NIPPON Kichi - 日本吉

記事数5件: 1~5 件表示          

2008/6/24


大野勇太郎 Oono Yuutarou Yuutarou Ohno

Jp En

 1935年、東京都生まれ。株式会社大野精密・代表取締役社長。
 北豊島工業高校卒業後、8ミリカメラ製作会社へ入社。1978年に歯車製作の株式会社大野精密を起業。大野氏は江戸時代のからくり人形を高精度の歯車製作の技術を駆使して現代に蘇らせている。
 工学書で「からくり人形」の存在を知ったことをきっかけに、細川半蔵の著書「機功図彙(からくりずい)」という解説書の複製を入手。本業の合間に解読を進め、それから約二〇年もの間、茶運び人形・指南車・からくり時計などを作り続けている。細川半蔵とは江戸時代に「からくり半蔵」と呼ばれた技術者である。
 顔と衣裳を除いた、約八〇点ほどの部品を使い組み立てられる人形は、なるべく当時の方法を残すようにして作られているという。江戸時代と現代が融合した機能美がここにある。
 今後は弓を引いて的に当てる「弓張り童子」の復元をしたいという大野氏。江戸時代の先達に敬意を持ちながら、からくり人形を通じてものづくりのロマンを現代に伝え続けている。
[→より詳しい記事を見たい方はこちら]
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/3/24


そろばん Soroban 

Jp

 そろばんは、計算補助器具の一種であり、その最古のものはギリシアのサラミス島で発見された、紀元前三〇〇年頃のものといわれるほど、古くから存在している。
 算盤や十露盤とも書き、算盤の中国読みである「スワンパン」が変化して「そろばん」と呼ぶようになったといわれており、日本には室町時代に、宋の商人によって伝えられたとされる。
 木製の珠と枠、梁、芯を組み合わせて作られており、それぞれの芯は梁に通し、四辺を枠によって固定、芯には珠が、梁を境に上側に一つ下側に四つ通されている。
 この珠を上が五で下を一つが一、珠が通された芯一つを一桁と捉え、珠を移動させることによって計算を行う。例えば、五+三であれば、まず上の珠を下にずらして五を盤上に表し、次に足す三は下の珠三つを上へずらす。これで、盤上には上の五と下の三の合わせて八が表されることになる。
 現代では電卓やコンピュータの普及で、そろばんの出番は少なくなりつつあるが、教育用具としてのそろばんの価値は再認識されてきている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/5/1


内田文雄 Uchida Fumio 

Jp

 島根県横田町に伝わる伝統工芸品「雲州(うんしゅう)そろばん」の伝統工芸士。
 昭和二十二(1947)年生まれ。昭和六二(1987)年、島根県ふるさと伝統工芸品技術後継者表彰受賞。
 雲州そろばんは江戸時代後期、仁多町の大工、村上吉五郎が広島の職人、塩屋小八が作った算盤を参考に、この地方特産の木材を使用して作成したのが始まりとされる。
 後に手回しろくろが発明されたことにより、生産が拡大。経済の発展に伴い産業として発展した。氏は他で学んだ後、天皇家への献上品を作成した名工の父に付いて修行を行い、二代目「雲文」の名を継いだ。
 「使ってこそ意味がある」と信じ、一つ一つに木の性質を見極めて作品を作る、親子二代続いての職人である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2006/12/18


石庭(世界遺産) Sekitei(Sekai-isan) Sekitei Rock Garden

Jp En

 白砂の中に置かれた、たった数個の石。
 極端なまでに抽象化された空間の中に、あなたは何を見るか。海に浮かぶ島々、雲海からのぞく山の頂き、時空を超越した宇宙の理…。鑑賞者の自由な解釈にゆだねるしかないその存在は、まるで、禅の公案のようだ。
 石庭は、見る者の視覚を瞬時に異化する不思議な構造を持っている。限られた空間の中で、遠近を最大化する工夫が為され、砂に描かれたシンプルな曲線が波を生む。すべてをそぎ落とした時、奇跡のように現れた宇宙のフォルム。
 最も有名な龍安寺の石庭すらも、いまだ作者は不明。500年以上の時を超えて、変わらぬ姿のまま、そこにあり続けてきた。訪れた者は、圧倒的な空間の美に、ただ立ちつくすしかない。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2006/12/11


厳島神社(世界遺産) Itsukushima-jinjya(Sekai-isan) Itsukushima Shrine (World Heritage site)

Jp En

 厳島神社は瀬戸内海の島々を背景に、その入江の海のなかに木造建物が建ち並ぶ日本でも珍しい神社である。12世紀、平清盛の造営により、現在見られる壮麗な社殿群の基本が形成された。しかしその後焼失し、1241年に再建されたという。その後も時の権力者による度重なる再建と復元により、現在のかたちとなった。
 厳島神社は海に建つ木造建築として過酷な環境下にありながら、歴代政権の厚い庇護に守られて、古い様式を今日に伝える類まれな建造物と言えるだろう。
 社殿の建築様式は、清盛造営時の平安文化の風格をよく表しており、特徴のある優美な曲線が随所に見られる。また「寝殿造り」(平安貴族の邸宅建築)の建築様式を巧みに取り入れながら、自由奔放な変化に富んだ発想とうまく調和させて「美」を創造した点も注目に値する。
 厳島神社は1996年に世界遺産に登録された。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数5件: 1~5 件表示          
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter