NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/3


秋川渓谷 Akigawa-keikoku 

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 東京都の西部を流れる、多摩川の最大の支流・秋川の流れに沿った全長20キロメートルの渓谷美を、秋川渓谷(あきがわけいこく)と呼ぶ。
 この渓谷はあきる野市と檜原(ひのはら)村にあり、東京都とは思えないほどの自然が多く残されている場所として知られ、休日ともなると川遊びやバーベキュー、魚釣りや森林浴を楽しむことができる。
 秋川では毎年あゆを放流しており、六月上旬から九月末まであゆ釣りが楽しめる。標高は約250メートルあり、夏は都心より気温が2~3度低いといわれている。
 春から初夏にかけての新緑、秋の紅葉など、訪れる観光客を喜ばせており、緩やかな渓谷に沿って流れる秋川は、安全に川遊びができる場所として、多くの家族連れで賑わいをみせる。
 
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2008/1/22


阿伎留神社祭礼 Akiru-jinja-sairei Akiru Shrine

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 阿伎留神社(あきるじんじゃ)は、東京都あきる野市五日市にある神社である。祭神は、大物主神(おおものぬし)。
 創立起源は未詳であるが、平安時代の延喜式神名帳には武蔵国多摩郡八座の筆頭に上げられ、源頼朝や足利尊氏、徳川家康などからも崇拝されていた社である。
 阿伎留神社祭礼(あきるじんじゃさいれい)は、毎年九月の二八日~三〇日にかけて行われる、秋祭りとなっている。
 祭礼には間口五尺の方形大輪に六角形の胴と、屋根を乗せたきらびやかな御本社大神輿が繰り出し、五日市街道を勇壮に練り歩く。
 また、神輿の担ぎだしの前には必ず露払いとして獅子舞がつき、舞を一庭演じるのが習わしとなっている。
 阿伎留神社祭礼は、江戸時代から連綿と続く、秋川渓谷沿いで行われる由緒正しい祭りである。
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2007/11/26


大悲願寺 Dai-higan-ji 

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 東京都あきる野市を流れる秋川沿いに佇む古刹。それが大悲願寺(だいひがんじ)である。
 おおよそ千四百年前、全国行脚でこの地に訪れた聖徳太子が草堂を建てたのが起源といわれ、建久二(1191)年に源頼朝の命を受けて、平山季重(すえしげ)が本堂などを建立したとされる。
 境内には、寛政六(1794)年建築といわれる「無畏閣(むいかく)」と呼ばれる観音堂があり、中には国の重要有形文化財に指定されている木造伝阿弥陀三尊像が安置されている。これは年に一度、四月に御開帳が行われている。
 九月中旬から下旬に花をつける白萩も有名で、同寺を訪れた伊達政宗が、その美しさから一株譲ってほしいと、後に書簡で所望した話は有名で、芝居の「千代萩」の元となっているという。
 この時の書簡は今も大事に保管されている。
 立派な山門や本堂、境内に咲く四季折々の花を眺めながら散策をすれば、政宗公が手紙を出してまでほしくなったのも納得の美しさを堪能できるだろう。
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あきる野 広徳寺 Akiruno Koutoku-ji 

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 広徳寺(こうとくじ)は、東京都あきる野市を流れる秋川の南岸、秋川丘陵の麓に位置する寺で、鎌倉五山建長寺の末寺でもある。
 明徳年間(1390~1394)に、この地域の長者の妻が開基、応永十(1403)年に建長寺の住職により開山された。
 天文年間(1532~1555)には北条氏康により再興され、今も客殿には北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直の各位牌が安置されている。
 室町建築の面影を残す茅葺の山門をくぐるとまずは参道を挟んで聳え立つ二本のイチョウの木が出迎えてくれる。季節が訪れれば、見事な紅葉を楽しませてくれる。
 江戸時代には一万二千坪もあり、その全体が都の指定史跡になっているという広い境内には大きなカヤとタラウヨがあり、格式ある本堂など、禅宗の伽藍との見事な調和を見せてくれる。
 都の天然記念物にもなっているタラウヨの葉の裏には文字が書けるため、今では葉の一枚一枚に参拝客の願い事が書き込まれ、願掛けの木のように親しまれている。
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あきる野 二宮神社 Akiruno Ninomiya-jinja 

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 二宮神社は、東京、あきる野市二宮に鎮座する、國常立尊(くにとこたちのみこと)を祀神とした神社である。
 その創建年代は不明ながら、日本武尊が東征の折り、國常立尊を祀ったのが始まりといわれ、平安時代に編纂された延喜式神名帳にも登場する、古式ゆかしい神社である。
 また、藤原秀郷(ひでさと)が、平将門追討の折り、同社に戦勝祈願を行ったとも伝えられている。
 同社は多摩市の一の宮から始まり、横浜市の椙山神社を六の宮とする「武蔵六社宮」の二の宮にあたり、社号もこれに由来している。
 毎年九月八日から二日間、しょうが祭りが行われており、普段は静かな境内も「しょうがを食べれば風邪を引かない」という言い伝えの元、多くの参拝者で賑わいを見せる。
 境内には都内で最も古いといわれる、数学の問題を解いて奉納した算額が残されている。
 緑多い静かな境内で算額を前に、昔の人と知恵比べをしてみるのも面白いかもしれない。
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真照寺薬師堂 Shinshou-ji-yakushi-dou 

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 東京のあきる野市引田地区にある真照寺(しんしょうじ)。
 寛平三(891)年創建と伝えられる、あきる野きっての名刹である同寺本堂の右側に位置するのが薬師堂である。
 市指定の有形文化財である赤い山門をくぐり、本堂右へと続く参道を通って、幾本もの「南無引田薬師如来」と染め抜かれた赤い旗がはためく一五段の石段を登ると、薬師堂が鎮座している。
 僧、行基がこの地に来たとき、薬師如来を彫り上げて安置したといわれる大変由緒あるお堂で、都指定の重要有形文化財に指定されている。
 銅版葺きの宝形造に木造カヤ葺きの屋根が乗っており、室町時代の建築とされている。
 寺とは別に、お堂は「多摩新四国八十八ヶ所霊場」の第五八番札所にもなっている。また、眼病にご利益があるといわれており、お堂の前には「め」と裏返しの「め」の字が並んで書かれた絵馬がたくさん掛けられており、今もなお信仰が篤いことを物語っている。
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2007/1/12


多摩織 Tamaori Tama Woven Fabric

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 多摩織は、東京都の八王子市、あきる野市で織られる実用的な織物である。
 多摩織とは、多摩結城、紬織、風通織、変わり綴、捩り織の5種類の織物の総称で、八王子織物の歴史と技術の結晶と言える。
 八王子では、平安時代末頃から滝山紬や横山紬といった絹織物があった。室町時代後期、多摩川にきた北条氏が、領民に奨励したことで産地として形が整った。
 明治以降は文明開化によって技術が急速に発展し、さらに独自に技術を開発したことで、今日の多摩織の基盤が築かれた。
 伝統的に渋い実用的な作品が多く作られてきたが、最近では洗練されたデザイン、新しい感覚、優れた技術をとり入れつつ、伝統的な手作業により特色のある優れた製品を産み続けている。
 1980年、通産省から伝統工芸品に指定される。
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