|
大分県由布院の佛山寺(ぶっさんじ)は、明治の廃仏毀釈が行われるまでは宇奈岐日女神社(うなぐひめじんじゃ)またの名を六所宮(ろくしょぐう)と一体になって栄えた古刹である。
本尊は由布岳の観音菩薩。かつて湖であった湯布院を盆地に変えたと伝えられる宇奈岐日女と習合していた。
寺伝によると康保年間(964〜968年)、聖空上人の開山と云われ、当時の堂宇は由布岳の中腹にあり天台宗であった。その後、江戸時代に臨済宗となって現在の地に移転した。
全盛時には10ヶ所の末寺を有した湯布院を代表する中心的寺院で、今も境内には青面金剛塔や金光明王塔が竹林や大杉の合間に建ち、山門、本堂、庫裡がすべて落ち着いた雰囲気を保っている。平成六(1994)年の火災で本堂を焼失したが、再建され現在に至る。
また、500メートル程離れた金鱗湖に浮かぶ鳥居はこの佛山寺にあったもので、廃仏毀釈に伴い天祖神社付近の湖面に移されたものである。
本尊は由布岳の観音菩薩。かつて湖であった湯布院を盆地に変えたと伝えられる宇奈岐日女と習合していた。
寺伝によると康保年間(964〜968年)、聖空上人の開山と云われ、当時の堂宇は由布岳の中腹にあり天台宗であった。その後、江戸時代に臨済宗となって現在の地に移転した。
全盛時には10ヶ所の末寺を有した湯布院を代表する中心的寺院で、今も境内には青面金剛塔や金光明王塔が竹林や大杉の合間に建ち、山門、本堂、庫裡がすべて落ち着いた雰囲気を保っている。平成六(1994)年の火災で本堂を焼失したが、再建され現在に至る。
また、500メートル程離れた金鱗湖に浮かぶ鳥居はこの佛山寺にあったもので、廃仏毀釈に伴い天祖神社付近の湖面に移されたものである。
[+ADDRESS] |