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2007/1/11


引田の町並み Hikita-no-machinami The Scenery of the Town of Hikita

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 香川県東かがわ市引田の地域は引田城があった城下町である。
 引田城は安土桃山時代に活躍した武将、生駒親正が築いた。現在は跡地としてわずかに石垣などが残っている程度である。
 引田はなんといっても「醤油製造」で知られるところである。佐野家の井筒屋、岡田家のかめびし屋、また大庄屋であった日下家と引田御三家とよばれた豪商。それらの屋敷や江戸時代の民家などが今も残っている。リニューアルされた旧井筒屋敷には、たくさんのお店が入っている。その北側にあるかめびし屋は瓦葺に真っ赤な壁で、ひと際目立つ。南に歩くと、日下家の立派な門構えがあり、その前には、長屋つくりの建物が多い中、大正モダン風な建物の、「旧引田郵便局」がある。規則的に並ぶ、八角形の窓が特徴的だ。
 引田の歴史を余すことなく、伝えてくれる町並みが引田の情報発信となっているようだ。
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北前船主屋敷蔵六園 Kitamaesensyu-yashiki-zourokuen Zourokuen, the Estate of a Kitamae Ship-owner

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 江戸時代から明治の中期まで、日本海を舞台に活躍した北前船の主の屋敷。
 北前船主は、近江上人からの雇われ船頭が多かった。
 近江上人は蝦夷地でも活躍したが、蝦夷地開拓による交易品を運ぶ船として北前船を仕立てた。その時、加賀や越前、若狭の船乗りに船を任せた。
 交易を経験し、商才を発揮しはじめた船頭たちは、北前船の雇われ船頭から才覚のある商人へと成長していく。
 蔵六園は、その内の一家酒谷家の邸宅と庭園。その建築物と庭、さらに展示品などは、栄華を極めた当時の様子そのままである。
 敷地は約一〇〇〇坪。総漆塗りの屋敷で建坪は約三〇〇坪。蔵の中には古文書、九谷焼、吉田屋、宮本屋八郎赤絵、松山窯などの焼き物が展示してある。
遠州流の庭園には、約五〇〇種類の山野草が自生し、さらに全国からの銘石を配して見事である。
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