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2007/9/10


高千穂河原 Takachiho-gawara Takachiho-gawara

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 高千穂河原は、鹿児島県霧島市の霧島連峰にある、かつて霧島神宮が建っていた場所である。
 初め霧島神宮は高千穂峰と御鉢の間にあったが、1400年前の噴火により消失し、この地に再建された。しかし、それも1000年前の噴火のため燃えてしまい、その後、他の場所へ移された。現在は、宮跡が祀られている。
 高千穂峰の西麓にあたる登山口でもあり、登山道を兼ねた遊歩道周辺にはアカマツ林やミヤマキリシマが群生する。
 高千穂河原から見る高千穂の峰は急角度で空を突き、神秘的な山肌も鮮明に見えて、まさに霊峰の雰囲気である。
 高千穂峰の頂は天孫降臨の地であり、高千穂河原は山頂に降りた神々の古宮址とも呼ばれ、毎年11月10日には日没とともに、天孫降臨記念祭が行われている。
 高千穂河原は、古い歴史を持つ伝説の土地である。
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2007/8/13


大法寺 三重塔(国宝) Daihou-ji Sanjuu-no-tou 

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 大法寺(だいほうじ)三重塔は、そこを通る人々がさまざまな角度から眺め、美しさのあまり名残惜しく、思わず振り返るため、見返りの塔と呼ばれる名塔である。
 純粋に和様という建築手法が用いられ、統一感のある洗練された印象である。
 初層(一番下の屋根層)の平面が二・三層に比べ特に大きく、軒をささえる組物の手先が上二層より一手少ない設計になっており、この独特の工法によって、塔の座りが良く、伸びやかなバランスの良い美しいシルエットになっている。
 鎌倉時代末期の正慶二(1333)年に創建されたとされており、高さは18・38mほど。
 昭和二八(1953)年、長野県下では安楽寺八角三重塔とともに、国宝に指定された。
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2007/8/9


玉虫塗 Tamamushi-nuri Tamamushi Lacquer Ware

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 国内はもちろん海外でも人気のある仙台生まれの漆芸。
 昭和三年、当時の商工省(現在の経済産業省)工芸指導所が仙台に設立され、昭和七年に所員であった小岩峻(作家名:古明)によって開発された漆器の塗装法である。量産と海外輸出を目的として、日本古来の伝統工芸に新たな技術を加えて、外国人の趣味嗜好に合うように商品開発された。
 光や角度により艶やかな光沢と色調を見せることから「玉虫塗り」と命名された。
 漆器本来の下塗りの後、表面に銀粉をまき、赤や緑の玉虫漆で上塗をする。この銀粉まきと玉虫漆の上塗りを工程を十数回から多いもので数十回漆を塗り重ねることにより、玉虫の羽のような風合いが出てくる。
 さらに沈金(ちんきん)や蒔絵(まきえ)と呼ばれる模様付けを施すことにより製品となる。
 戦後は輸出漆器の中心を担うほど海外で人気となり、和洋、どちらにも調和する漆器として現在でも親しまれている。
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2007/7/25


色鍋島 Iro-nabeshima Iro-Nabeshima (Colored Nabeshima Ceramics)

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 色鍋島(いろなべしま)は、有田焼のひとつの色絵磁器である。
 花鳥風月をモチーフに、繊細で緻密な色絵を施す色鍋島は、格調高く洗練された意匠が特徴。現在では、有田の名窯・今右衛門がその伝統と技術を継承している。
 文禄・慶長の役の際中国より連れ帰った陶工団により、日本で初めての磁器が有田で焼かれた。その後寛永年間の1640年代に中国より色絵の技術が伝わり、有田の初代今右衛門が色絵付けの磁器を作っていたとされる。その後、今右衛門は鍋島藩の藩窯となり、献上品や贈答品用の色絵磁器の仕事を担うことになる。これが色鍋島のルーツとされる。
 十代今右衛門が明治六(1874)年頃から本格的に色鍋島に取り組み、優れた赤絵の技法の確立に成功した。十三代今右衛門は現代の角度からの色鍋島に意欲を燃やし、平成元年には色絵磁器で人間国宝に認定された。
 現在も、十四代今右衛門が代々伝わる色鍋島の技を継承しながら、現代的な試みに励んでいるという。
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麗観富山 Reikan-tomi-yama 

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 宮城県・松島湾は、言わずと知れた日本三景のひとつであり、松尾芭蕉ですら余りの美しさに絶句したと伝えられる、東北を代表する景勝地である。湾内外には、大小260余りの諸島が点在。長い年月の波浪侵食、風化作用により、四季を通じてそれぞれの景観を見せる自然美が楽しめる。
 この松島をいろいろな角度から違った景観を一望できる所。それが「松島四大観」と呼ばれるビュースポットである。「壮観」と呼ばれる大高森、「麗観」富山(とみやま)、「幽観」扇谷、「偉観」多門山と、それぞれの景観の個性に合わせて名前が付けられている。
 富山は四大観の中でも標高117mと最も高い場所に位置する山で、杉、松、樅の大木に覆われた静寂な趣の中、松島湾のほぼ全景を望める。富山から眺める松島湾の島々は、「麗観」の名の通りなだらかな曲線を描く穏やかな眺めだ。
 富山は、明治九(1876)年に明治天皇も登られたことのある由緒ある場所である。
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2007/7/11


ピッシリ山 Pissiri-zan Mt. Pisshiri

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 北海道北東部にある天塩山地の南端に位置するのがピッシリ山だ。この山を源流とする川名の由来となった「源頭が石の山にある川」という意味を持つアイヌ語「エ・ピッシリ・オマ・プ」が、転じてピッシリとなったのではないか、といわれている。
 標高は1032mで、道北では最高峰となる。4合目付近からは尾根伝いの道となり、そこから麓に広がる朱鞠内湖を望む展望は、登山者の足取りを軽やかにしてくれる良いスパイスとなる。
 また、花の豊富な山としても知られており、道中、季節によってはミズバショウの群落を見る事が出来るかもしれない。
 そして、北海道百名山にも選ばれているその頂からの眺望は、まさに雄大の一言に尽きるだろう。切り開かれた頂上からの眺めはまさに360度を見渡せる大パノラマとなっており、遠くに日本海や大雪山系を見て取ることが出来る。
 どの角度から見ても絶景が楽しめる。大自然はそんな贅沢を心行くまで提供してくれる。
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2007/7/10


羅臼ひかりごけ Rausu-hikari-goke 

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 北海道の羅臼町にあるマッカウス洞窟。ここに、国内では最大規模となるヒカリゴケの一大群落がある。それが、羅臼ひかりごけである。
 国内でも貴重な存在であり、北海道の天然記念物に指定されている。
 ヒカリゴケは、ヒカリゴケ科に属し、主にヨーロッパや北アメリカ、日本に分布している。日本においても一般に寒冷な地を好み、北海道や本州の山岳部の一部で見られるものだ。また、洞窟や岩の隙間などの暗い場所を好むため、マッカウス洞窟はその生育に最適な場所だったのである。
 洞窟に入れば、暗闇の中でまるで大量のエメラルドをばら撒いてしまったかのようなまばゆい光を放つヒカリゴケをすぐに見ることが出来る。
 とはいえ、コケ自体が発光しているのではなく、光を反射しているため、発光しているように見えるのである。そのため、見る角度によっては違った色の光になる。
 暗い洞窟に揺らめく黄緑色は、見るたびに加減を変える、まさに一期一会の輝きだ。
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2007/6/18


寒露 Kanro Kanro

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 寒露(かんろ)とは、二十四節期の一つで、次の二十四節期、霜がおりはじめる十月下旬頃を示す霜降(そうこう)までの期間を言い、現在の暦では十月八日前後を指す。
 地球から見た太陽の角度である太陽黄経が195度の時。
 霜が冷気によって凍りはじめ、雁などの冬鳥が飛来、菊の花が咲き、コオロギなどの秋の虫の音が止む。木々の葉は徐々に染まり、稲刈りも終わりを告げ、吹く風も冷たさを増す。
 「陰寒の気に合つて露結び凝らんとすれば也(冷気が加わって露が秋の深まりを感ずる冷たさになったという)」という言葉もある。
 この頃の俳句の季語としては、浅漬大根や芋煮会、稲刈り等、収穫に関係した食に関するものが多く存在し、人々の生活と食の深い関わりを感じることができる時期である。
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