NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/22


田舎館村 田んぼアート Inakadate-mura-tanbo-art 

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 田舎館村・田んぼアート(いなかだてむら・たんぼあーと)は、青森県南津軽郡田舎館村が、村起こしの一つとして始めた、田んぼをキャンバスとして色の異なる米を使って巨大な絵を作り出すプロジェクトのことである。
 平成五(1993)年から始まったもので、田舎館役場の東側にある、約1.5ヘクタールの水田をキャンバスとして、黄稲と紫稲の古代米二種と、この地方で栽培されているブランド米の「つがるロマン」を使って、モチーフとなる絵になるよう、配色を考えながら植えられていく。
 村役場には天守閣を模した展望室が設置されており、配色や植える位置は、ここから眺めた時に最適となるよう、設計されている。
 モチーフとなる絵は、主に日本人の芸術作品が用いられており、これまでに恵比寿様と大黒様や葛飾北斎の「富嶽三十六景」、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」などが再現されている。
 田植えや稲刈りへの参加者も募集されており、見るだけでなく、作る喜びも味わえる、村を代表する一大イベントとなっている。
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2008/7/17


津軽凧絵 Tugaru-Takoe 

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 津軽凧絵(つがるたこえ)は、青森県弘前市を始めとした津軽地方に伝わる伝統民芸品である。日本三代凧のひとつとされている。
 天保年間(1830~1843)、津軽藩の城下町弘前の空には、いくつもの凧が揚げられていたことが記録されている。
 津軽凧絵は日本画に始まるが、中央の文化が導入され、この地で育くまれる事により味付けが変わり、郷土の民画となっていったという。
 凧絵が武者中心になったのは明治以降の事で、その画風は葛飾北斎の影響を強く受けているといわれている。凧絵を確立したのは柴田某で、小田桐岩蔵によって完成された。
 津軽凧絵は、津軽特産のヒバ材を使用した骨組に、浮世絵や三国志、水滸伝などの挿絵をもとにした武者絵を特徴としている。
 津軽凧絵は、畳二丈ほどもある凧に描かれた武将絵も勇ましい、郷土の伝統民芸品である。
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2008/2/7


ラルフ・キゲル Ralph Kiggell Ralph Kiggell

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 ラルフ・キゲル、英国出身。1960年、ザンビア生まれ。その作品において、東アジアからの影響を強く受けている木版画作家である。
 子供の頃から日本の木版画に興味を持ち、ロンドンの大英博物館で定期的に開催される浮世絵の特別展で、葛飾北斎や喜多川歌麿などの作品に触れる。1990年、木版画の勉強のために来日。木版画家の吉田遠志が設立した東京の吉田版画アカデミーで、遠志の息子で吉田博の孫でもある吉田司のもとで学ぶ。後に京都精華大学、そして多摩美術大学で現代木版画の技術を学ぶ。
 日本の木版画は、手作りの天然の素材を用いてすべての制作過程を手作業で行う。その繊細さがキゲル氏にぴったりとくるようだ。「手から木へ」そして「木から紙へ」という一連の流れには有機的な関係がある。まさに今私たちが生きているデジタル時代において、木版画は現代の芸術表現の中で特別な力を持つ重要な媒体であるとキゲル氏は考えている。
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2007/6/18


岩野市兵衛(人間国宝) Iwano Ichibee Ichibee Iwano (Living National Treasure)

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 昭和八(1933)年、福井県今立町生まれ。越前奉書製造で有名な人間国宝、八代目岩野市兵衛の長男として生まれる。九代目の自身も平成十二(2000)年に人間国宝に認定され、親子二代での人間国宝受賞となった。
 先代の市兵衛氏の漉く奉書は、広く内外の版画家から支持されピカソも愛用していたという。
 職人気質は父譲り、毎日ひたすら紙漉きを続けて六十余年、ただただいい紙を、という一念で仕事をしてきた。氏の漉く紙は腰が強く、どうやっても裂くことができないくらい丈夫。画家の精密な筆先でも絵の具が滲むことはない。
 葛飾北斎の極薄の版画用紙を漉いたこともある。復刻版画はバレンを何百回もかける。それに耐える紙を漉くのは難しいが、「挑戦するときは職人の血が騒ぎますね」と氏は穏やかに笑う。根っからの職人魂は、父をも超えた。
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2007/4/26


上方浮世絵 Kamigataukiyoe Kamigata Ukiyoe

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 「上方浮世絵(かみがたうきよえ)」は、江戸時代後半から明治時代初期(1800年代)にかけて、主に大坂で作られた浮世絵版画。
 美人画や風景画が少なく、歌舞伎芝居を描いた役者絵がほとんどの画題を占める。江戸の浮世絵師の作品とは異なり、役者をそのままの姿で描くところに特徴がある。
 フルカラー印刷された木版画(錦絵)は1765年に江戸で発明され、またたく間に江戸中に広まり、庶民が得られるようになった。 
 それから、四半世紀後、浮世絵は黄金期を迎え、歌麿が活躍し、北斎・写楽が活躍する直前の1791年、上方(京都・大坂)でも上方浮世絵が描かれるようになった。
 海外では「OSAKA PRINTS」と呼ばれ、大英博物館をはじめ、世界各地の美術館に収蔵されている。
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2007/1/31


有松・鳴海絞 Arimatsu・Narumi-sibori Arimatsu Narumi Shibori

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 愛知県有松町に伝わる、国の伝統的工芸品に指定されている絞りの着物。
 産地の歴史は、約400年もの歴史があり、1608年、絞りの開祖といわれる竹田庄九郎らによって誕生した。当時の尾張藩から特産品の扱いをうけた。
 全国の旅人が行きかう中、絞りの手ぬぐい、浴衣などが人気となり、一躍有名になっていく。その繁昌ぶりは北斎の浮世絵にも登場する。
 「絞り」とは、綿の糸で柄の部分を縫い、染色する時点で染まる部分と、染まらない部分を作り、柄を表現する技法である。
 「絞り技法」によってできた製品は、絞った後が縮んで立体感が生まれ、技法そのものが、デザイン性を持つため、流行すたりのない製品であり、技法の用途も広い。絹織物、綿織物の衣装から、最近ではインテリア用品としても扱われることが多い。
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