NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/11


落語 Rakugo 

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 落語(らくご)は、日本の話芸の一種で、代表的な大衆芸能の一つである。何人かの登場人物や状況描写などのすべてを一人の話者が行い、物語は二人以上の掛け合いで進行する事が多い。
 話者は、高座という観客より少し高い位置に座り、観客に向って噺す。身振り手振りのしぐさを使い、声音を上手に使い分けて、笑いや涙を誘う。
 話の最後に「落ち」をつけて終わるところから、落語と呼ばれるようになったという。
 起源は、室町末期の戦国大名が相談役兼話相手として召し抱えた御伽衆(おとぎしゅう)とされ、江戸時代になると安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)らの御伽衆が活躍し、小咄をまとめた「醒睡笑」が出版された。
 その後、落語は上方で発展してゆき、寛政一〇(1789)年、江戸に三笑亭可楽、三遊亭円生、上方に桂文治が登場し、定席が設けられるようになって落語は一気に庶民に広まった。
 落語は現在でも、主に寄席(よせ)と呼ばれる劇場で公演されている、人気の伝統芸能である。
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2008/2/15


初代 林家木久扇・二代目 林家木久蔵 Shodai HayashiyaKikuou Nidaime HayashiyaKikuzou Hayashiya Kikuou I Hayashiya Kikuzou II , Ragkugo Storytellers

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 林家木久扇(はやしやきくおう)1937年東京生まれ。61年、三代目桂三木助逝去後、八代目林家正蔵門下へと移り、林家木久蔵となる。72年に真打ち昇進。65年に『笑点』のレギュラーとなる。全国ラーメン党会長、落語協会理事などを務めている。07年、木久蔵の名を長男に譲り「木久扇」を名乗る。
 林家木久蔵(はやしやきくぞう)1975年東京生まれ。玉川大学文芸部芸術学科卒業。父である林家木久蔵の門下となり、96年に前座入り、林家きくおとなる。その後、二ツ目を経て、07年に二代目林家木久蔵として真打ちに昇進。
 2007年、東京・上野の鈴本演芸場を皮切りに、落語界史上初のダブル襲名披露興行をスタートした林家木久扇、木久蔵親子。先代が生きている間に名前を継ぐという今までにない試みとなった。
 「型にはめて守るのでなく、攻めることが、落語のようなやわらかい芸でも大事なことだ」と両氏は語る。その言葉の中には日本文化の伝統を維持し、発展させていくためのヒントが隠されている。
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2007/9/7


紬織 Tsumugi-ori Tsumugi Silk Textil

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 紬織(つむぎおり)は、真綿から紡ぎ出した糸を経緯に用い、手織りで織り上げられた織物である。
 屑繭などから真綿を作り、指先で糸にしたものを手紡ぎ糸あるいは紬糸といい、それらを用いることから紬織と呼ばれるようになった。
 手紡ぎ糸独特の微妙な凹凸から生まれる風合いや鈍い光沢が特徴で、また、非常に丈夫なことから、古くから日常衣料や野良着などの作業着として用いられていた。
 このため、例え絹であっても正装には用いられなかったが、江戸時代のいわゆる”粋”を愛した通人たちが、その色合いや絹なのに落ち着いた光沢を持つ風合いに渋さを見出し、さりげなく趣味の良さを主張できる粋な反物として、外出着やお洒落着に用い、人気を博した。
 非常に丈夫な分、織りたては生地が硬く、着心地が良くないため、裕福な商人は番頭などに着せて、やわらかくなったところで自分で着用したという逸話もある。
 織りたての硬いものを羽織って、落語よろしく粋がってみるのも良いかも知れない。
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