鳥羽城 Toba-jou
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鳥羽城(とばじょう)は、三重県鳥羽市鳥羽にあった城である。
平安時代の末期、橘氏がこの地を領し、居館を築いて鳥羽殿と呼ばれていた。戦国時代に入り、伊勢波切城主であった海賊・九鬼嘉隆は織田信長を後ろ盾にして橘宗忠を攻略、宗忠の娘を妻として鳥羽城を奪い取り、一円を支配した。
文禄三(1594)年、九鬼嘉隆(くきよしたか)は鳥羽湾に浮かぶ小島に海城・鳥羽城を築いた。
九鬼氏は信長、秀吉配下として活躍したが、徳川時代になってお家騒動で分裂し、以後は次々と城主が入れ替わり、享保一〇(1725)年、稲垣昭賢が入城、明治維新まで続いた。
現在、本丸が小学校のグラウンドとなり、市役所・城山児童公園・旧鳥羽幼稚園などが城跡に造られていて、僅かに石垣が遺構として残っている。
鳥羽城は、海賊・九鬼氏ゆかりの天然の要害であった城である。
平安時代の末期、橘氏がこの地を領し、居館を築いて鳥羽殿と呼ばれていた。戦国時代に入り、伊勢波切城主であった海賊・九鬼嘉隆は織田信長を後ろ盾にして橘宗忠を攻略、宗忠の娘を妻として鳥羽城を奪い取り、一円を支配した。
文禄三(1594)年、九鬼嘉隆(くきよしたか)は鳥羽湾に浮かぶ小島に海城・鳥羽城を築いた。
九鬼氏は信長、秀吉配下として活躍したが、徳川時代になってお家騒動で分裂し、以後は次々と城主が入れ替わり、享保一〇(1725)年、稲垣昭賢が入城、明治維新まで続いた。
現在、本丸が小学校のグラウンドとなり、市役所・城山児童公園・旧鳥羽幼稚園などが城跡に造られていて、僅かに石垣が遺構として残っている。
鳥羽城は、海賊・九鬼氏ゆかりの天然の要害であった城である。
- 住所
- 517-0011 三重県鳥羽市鳥羽
- 名前
- 鳥羽城