏、松平氏、板倉氏とめまぐるしく交代し、延享元(1744)年、石川氏が入城、以降、明治維新まで城主を務めた。
 建物のほとんどは破壊され、現在は僅かに多門櫓と外堀、土塁の跡を見る事が出来る。
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2007/10/12


八王子 浄福寺 Hachiouji Joufuku-ji 

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 八王子の浄福寺(はちおうじのじょうふくじ)は、東京都八王子市下恩方町にある真言宗智山派の寺である。本尊は、大日如来。多摩四国八十八ヶ所霊場第66番札所とされる。
 文永年間(1264~1274)に創建された観音堂の別当寺であったが、後に焼失し、大永五(1525)年に領主・大石氏により再建されたと伝えられる。
 裏山一帯に残る浄福寺城は、14世紀~15世紀に大石氏によって築かれたと言われる標高360mの山城で、新城(にいじょう)・案下城(あんげじょう)・松竹城(まつたけじょう)・千手山城(せんじゅさんじょう)とも呼ばれている。
 境内には見事なしだれ桜が存在し、春には爛漫の花々が気持ち良く競うように咲く。他に、梅や色鮮やかな寒緋桜、染井吉野も咲いており、見飽きる事がない。
 八王子の浄福寺は、城跡としだれ桜で知られる古寺である。
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2007/9/21


慈眼院 多宝塔(国宝) Jigen-in Tahoutou The Tahoto Pagoda (National Treasure) at Jigenin Temple

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 慈眼院(じげんいん)は、大阪府泉佐野市日根野にある真言宗御室派の寺である。本尊は大日如来。仏塔古寺一八尊霊場第一二番札所とされる。
 天武二(673)年、天武天皇の勅願寺として、覚豪阿闍梨によって無辺光院という名で創建された、泉州の最古刹とされる。
 多宝塔(たほうとう)は、弘仁八(817)年に弘法大師によって建立されたと伝わる。
 現存する多宝塔は、鎌倉時代の文永八(1271)年に建立されたもので、高さは10・8m、桧皮葺で高欄のない縁をめぐらし、中央間は扉が大きい板唐戸、脇間連子窓、組物は二手先、中備えは中央間のみ蟇股となっている。
 日本最小の木造多宝塔で、日本三名塔の一つとされ、国宝に指定されている。
 慈眼院の多宝塔は、小振りながら内に秘められた力強さと、優雅な趣が感じられる建築物である。
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2007/8/13


千万町神楽 Zemanjou-kagura Zemanjo Kagura Dance

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 千万町神楽(ぜまんじょうかぐら)は、愛知県岡崎市千万町町に伝わる伝統民芸である。県の重要無形文化財に指定されている。
 起源は、日本武尊東征の際、海が荒れて一行が対岸に渡れなくなったので、弟橘姫尊(おとたちばなひめのみこと)が波の静まるのを祈願、舞を踊り海に身を投じた故事によるものといわれている。
 文永三(1266)年、藤原弘真によって創祠された八剣神社(やつるぎじんじゃ)では、祭神として日本武尊を祀っており、宝歴元(1751)年には祭礼余興として千万町神楽を拝殿で舞ったという記録が残されている。
 神楽では、女装の獅子と才蔵が演者となる。実際の演技では、才蔵が面白い所作で悪魔を喜ばせて鎮魂退散させる「獅子の舞」からはじまり、慎ましい「鈴の舞」の後に場所を移し、歌舞伎外題が次々と演じられる。
 千万町神楽は、神話より連なる伝統の郷土芸能である。
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2007/7/27


大光院 Daikou-in 

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 大光院(だいこういん)は、宮城県柴田郡柴田町本船迫にある新義真言宗の寺である。
 昭和四四(1969)年、元々は船迫の阿弥陀堂に祀られていた鉄造阿弥陀如来像を、堂が朽ちたために大光院へ移した。
 この像は汗かき如来とも呼ばれ、村に異変があると、表面に水滴を発して異変を告げると伝えられている。
 東北地方にはまれな鉄仏で、阿閃、宝生、阿弥陀、釈迦の4如来座像は県指定有形文化財とされる。
 像高は約82cmで、右から二体目の鉄仏に文永三(1266)年の陽刻の銘があり、立石長者の建立と伝えられる。
 境内には不動堂の藤があり、県の天然記念物に指定されている。また、寺が所有する南北朝時代の絹本著色両界曼茶羅図も、県の文化財に指定されている。
 大光院は、汗かき如来で有名な寺院である。
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2007/4/20


京都 東福寺 Kyoto Toufukuji 

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 京都の東福寺は、京都府京都市東山区にある臨済宗東福寺派大本山である。本尊は釈迦如来。
 嘉禎二(1236)年、九条道家が、この地に高さ15mの釈迦像を安置する大寺院建立を発願したのが開基とされている。
 寺名は、奈良の東大寺、興福寺の二大寺から1字ずつ取って「東福寺」とした。
 文永八(1271)年、諸堂が完成。京都五山四位の禅林(禅宗の寺院)となった。
 壮麗なフォルムが印象的な山門は応永年間(1394〜1427)の建築といわれ、日本最古の山門として国宝に指定されている。広大な寺域には、25の塔頭寺院がある。
 東福寺は紅葉で知られており、秋には大変な賑いとなる。特に開山堂への回廊・通天橋からの紅葉は、素晴らしい眺めである。
 東福寺は、京都を代表する歴史ある巨殺である。
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身延山久遠寺 Minobusan-kuon-ji 

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 身延山久遠寺は、山梨県南巨摩郡身延町にある日蓮宗総本山の寺院である。本尊は、十界曼荼羅とされる。
 文永11(1274)年、日蓮は、甲斐国波木井郷の地頭南部六郎実長の元に身を寄せ、この地に庵室を築いて法華経の読誦と弟子信徒の育成を行った。
 弘安4(1281)年、十間四面の大坊が整備され、日蓮によって身延山久遠寺と名付けられた。
 翌年、病気療養のために出立した日蓮は、旅の途中で死去し、後にその遺体は身延山へと奉ぜられ、心霊とともに祀られた。
 現在、久遠寺には樹令数百年を超える銘木が随所に点在しており、中でも久遠寺境内の祖師堂前と来客殿前にある2本のしだれ桜は、樹令400年の巨木で、多くの参拝者の心をなごませている。
 身延山久遠寺は、日蓮の御霊の眠る古い霊場である。
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2007/4/16


備後安国寺 Bingo-ankoku-ji Bingo Ankokuji Temple

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 文永年間(1270年代)に愚谷和尚(ぐこくおしょう)が「金宝寺」と称して創建したとされる。南北朝時代に足利尊氏により安国寺と改称された。
 釈迦堂と堂内の木造本阿弥陀三尊像・木造法燈国師坐像などは国の重要文化財。木造本阿弥陀三尊像は鎌倉時代の作。中央に阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩がひとつの大きな船の形をした光背を負う「一光三尊仏」だ。等身大の大きな木造仏で、実に重厚で神々しい見ごたえある像だ。木造法燈国師坐像は確証のある国内最古の頂相(ちんぞう)彫刻(写実的な彫刻)であり、また最古の寿像(存命中に作っておく肖像)として有名。鎌倉時代の建治元(1275)年の造立で、法燈国師69歳のときの作だ。
 そのほか備後安国寺は、4月には境内の桜が満開になり、春の色彩で参詣者たちの目を楽しませている。
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