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人の波がなかなか切れない大都会の片隅に、赤い大理石で造られた、馬水槽(ばすいそう)と呼ばれる水槽が置かれている。
東京の上水道育ての親と呼ばれる、中島鋭司博士が明治三四(1901)年に欧米諸国を視察した際、ロンドン水槽協会から当時の東京市に寄贈されたものだという。
明治三九(1906)年、東京市役所前に設置されてから大正初期までは、実際に道行く馬車馬が水を飲む光景が見られたという。
その後、震災などで各地を転々としたこの水槽だが、昭和三九(1964)年に現在の地に設置、「みんなの泉」という名前が一般公募によって名づけられた。
上部が馬用、下部が犬猫など小動物用で、裏面に人間用の水飲み場もあるという。世界でも数少ない貴重な史跡は、区の指定文化財にも指定されている。
東京の上水道育ての親と呼ばれる、中島鋭司博士が明治三四(1901)年に欧米諸国を視察した際、ロンドン水槽協会から当時の東京市に寄贈されたものだという。
明治三九(1906)年、東京市役所前に設置されてから大正初期までは、実際に道行く馬車馬が水を飲む光景が見られたという。
その後、震災などで各地を転々としたこの水槽だが、昭和三九(1964)年に現在の地に設置、「みんなの泉」という名前が一般公募によって名づけられた。
上部が馬用、下部が犬猫など小動物用で、裏面に人間用の水飲み場もあるという。世界でも数少ない貴重な史跡は、区の指定文化財にも指定されている。
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