NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/1


知立の松並木 Chiryu-no-matsu-namiki The Row of Pine trees in Chiryu

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 愛知県の知立(ちりゅう)市は、慶長六(1601)年より東海道五十三次の三九番目の宿場町「池鯉鮒宿(ちりゅうじゅく)」としての役割を担っていた。
 慶長九(1604)年幕府の命により、集落の中を除く東海道全域に松の並木が植えられた。並木は夏は木陰を作り、冬は風雪を防ぐのに役立ち、旅人の味方になった。
 現在知立には、約500メートルに渡って170本にもおよぶ松並木が続き、往時の東海道の姿をとどめている。
 この松並木の両側には側道があるが、これは数百頭に及ぶ馬市の馬を繋いでいたものとされている。
 松並木と馬市の賑わいは、松並木の南側の馬市之跡の古い石碑や、広重の浮世絵「東海道五十三次・池鯉鮒」からも窺うことができる。
 昭和四四(1969)年に市指定文化財となった。
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2007/6/26


北海道 赤松並木 Hokkaido Akamatsu-namiki 

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 北海道の赤松並木(あかまつなみき)は、北海道亀田郡七飯町峠下~函館市桔梗町を結ぶ約14kmの並木道である。
 安政四(1857)年、箱館奉行支配組頭・栗本瀬兵衛が、故郷佐渡から取り寄せた赤松の種子を七重の官園で育成し始める。文久二(1862)年、瀬兵衛は育った若木を旧道に移植、明治九(1877)年には更に植樹を増やし、現在の景観になった。
 「北海道の名木美林」に収録され、「日本の名松・100選」「日本の道100選」「新・日本街路樹百景」にそれぞれ選出、歴史国道にも認定されている。
 青森県が天然分布の北限とされながらも、北限を越えた異郷の地、北海道の厳しい自然条件下で育成し、多くの人々に親しまれてきた。
 北海道の赤松並木は、特に初夏から秋にかけて、道路が緑のトンネルとなり、すばらしい景観となる名勝地である。
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2007/6/21


御油宿 Goyu-juku Goyu-juku

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 御油宿(ごゆじゅく)とは東海道五十三次、三五番目の宿場。現在の愛知県豊川市御油町である。
 東海道が制定されたのは、慶長六(1601)年であったが、この年に伝馬朱印状が発行されており、早い時期から宿場として成立していたことが確認されている。
 この伝馬朱印状では御油・赤坂で一宿と制定されていたためか、本陣の数も多く最多時で4件、少なかった頃でも2件存在していた。
 姫街道(本坂街道の俗称)の分岐点にもなっており、隣の赤坂宿ともに遊興の場としても大いに賑わった。
 また、安藤広重の絵には飯盛女が宿泊客の争奪を行っているように描かれているが、東海道の制定後、独立した赤坂宿との距離が約1・7kmと非常に近かったため、互いにすさまじい客引きをしたと伝えられている。
 現在「御油の松並木」として街道の松並木が御油宿と赤坂宿の間に残っており、当時の面影を残している。
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土山宿 Tsuchiyama-juku Tsuchiyama-juku

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 土山宿(つちやまじゅく)は、東海道五十三次、四三番目の宿場。現在の滋賀県甲賀市、旧土山町にあたる。
 江戸から向かう道中の難所、鈴鹿峠を超えたところに設けられていた。
 「坂は照る照る・鈴鹿は曇る・あいの土山雨が降る」と唄われているように雨が多く、安藤広重の残した「土山春之雨」には絶え間なく雨の降り続く木立の間を、旅人の列が肩を濡らしながら歩く様が表現されている。
 実際には、手前にあたる坂下宿の方が雨量は多かったようだが、鈴鹿峠を境に天候が変わる様子を表現したと推測される。
 現在は当時の旅籠跡や、東海道一里塚跡、本陣跡、松並木など、当時を偲ばせる史跡が複数残されている。
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2007/6/14


藤川宿 Fujikawa-syuku Fujikawa-shuku

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 藤川宿(ふじかわしゅく)は、東海道五十三次のうち第三十七之次である、徳川以前の鎌倉時代から続く古い宿場町であった。
 現在の東海道すなわち国道一号線は、名鉄名古屋本線を挟んで町の北側を通っており、旧道である藤川の町は思いのほか静かだ。国道一号から分岐する所には、宿場の入口を示す「棒鼻」が残っている。
 藤川は古い宿場町の保存に積極的で、現在資料館となっている脇本陣跡の門や秋葉山常夜灯、連子格子の町家など、当時を偲ばせる建造物も少なくない。藤川駅の南側に藤川小学校があり、その前に西の棒鼻がある。東の棒鼻からおおよそ1キロメートル程だ。
 そこから少し先に「塩の道」であった吉良街道(きらかいどう)の分岐があり、碑が建っている。左手に分かれるのが吉良街道で当時の松並木が残っており、また右手の東海道にも藤川の松並木があり、国道一号への合流まで続いている。
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2007/6/12


白華山法光寺 Hakka-san-houkou-ji 

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 白華山法光寺(はっかさんほうこうじ)は、青森県南部町法光寺にある曹洞宗の寺である。本尊は、千手觀世音大士。奥州南部三十三ヶ所の第19番札所とされる。
 名久井岳県立自然公園の麓にあり、山号は、門前にある蓮の池の白蓮華に由来する。
 建長年間(1249~56年)に鎌倉幕府の執権北条時頼により開山されたと伝わる。
 昭和二四(1949)年、三重塔としては日本一高いといわれる高さ33mの承陽塔が建立された。
 昭和三二(1957)年、老杉など幽玄の地として、県立自然公園に指定される。
 参道には日本名松百選にも選ばれている県天然記念物の千本松並木や、同じく県指定の天然記念物である樹齢1000年の爺杉が有り、植物の生命の逞しさを感じられる。
 白華山法光寺は、深い森の中に大寺の面影を残す寺院である。
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2007/5/14


余景の松原 Yoge-no-matsubara 

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 松島の景勝から少し離れた所にあり、松島の景観から余った松原という意味で「余景の松原(よげのまつばら)」と呼ばれる様になった景勝地。仙台・四代藩主綱村が命名したとされる。
 野蒜駅近くから潜ヶ浦まで続く松林で、その眺めは見事な美しさ。奥松島の代表的景観の一つになっている。
 日本の海岸砂浜には、防風林としての役割も兼ねた林があり、各地でクロマツ林が見られる。これは、すべて人が植えたもので、今から300年位前から植林が盛んになった。海岸はもちろん街道筋にも植林され、日光の杉並木、東海道の松並木に代表される。
 野蒜海岸の松はまだ若いが、「余景の松原」は、伊達藩の時代に植えられたものなので、年代を経た松の立派な風格がある。
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2007/1/30


法隆寺(世界遺産) Houryu-ji Houryu-ji Temple (World Heritage site)

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 奈良県にあり、飛鳥文化を今に伝える歴史的建造物のひとつが、世界最古の木造建築物である「法隆寺」だ。別名「斑鳩寺(いかるがのてら)」。平成五(1993)年、日本で初めて世界文化遺産に登録された。
 創建は飛鳥時代の推古十五(607)年。聖徳太子と推古天皇が、用明天皇の遺志を継いで建立したと伝えられる。
 天智九(670)年に伽藍を消失したが、現伽藍は8世紀初頭に完成、以降兵火や天災に見舞われること無く、往時の姿を今に伝える。
 美しい松並木の参道を抜けると南大門。法隆寺の中心の西院には、五重塔と金堂が並び、中門と大講堂をつないで回廊が囲む。この配置は「法隆寺式伽藍配置」と呼ばれ、この寺独特のものだ。
 18万7千平方メートルもの広大な敷地内に、19棟の国宝建築物、文化財が点在する法隆寺は、わが国が誇る世界の宝である。
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