NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/23


豊稔池ダム hounenike-damu 

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 豊稔池(ほうねんいけ)ダムは、香川県観音寺市の、高尾山・金見山に囲まれた深い山の中に位置している。
 半月状のアーチが五連連なっているマルティプルアーチを石積式で実現しており、堤頂長は約128メートル、堤高30.4メートル。農地530ヘクタールを灌漑する農業用ため池として活用されている。
 降雨量が少ないこの地は、大干ばつが多く、井戸を沢山掘っても枯れる事が多かった。そこで大正一五年、アメリカの最新技術を習得した佐野藤次郎が指揮し、地元の農民たちの手によって、約四年かけて作られた。
 五連の壁は、中央部の水圧をを支えダムの先端を保護している。また壁面には洪水吐が設置されており、満水に近づくと自動的に放水する仕組みとなっている。
 深い山のなかにある威厳のあるたたずまいは水の古城と称され、美しい景観を形成している。また、完成直前に死去した佐野藤次郎の石碑がダムの横に設置されている。
 平成一八(2006)年に、国指定重要文化財となった。
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2008/10/2


大慈禅寺 Daijizen-ji 

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 大慈禅寺(だいじぜんじ)は、熊本市の南部に位置し、古くから九州の曹洞宗の本山として人々の篤い信仰を集めてきた古刹である。
 創建は鎌倉時代の弘安元(1278)年。曹洞宗の開祖である道元禅師の高弟寒厳(かんがん)禅師(順徳天皇の第3皇太子)により開山された。
 開祖当時より時の権力者の庇護を受け、敷地4町の寺域内には殿堂僧房が立ち並んでいたという。また、この寺は数々の寺宝を持ち、寒厳義伊文書四類と梵鐘は国の重要文化財だ。その他掛け軸や仏像、宝筐印塔などの石造物の多くが県の重要文化財に指定されている。
 境内には、種田山頭火や夏目漱石の句碑が立つ。大慈禅寺の凛としたその品格のある存在感が、歴史的文化人たちに愛されてきたのである。
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2008/9/5


幡頭神社 Hazu-jinja 

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 愛知県吉良町にある幡頭(はず)神社は、渥美湾(三河湾)に突き出た岬の丘に鎮座している。本殿は桃山時代の三間社流造りの見事な建物で、天正八(1580)年に建立し、屋根が桧皮葺で大きく反りかえった庇が大変美しい。大正一〇(1921)年に国の重要文化財に指定されている。
 祭神は尾張氏の先祖とされる建稲種命(たけいなだねのみこと)である。日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征に従った建稲種命は帰る途中駿河沖で遭難、遺骸が宮崎海岸に漂着し、この地に葬られたと伝えられている。
 創建は大宝二(702)年で、文武天皇が社殿を建て、神宝の矛(ほこ)を納めて神体として祭られた。武将の崇敬が厚いことでも知られ、足利尊氏、今川義元らも参拝して神宝を奉納している。
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2008/9/1


百済寺 三重塔 Kudara-ji Sanjuu-no-tou 

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 奈良県北葛城郡広陵町にある百済寺(くだらじ)の創建の時期、経緯等は明らかでない。寺は三重塔と小さな本堂を残すのみである。
 塔は鎌倉時代中期に建立され、高さ22.9メートル、本瓦葺である。長い相輪を持つ。三手先(みてさき)、二層の繁垂木(しげたるき)を用い、がっしりと軒を支えている。軒先の四方には牙を出したかわいらしい鬼瓦(おにがわら)が据えてある。
 塔の内部は四天柱と来迎壁(らいごうへき)があり、須弥壇(しゅみだん)という大型の壇に、金剛界大日如来像を安置する。明治三九(1906)年に県の重要文化財に指定されている。
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2008/8/28


摠見寺 三重塔 Souken-ji Sanjuu-no-tou 

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 摠見寺(そうけんじ)は、滋賀県蒲生郡安土町下豊浦にある臨済宗妙心寺派の寺である。本尊は、織田信長。江州三十三観音霊場第25番札所とされる。
 天正年間(1573~1591)に、安土城築城に伴って織田信長により城郭内に建立された。以後、江戸時代には織田家の菩提寺として栄えた。摠見寺は別称で、正式には総見寺と言う。
 三重塔は、享徳三(1454)年に建立されたもので、摠見寺創建時に甲賀より移築された。本瓦葺で、高さは19.7mあり、擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、中央間板唐戸、脇間連子窓、中備えは中央間のみ蟇股、脇間は間斗束となっており、国の重要文化財に指定されている。安土城炎上、江戸末期の火災からも難を逃れた貴重な建築物である。
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2008/8/25


乙宝寺 三重塔 Oppou-ji Sanjuu-no-tou 

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 乙宝寺(おっぽうじ)は、新潟県胎内市中条町乙にある真言宗智山派の寺である。本尊は大日如来。
 天平八(736)年、聖武天皇の勅命によって行基菩薩、婆羅門(ばらもん)僧正らが北陸一帯の安穏を祈り開山したと伝えられる。「今昔物語」や「古今著聞集」にも登場する、新潟県屈指の古刹である。
 三重塔は、十四世紀中に建設され、元和六(1620)年、村上城主村上忠勝によって再建、完工された塔である。造りは三間三重で、その屋根は本瓦葺になっている。高さは24.2mで、本尊として普賢菩薩像を安置しており、国の重要文化財に指定されている。
 乙宝寺の三重塔は、紅葉との組み合わせも美しい、純和様の寺院塔婆である。
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2008/7/17


札幌市時計台 Sapporo-shi-tokeidai Sapporo Clock Tower.

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 札幌市の時計台は、札幌農学校の頃、生徒の心身を鍛え兵式訓練などに使う目的で「演武場」(体育館)として1878年に建設された。今では「時計台」の愛称で知られ、多くの人に親しまれている。
 正式には「旧札幌農学校演武場」という名称で、北海道大学の前身である札幌農学校の一施設であった。建設当初は時を知らせる鐘楼だけで、時計は設置されていなかったが、1階を研究室として利用していて振動で実験に不具合が出た事から1881年に設置された。1888年には札幌標準時の時計に指定されている。
 1903年に農学校が現在の北海道大学の場所に移転し、そのままにされていたが、1906年に札幌区が買い取り、解体せずに曳家で現在地に移転した。
 札幌市民に守られてきた時計台は、1970年に国指定重要文化財に指定され、1995年から4年間に亘って修復工事が行われて、展示室や貸しホールとして活用されている。
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2008/6/20


五大堂 Godai-dou 

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 日本三景の一つ、宮城県の松島の中にあり、海岸側の小島に建っているのが、五大堂である。
 伊達家の菩提寺である瑞巌寺の附属寺院で、慶長九(1604)年に伊達政宗により再建されたものであり、国の重要文化財に指定されている。
 その興りはおよそ千二百年も前の大同二(807)年、坂上田村麻呂が奥州遠征の際に、毘沙門堂をこの地に建立したのが始まりとされる。
 その後の天長五(828)年に慈覚大師円仁(えんにん)が瑞巌寺の前身である延福寺を創建した際に堂を設け、大聖不動明王を中央に東方降三世(ごうざんぜ)、西方大威徳(だいいとく)、南方軍荼利(ぐんだり)、北方金剛夜叉(こんごうやしゃ)と五大明王像を安置したことより、五大堂と呼ばれることとなった。
 本尊は秘仏とされ、三三年に一度、ご開帳が行われるが、お堂そのものは公開されている。
 五大堂へと続く朱に塗られた橋を渡れば、日本三景の絶景と共によりいっそうの風情を楽しむことが出来るだろう。
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