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2008/4/4


蒲郡市 無量寺 Gamagori-shi Muryou-ji 

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 蒲郡市(がまごおりし)にある無量寺(むりょうじ)は、別名西浦不動ともいう。貞観元(859)年に真雅僧正の開創した古刹として知られ、また「がん封じの寺」として知られている。
 境内には戒壇めぐりの行場や、市内第二位の大きさを誇る天然記念物の大楠がある。
 無量寺には、中国は西安の慈恩寺をまねて作られた、高さ20メートルの大雁塔が建っている。塔は方形が七層のつくり。慈恩寺という寺は玄奘三蔵(三蔵法師)が天竺から持ち帰った経典の翻訳を行なった寺として知られている。
 無量寺の隣に建てられているのが、がん封じ堂である。絵馬には人形が描かれており、がんを直したい箇所を黒く塗るようになっている。堂には絵馬がびっしりと掛けられており、この寺の信仰にあやかって参詣する人々が多いことがうかがえる。
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2008/3/25


注連飾り(島根、山口) Shimekazari(Shimane,Yamaguchi) Shimekazari (Shimane, Yamaguchi)

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 中国地方の一部の注連飾り(しめかざり)には、紙垂(しで)や、橙(だいだい)などと一緒に、赤唐辛子が飾られているものがある。
 唐辛子は、古来より世界の各地で「魔除け」として用いられることが多い。玄関に吊るすことで邪気の侵入を防ぐと言われている。
 棘のある植物や香りの強いものは悪鬼を祓うと言われ、節分の日に柊の枝と鰯の頭を門戸に挿す習慣と通じるのかもしれない。
 また、紙垂を飾ることには外からの災いや厄を吸収させるという意味もある。
 「注連・シメ」は「占める」の意味で、注連縄は疫病などの不浄なものの侵入を封じ、神などがいる「結界」を示し、また、幸せなどを外へ逃がさないようにする印として張られる。
 こうした注連縄の役目は、注連飾りのもとになっているといわれる。
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2008/3/4


久慈琥珀 Kuji-kohaku Kuji Amber

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 久慈琥珀(くじこはく)は、岩手県の久慈市で産出される琥珀である。
 琥珀は、太古の植物の樹脂が化石化してできたもので、久慈地方はその産出量、品質ともに優れており、歴史的にも国内唯一の産地として知られている。
 世界で最も古いものとしては三億年前の琥珀が発見されているが、久慈地方産の琥珀は、今から約八千五百万年前の中生代白亜紀後期に属するもので、宝飾品類に加工されるものとしては世界最古の琥珀である。
 この地方では古来より採取が行われており、各地に残る古墳時代の遺跡から出土した琥珀も久慈地方産とされ、平安時代にはすでに琥珀工房が存在していたことが判っている。
 近年では学術的に貴重な虫入り琥珀の発見も相次いでおり、奥深くて軽く、暖かみのある自然素材の宝石として親しまれている。
 太古からのメッセージを封じ込めた小さな粒は、地球が見つづけてきた時の流れの一瞬を今に伝えている。
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2008/2/18


神前神社 Kamisaki-jinja 

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 知多半島のほぼ中央に位置する半田市亀崎(かめざき)。その地の氏神である神武天皇が祀られているのが「神前(かみさき)神社」である。
 神武天皇が伊勢路から亀崎を訪れたという伝説により「亀崎神社」と呼ばれたが、その後「神前神社」に改称されたといわれる。
 伊勢湾に向かって建てられている社殿は、海からもはっきりとその姿を見ることができる。その昔、神社の前を通る船は帆を下げたり帆綱に手をかけたりして、航行の安全を祈願したり敬意を表したりしたという。
 「春の山車祭り」の最後をしめくくる、「亀崎潮干祭(かめざきしおひまつり)」が奉納される神社としても有名である。また宮参りや虫封じなどにも多くの参拝者が訪れる。
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2007/10/9


功雲寺 Kouun-ji Kounji Temple

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 功雲寺(こううんじ)は、神奈川県相模原市津久井町にある曹洞宗の寺である。本尊は釈迦如来。
 応永一五(1408)年、宝ヶ峰の裏側、昔の太井村に創建され、当時は、耕雲庵と称されていた。その後、戦国時代になって、津久井城主・内藤景定が現在地に移し功雲寺として開基された。
 下総国鴻台(しもうさのくにこうのだい)、現在の千葉県市川市国府台にある総寧寺(そうねいじ)の末寺にあたる。総寧寺は、江戸時代に曹洞宗の関東僧録司・三ヶ寺の筆頭である。
 かつては、広い境内に山門、本堂、開山堂、白山堂、鐘楼などが立ち並び、寺領50石を封じられた大寺院だった。本堂の裏手には歴代住職の無縫塔群、その中央に景定夫妻のものといわれている宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建つ。
 これを囲んで代官守屋左太夫一族、城代家老馬場佐渡、元家臣で津久井総代名主・島崎律直らの墓が並んでおり、津久井城主の墓は、町指定文化財となっている。
 功雲寺は、領主内藤氏とゆかりの深い寺である。
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2007/8/16


鹿島の面浮立 Kashima-no-Menburyuu Men Buryu in Kashima

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 鹿島の面浮立(かしまのめんぶりゅう)は、佐賀県鹿島市など、同県南西部一帯に古くから伝わる伝統芸能だ。
 浮立とは、平安時代の娯楽であった風流が語源とされ、毎年の秋に佐賀県南西部を中心に、各地で様々なスタイルによって奉納される神事芸能でもある。
 般若の面に似た面長の鬼面をつけ、体の前面に鼓を持った踊り手が鉦(かね)や太鼓が鳴り響く中で、豊作や雨乞い、悪霊退散を神に祈願して踊る鬼面芸の一種だ。
 その起源は、戦国時代の戦において、一帯を治めていた武将が一族郎党に鬼の面や獅子面の一種である赤熊(しゃぐま)をつけさせ、陣鉦や陣太鼓、笛を鳴らして敵に夜襲をかけ、勝利したという故事に基づいているといわれる説や、耕作に害をなすといわれる悪霊を封じ込め、豊作を祈願する神事として今の面浮立が確立されていったと言われるなど、諸説ある。
 太鼓を叩きながら、模様のついた法被に白い股引といったスタイルで鬼面をつけて踊る姿は、悪霊を退散させるには充分な迫力と勇壮さを魅せてくれる。
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2007/8/14


十夜ヶ橋永徳寺 Toyo-ga-hashi-eitoku-ji 

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 十夜ヶ橋永徳寺(とよがはしえいとくじ)は、愛媛県大洲市豊茂丁にある真言宗御室派の寺である。本尊は、弥勒菩薩。四国別格二十霊場第8番札所、四国八十八か所霊場の番外札所とされる。
 大同二(807)年、弘法大師がこの地を訪れた際、日が暮れて空腹と寒さに耐えながら、一夜を小川に架かる橋の下に野宿し「一夜も十夜の長さに感じられるほど寒く感じた」という。
 寺の側にかかる十夜ヶ橋がその橋で、橋の袂には横になった大師像が安置されており、このエピソードが名前と大師像の由来とされている。
 寺は永徳年間(1381~1384)の開創と伝えられるが、火災によって記録を失ったため詳細は分かっていない。
 四月・八月の「十夜ヶ橋霊場縁起」では弘法大師御影供・夏季縁日が盛大に行われ、土用の丑の日に行われる「きゅうり封じ」の祈祷には、多くの参拝者が訪れる。
 十夜ヶ橋永徳寺は、弘法大師空海ゆかりの古寺である。
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2007/8/10


ばら大師 Bara-taishi 

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 四国曼陀羅霊場第五十二番ばら大師永照寺。
 そこは四国各地を巡錫(じゅんしゃく)していた弘法大師の「野宿の聖地」ともいわれている。
 古びれて汚れ、破れた衣をまとった大師は泊めてくれる宿が見つからず、仕方なしに野宿したのがとげのある野ばらの上。その一夜が十日間の苦行のような心境だったため、「この地の里人達もとげで苦しむであろう」と考えた大師がとげを封じ込めたばらが「とげなしばら」になったといわれている。
 今も本堂裏の大師の像の周りに棘のない「とげなしばら」はある。現在では町の天然記念物に指定されていて、町外に持ち出してはならないことになっている。
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