NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/4


石尊様の裸祭り Sekison-sama-no-hadaka-,atsuri The Naked Festival at Sekison Shrine

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 宮城県栗原市若柳の武鎗(むやり)地区で、毎年三月の第二日曜日、石尊様の裸祭り(せきそんさまのはだかまつり)が開催されている。
 まだ冬の寒さが残る朝、腰わらにわらじ、白いはちまきを身に着けた裸の厄男たちが水を体にかぶりながら地域を練り歩き、各家に立ち寄って盛大に水をかけて回る。これは火伏せを祈願したものだ。
 およそ2キロ、120世帯の家全てをまわり、威勢の良い掛け声で水をかけると、見物人からは拍手や歓声があがった。
 石尊神社は室町期の大火の際に火勢を鎮めた事から由縁し、防火の守り神としての信仰されている。ご利益にあやかって里の人がこの裸祭りを始め、室町期から続く伝統行事となった。
 この祭りが終わると寒さが和らぎ春が訪れる。
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2008/1/30


小僧不動の滝寒中みそぎ Kozou-fudou-no-taki-kanchuu-misogi Waterfall Purification at Kozo-Fudo Sui Shrine

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 毎年旧正月にあたる一月一五日、宮城県栗原市一迫長崎地区の小僧不動水神社では寒中みそぎが行われている。
 参加者は厄年や成人を迎えた男性。夜一九時頃、ふんどしにわらじ、白はちまき姿で俵みこしを担ぎながら登場する。この時の外の気温は零下8度前後。みそぎ中の安全を祈願すると小僧不動の滝に向かって走り、気合いを入れ滝つぼに入る。10メートル上空から落ちてくる滝に打たれ、胸まで水につかると肌が見る間に真っ赤に。家内安全、無病息災、厄祓い、五穀豊穣、合格等を祈願する。
 みそぎを終えると体から湯気をだしながら再び神社に参拝し、行事が無事に終了したことを報告する。見物に訪れた人たちからは歓声と拍手が沸きあがる。
 その後暖かいどんと焼きの前で、甘酒を飲みながらほっと息をつき、足早に家路に着く。
 身を清め、同時に心が清められる清々しさを感じることができると、参加者には実はなかなか好評だ。
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2007/12/10


草履 Zouri 

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 草履(ぞうり)とは、日本の伝統的な履物の一つである。
 明治時代以降に洋靴が普及するまでは広く使用されていたもので、昭和三〇年代頃までは、下駄や草履を履くのは珍しくなかった。
 草履とは主に竹の皮を表畳に使った履物で、その素材と編み方で価値が変わるとされている。
 現代では「革草履」が主流で、革、布、ビニールなどで覆われた小判型の靴底に同種の表をつけ、鼻緒を据えている。
 草履の大きさはみな同じで、鼻緒をゆるめたり絞めたりして足のサイズに合わせる。男子用は畳表・竹皮が多く、女性用は、表が布・皮・ビニールなど多種で、芯がコルク、裏が皮のものが多い。
 草履の中で竹や畳俵などで作られたものを、雪駄という。
 側面の穴に長い紐を通して足首を巻き、アキレス腱か外側で縛って履くのが草鞋(わらじ)で、長距離移動や日常作業用の履物として普及した。
 草履は、かつては人々に馴染んだ、最も手軽な履物である。
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2007/11/15


徳島 法輪寺 Tokushima Hourin-ji 

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 四国霊場第九番である法輪寺(ほうりんじ)。
 弘法大師が四国を巡られる途中、この地で白蛇を見つけた。白蛇は仏様の使いであるといわれていることから、この場所にお寺を建立し、白蛇山・法淋寺と名づけたのが始まりされている。
 ご本尊は弘法大師が刻まれた涅槃釈迦如来像(ねはんしゃかにょらいぞう)で、お釈迦様が涅槃に入られた様子を表したもの。八十八か所唯一の、貴重な涅槃像である。
 昔、松葉杖なしでは歩けない人がこの寺に参拝に来た際、参道で突然足が軽くなり、松葉杖なしでも歩くことができ、ついには足が完治したという逸話が残されている。そのため、現在でも本堂にはたくさんの草鞋(わらじ)が奉納されている。
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2007/11/9


草鞋 Waraji 

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 草鞋(わらじ)は、緒で足の甲をしっかり固定して履き、長距離を歩く旅や、山仕事などに用いられる、ワラで編んだ日本の伝統的な履物である。
 中国の植物繊維を編んだ靴である草鞋が伝わったもので、奈良時代にはワラクツと言われていた。
 平安時代以降に日本の気候風土に合わせて工夫され、足指にはさんで履く庶民の履物として農作業や旅の時に利用された。
 草鞋は、足を乗せる台、かかとを受け止める返し、足を結ぶ紐、紐と返しを結ぶ乳からなっており、山歩きや長距離の歩行の際に非常に歩きやすく、昔の旅の必需品であった。
 現在は、祭りや信仰の場で身に付ける履物として存在し、一般的に日常生活では使用されていない。
 草鞋は、かつては旅や労働の時に日常使用されていた伝統の履物である。
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2007/7/3


大内宿雪まつり Oouchi-syuku-yukimatsuri 

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 毎年2月の第二土曜日・日曜日の二日間、雪深い静かな会津・大内宿で行なわれるのが、「大内宿雪まつり」である。
 この祭りは地元大内区などでつくる実行委員会が主催し、町、町観光協会、福島民報社などが後援して、昭和六一(1986)年から冬期町おこし行事として行なわれている。
 土曜日の午後から、日本一の団子さし、具止餅拾い、三志神楽、ボタ(丸太)引き競走、きき酒大会などの諸行事が行われ、夜になると「御神火戴火」と言われる、下帯姿の若衆たちが松明を手に通りを走る神事や花火の打ち上げが華やかに行なわれるが、通り沿いの雪灯篭も風情がある。
 翌日曜には、わらじ履き綱引き大会、そば食い競争等に続いて、この祭りのメーンイベントとも言える時代風俗仮装大会が行なわれる。子供からお年寄りまで、それぞれに時代衣装を身にまとって通りを練り歩く。その様は、江戸時代の宿場の面影を今も色濃く残す大内宿だけに、まさに江戸時代にタイムスリップしたかのような幻想を抱かせる。
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2007/4/10


榎原神社 Yowara-Jinja Yowara Shrine

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 榎原神社(よわらじんじゃ)は、宮崎県南那珂郡南郷町にある神社である。祭神は、天照大神。宮崎県指定の有形文化財とされる。
 万治元(1658)年、飫肥藩主伊東祐久によって、鵜戸神宮の分霊を祀ったのが創建である。
 榎原山大権現と称されて歴代藩主の崇敬も篤く、社録神領の寄進を受け、東部の鵜戸神宮と並び称せられてきた。
 宝永四(1707)年、現在の社殿が建てられた。当時は八幡造りであったが、寛政一〇(1798)年、権現造りに改装された。
 榎原神社鐘楼も貴重な遺構であり、県文化財に指定されている。
 かつては縁結びや豊作を願う若い男女などが近郷近在から押しかけ、参道は終日賑わったという。「榎原まいり」は、この風習を歌った民謡である。
 榎原神社は、霊験あらたかな、人気の衰えない神社である。
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2007/3/29


大東大原水かけ祭り Daitou-oohara-mizukake-matsuri 

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 大東大原水かけ祭りは岩手県一関市大東町大原で行なわれる冬の奇祭である。
 毎年2月11日、厄年の男たちが大原八幡神社での祈祷の後、白木綿の腹巻、褌に草鞋履きの姿で大通りを走り、沿道の人々に冷水を浴びせかけられ、厄を落とす行事。
 明暦三(1657)年、江戸城の天守閣が焼け落ち、江戸の大半を焼き払った振袖火事を厄日とし、防火祈願、無病息災を祈って行なう。
 水かけは神事の最後に行なわれるもので、仮装手踊り、しめ縄祈願、まとい振りや太鼓山車などの見所も多い。
 寒中に行なわれる男たちの勇壮な祭りとして、多くの見物客を集めている。
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