NIPPON Kichi - 日本吉

記事数9件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/6/30


四阿山 Azumaya-san 

Jp

 長野県と群馬県にまたがる四阿山(あずまやさん)は円錐状火山で、南峰2354メートル、北峰2333メートルの双耳峰となっている。
 この山は日本百名山のひとつに数えられ、レンゲツツジをはじめ、豊富な高山植物が生息している。
 四阿山という名前の由来は、日本武尊が御東征の帰り道に鳥居峠に立ち、弟橘姫(おとたちばなひめ)を偲んで「吾妻はや」と嘆いたことから、群馬県側では「吾妻山」といわれるようになったという。
 一方、長野県側では、山の形が「あずまや」という、四方の柱だけで、壁がない小屋の屋根に似ていることから「四阿山」と呼ばれるようになったといわれている。
 山頂からは浅間山をはじめ、田代池、北アルプスなどの山々など、360度の素晴らしい景色をみることができる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/20


埼玉 三峯神社 Saitama Mitsumine-jinja 

Jp

 埼玉の三峯神社(みつみねじんじゃ)は、埼玉県秩父市三峰にある古社である。祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉册尊(いざなみのみこと)である。
 由緒は、景行天皇(71~130)の御世、息子の日本武尊が東征のために碓氷峠に向かう途中、三峰山に登り、その山川の美しさに心を打たれて創建したのが始まりである。その後、この地を訪れた景行天皇が社地を囲む白岩・妙法・雲採の三山から「三峯宮」の社号を授けた。
 後に飛鳥時代には伊豆国に流罪になった役小角が三峰山で修業をし、平安時代には空海が観音像を安置したとも言われ、中世以降、日光系の修験道場となって、関東各地の武将の崇敬を受けた。
 享保五(1720)年に入山した僧・日光法印が、日本武尊の道案内をした狼の大口真神(おおぐちまがみ)の護符を配布し「御眷属信仰(ごけんぞくしんこう)」が広まっていく。狼は火災や盗賊に対していち早く騒ぎ立てる事から、狼を神の眷属として信仰し、火難・盗賊除けを願うもので、数多くの講が組織された。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/26


あきる野 二宮神社 Akiruno Ninomiya-jinja 

Jp

 二宮神社は、東京、あきる野市二宮に鎮座する、國常立尊(くにとこたちのみこと)を祀神とした神社である。
 その創建年代は不明ながら、日本武尊が東征の折り、國常立尊を祀ったのが始まりといわれ、平安時代に編纂された延喜式神名帳にも登場する、古式ゆかしい神社である。
 また、藤原秀郷(ひでさと)が、平将門追討の折り、同社に戦勝祈願を行ったとも伝えられている。
 同社は多摩市の一の宮から始まり、横浜市の椙山神社を六の宮とする「武蔵六社宮」の二の宮にあたり、社号もこれに由来している。
 毎年九月八日から二日間、しょうが祭りが行われており、普段は静かな境内も「しょうがを食べれば風邪を引かない」という言い伝えの元、多くの参拝者で賑わいを見せる。
 境内には都内で最も古いといわれる、数学の問題を解いて奉納した算額が残されている。
 緑多い静かな境内で算額を前に、昔の人と知恵比べをしてみるのも面白いかもしれない。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/13


千万町神楽 Zemanjou-kagura Zemanjo Kagura Dance

Jp En

 千万町神楽(ぜまんじょうかぐら)は、愛知県岡崎市千万町町に伝わる伝統民芸である。県の重要無形文化財に指定されている。
 起源は、日本武尊東征の際、海が荒れて一行が対岸に渡れなくなったので、弟橘姫尊(おとたちばなひめのみこと)が波の静まるのを祈願、舞を踊り海に身を投じた故事によるものといわれている。
 文永三(1266)年、藤原弘真によって創祠された八剣神社(やつるぎじんじゃ)では、祭神として日本武尊を祀っており、宝歴元(1751)年には祭礼余興として千万町神楽を拝殿で舞ったという記録が残されている。
 神楽では、女装の獅子と才蔵が演者となる。実際の演技では、才蔵が面白い所作で悪魔を喜ばせて鎮魂退散させる「獅子の舞」からはじまり、慎ましい「鈴の舞」の後に場所を移し、歌舞伎外題が次々と演じられる。
 千万町神楽は、神話より連なる伝統の郷土芸能である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/9


佐倍乃神社 Saeno-jinja Saeno Shrine

Jp En

 佐倍乃神社(さえのじんじゃ)は、宮城県名取市にある旧号・笠島道祖神社(かさじまどうそじんじゃ)といわれた、由緒ある神社だ。
 社伝によれば、景行天皇四十(110)年に天皇より東征を命ぜられた日本武尊がこの地に勧請したのがその始まりとされ、この際、道祖神としても崇められる猿田彦が道案内として随行していたことから、道祖神を祀り、創建されたと伝えられている。
 大永二(1522)年に本殿が造営されて以降は、伊達政宗公ら仙台藩の歴代藩主達に篤く尊崇され、政宗公直筆の神額や古刀剣などが収蔵されている。
 祭神である猿田彦神(さるたひこ)は道の神として、また一緒に祀られている天鈿女命(あめのうずめ)は夫婦の神であり、二神が共に生活の道を守ることから縁結びや夫婦和合の神として崇められ、毎年四月二十日の例祭日には県の無形文化財に指定されている出雲流の「道祖神神楽」が奉納される。
 歴史の重みあるこの神社で拍手を打てば、ひょっとしたらなにか道が開けるかもしれない。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/7/27


多賀神社 Taga-jinja Taga-jinjya Shrine

Jp En

 多賀神社(たがじんじゃ)は宮城県仙台市にある、仙台でも最古の神社である。
 その興りは、今からおよそ千八百年以上も前の景行天皇四十(110)年、天皇より東征の命を賜った日本武尊が、この地に勧請したのが始まりとされている。
 その後は、この地方の守護神として崇められ、この地を収めた領主や武将にも篤く祭祀されていくこととなる。
 仙台に居城を構えた仙台藩祖・伊達政宗公も例外ではなく、仙台藩の歴代藩主達に篤く尊ばれ、第七代藩主重村公により安永四(1775)年には社殿造営の普請が行われている。
 また、古くから延命の神として「お多賀様」の愛称でも親しまれ、境内に植えられている桜などが、シーズンになると訪れる人々を華やいだ雰囲気で迎えてくれる。
 参道は通学路にもなっており、登下校する子供たちの姿も見られる。
 勧請から千八百有余年。歴史のロマン漂うその神社は人々の生活に溶け込み、そして今も親しまれ、大事にされている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/5/29


上州武尊山 Joushuu-hotaka-yama 

Jp

 上州武尊山(じょうしゅうほたかやま)は、群馬県利根郡みなかみ町、川場村、片品村の境にある標高2158mの火山である。日本百名山の一つに選ばれている。
 武尊山は、沖武尊を主峰とし、前武尊山、剣ヶ峰、獅子ヶ鼻山など2000m級の峰が山頂部を形成する火山である。
 名前の由来は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際に登ったという伝説に基づいている。また、山頂近くには日本武尊の像が建っている。
 ブナの原生林は景観も素晴らしく、その奥に点在する湿原と笹原には、登山道を埋め尽くすかのようにマイヅルソウやイワカガミが群落し、大自然があふれんばかりに息づいている。
 上州武尊山は、荒廃が少なく自然がそのままに残されている、貴重な山である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/3/15


草薙神社 Kusanagi-jinjya Kusanagi Shrine

Jp En

 草薙神社(くさなぎじんじゃ)は、静岡県静岡市清水区草薙にある神社である。祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)となっている。
 草薙は、日本武尊が東征の際に天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、後の草薙の剣。三種の神器)で草を薙ぎ、火打ち石で向火を放って賊の火責めを切り抜けた地であり、後に日本武尊の父の景行天皇が、この地に建てたのが草薙神社と伝えられる。
 神社は日本武尊を祀り、草薙の剣を奉納していたが、朱雀元(686)年、草薙の剣は勅命により熱田神宮に奉祀されたという。
 毎年9月20日には例大祭が開催され、「龍勢煙火」と呼ばれる全国的にも有名な煙の花火を打ち上げて、多くの人々で賑わう。
 龍勢煙火は、狼煙(のろし)が原形と言われており、静岡県の無形民俗文化財に指定されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数9件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter