NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/18


観音正寺 Kannon-shou-ji Kannonshoji Temple

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 西国三十三箇所は、近畿二府四県と岐阜県に点在する霊場であり、日本で最も歴史がある巡礼行といわれている。
 観音正寺(かんのんしょうじ)は、その第三十二番札所にあたる。
 琵琶湖の東岸、標高433メートルの繖山(きぬがさやま)の山頂付近に位置し、まるで現世と離れるかのように粛々と佇んでいる。
 社伝によると、聖徳太子が近江国に創建した寺院で、鎌倉・室町時代には、近江国守護職・佐々木六角氏の庇護を受け、三十三院の子院を擁し、絶大な勢力を誇ったとされている。
 その後、内戦や移築など時代に翻弄される憂き目も見たが、慶長二(1597)年に再び元の山上に戻った。
 以前のような、きらびやかな勢いはないが、現在も万事吉祥の縁結びの祈祷道場として篤く信仰されている。
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2007/9/11


補陀寺 六角堂 Hoda-ji Rokkaku-dou 

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 気仙沼のほぼ中心に位置する、静かな境内に佇む六角形のお堂。それが補陀寺六角堂(ほだじろっかくどう)である。
 全国的には、和様円堂は八角形が一般的であり、この六角堂のように六角形をしているものは珍しい。屋根は六角錐体で赤瓦が葺かれ、内外部共に朱塗りの須弥壇(しゅみだん)となっており、板天井には墨絵が描かれている。
 建立は宝暦一二(1762)年と伝えられ、江戸中期の技巧をこらした精巧で華麗なお堂として、宮城県の指定文化財ともなっている。
 このお堂には平安末期に名取熊野神社を勧請したと伝えられる伝説上の人物、名取老女が奥州を巡礼して建てた「奥州三十三観音霊場」の一つといういわれがあり、三〇番目の札所となっている。
 その後、奥州三十三観音霊場が衰退していく中、奥州札所再興の大願成就を発願して、この六角堂が建立されたといわれる。
 八角形ではなく六角形であるところに、歴史の伝説とロマンが、もしかしたら隠されているのかもしれない。
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2007/7/23


寺下観音 Terashita-kannon Terashita Kannon Temple

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 寺下観音(てらしたかんのん)は、青森県三戸郡階上町赤保内にある寺である。本尊は、正観音。
 鎌倉時代(1185~1333)に奥州糠部三十三観音巡礼の1番札所として建立された。
 深い杉並木に囲まれた観音堂には、神亀元(724)年に高僧・行基が作ったと伝えられる、桂の木彫り・高さ65cmの観音像が安置されている。
 境内の三十三観音を参拝すると、近畿三十三観音を巡ったのと同じご利益があるとされている。
 神仏混交の地であり、観音堂のほかに潮山神社が存在する。
 観音堂の裏にある滝は不老長寿の冷水として、近郷近在の老若男女の参拝者があり、古くから修験者が修行したと伝えられている。 平成元(1989)年、名水として知事の認定を受けた。
 寺下観音は、多くの巡礼者が静かに祈りを捧げる古刹である。
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2007/5/17


谷汲山 華厳寺 Tanigumi-san Kegon-ji 

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 延暦一七(798)年創建と言われ、西国三十三箇所の第33番札所である華厳寺。「谷汲みさん」と親しみを込めて呼ばれている。
 会津の豪族であった大口大領は夢の中で観音菩薩から授かった榎の霊木を持って京都の仏師に頼んで観音菩薩を彫ってもらったが、会津まで運ぶ途中、ここ谷汲村で仏像がぴたりと動かなくなってしまった。「ここに祀って欲しいのだな」と考えた大領は、そこにお堂を建て、観音菩薩像を安置した。すると近くの洞窟から油が湧き出し、灯明に困る事は無かったという。この油を汲んだ故事から山号の「谷汲」、観音様に華厳経が写経されていたことから「華厳寺」の名が付いた。
 満願の寺なので、朱印も過去(笈摺堂)、現在(満願堂)、未来(本堂)の三つがあり、「精進落としの鯉」など西国巡礼をやっと終えた人だけが知る喜びの標に満ちていて、観光参拝客もその雰囲気に引き込まれる。
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2007/3/7


大雲取越え Ookumo-tori-goe 

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 大雲取越えは熊野古道、中辺路からの分岐路で西国三十三所観音巡礼に際しての参道である。
 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町、那智山から新宮市熊野川町、小口に至る全長16キロの参道を指す。
 現在は二日をかけて大雲取越・小雲取越を踏破するが、かつては一日で踏破する困難な道であった。
 標高は800メートル級の山が主だが、急峻な道が多い。途中には故人と出会うとされる「亡者の出会い」や、急すぎて胴が切れると言われる「胴切坂」などの難路が連なるが、多くの滝や梵字の刻まれた円座石、アララギ派の歌人である斎藤茂吉や土屋文明による歌碑などが建ち、見所も多い。
 熊野古道でも人気のある参道であり、多くの参拝客が巡礼に挑んでいる。
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円座石 Warouda-ishi 

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 円座石(わろうだいし)は熊野古道、大雲取越えの終着点、熊野川町小口手前に位置する巨石である。
 大雲取越えは全長16キロの西国三十三所観音巡礼の参道であり、熊野川町小口から1キロほど戻った場所に安置された苔むした巨石が円座石である。
 円座とは円形の座布団のことであり、この石の上で熊野三山の神々が座して談笑し、茶を楽しんだという伝説に由来する。
 表面には3文字の梵字が刻まれ、それぞれが熊野三山の阿弥陀如来、薬師如来、千手観音を指す。
 峻厳な参道の難所で、参拝する人々を見守り続けた緑の巨石は、往古より変わることの無い姿で今も佇んでいる。
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2007/3/6


大峯奥駈道(世界遺産) Oomine-okugake-michi 

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 大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)は奈良県、三重県、和歌山県にまたがり、奈良県吉野山から熊野三山までを結ぶ参詣道である。
 吉野山から熊野本宮大社までの参詣道であり、途中七十五ヵ所にある靡(なびき)と呼ばれる行場を巡る。
 七世紀、役行者により修験道の修行場として開かれ、十世紀ごろには現在の形が作られたと言う。熊野側から入山することを順峰、吉野側から入山することを逆峰と呼ぶ。
 全長170キロメートル以上、標高2000メートルを越す山塊を踏破する、修験道の修行の道であり、今日でもその姿は変わらない。
 平成十六(2004)年に紀伊山地の霊場と参詣道の一つとして世界遺産に登録された、参詣堂としての登録はスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の道に次ぐものである。
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2007/3/1


佐竹寺 Satake-dera 

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 真言宗豊山派の寺。号は妙福山明音院。本尊は十一面観音。坂東三十三観音霊場の二十二番札所。
 大同2(807)年硯僧徳一の開創とされるが、坂東霊場記では寛和元(985)年に板東巡礼中の花山院が、随行の元蜜上人に聖徳太子作の十一面観音像を与えて建立させたとされている。建立当時は観音寺と呼ばれた。
 往時をしのぶ建物は本堂のみで、寺院には珍しく北向きにたてられている(北向観音)。
 本堂は茅葺の寄せ棟造で、主屋の周囲にこけら葺の裳階(もこし)をめぐらし、正面には唐破風がつく。窓や柱、梁などに桃山建築につながる意匠が見られ、1906年に国の重要文化財に指定された。
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