NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/25


三次人形 Miyoshi-ningyou 

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 三次人形(みよしにんぎょう)は、広島県三次市三次町に伝わる民芸品である。県の伝統工芸品に指定されている。
 寛永一〇(1633)年頃、三次藩主・浅野長治(あさのながはる)が江戸浅草の人形師・森喜三郎(もりきさぶろう)をつれ帰り、歴史上の勇者や伝説上の人物の土人形を作らせ、家臣が一子をもうける度に、祝いとしてこの土人形を贈ったのが始まりとされている。
 にかわを塗る事によって艶やかな光沢があり、別名「光人形」と呼ばれている。特に顔に関しては、磨きだし手法によってその光沢を出している。
 普通、人形は六頭身が多い中で、八頭身の容姿端麗な人形としても有名で、その姿は群を抜いて美しいといわれている。
 三次人形は、現在でも約80種類が造られている、初節句や結婚式の引き出物として大切にされている、歴史ある人形である。
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2008/4/15


江戸東京たてもの園 Edo-Toukyou-tatemono-en Open Air Architectural Museum

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 東京の西郊、都立小金井公園内にある「江戸東京たてもの園」。江戸から昭和初期の二十七棟の建造物を収蔵した、風と光と空に溢れる野外博物館である。平成五(1993)年3月開園。
 7ヘクタールを擁する広い敷地には、東に下町、西に山の手、そしてセンターには歴史的に様々な曰くのある建物が並ぶ。
 ここでは、数多くの貴重な建物が、通りと一緒に町並みを形成し、また建物の内外には、当時の暮らしを彷彿とさせる生活道具が置かれているので、ディテールにも注意すると、江戸初期から昭和の幅広い時代の意匠を楽しみながら、同時に風景も感じられるようになっている。
 まさにその時代の空気感をまるごと体感できる場所である。
 三井家の邸宅、『千と千尋の神隠し』の油屋を思い出させる銭湯「子宝湯」、建築家・前川國男邸、昭和初期の政治家・高橋是清邸などが移築・復元されている。
 かつてあった場所の風景と、ここに再現された建物を、頭の中でつなぎ合わせると、まさにタイムトリップができるだろう。
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2008/1/15


立川青風(たちかわせいふう) TachikawaSeihuu 

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 伊万里焼と異素材との融合で、陶芸宝飾という新しい世界を誕生させた異色の作家・「立川青風(たちかわせいふう)」。1952年、佐賀県伊万里市生まれ。
 1983年から陶芸宝飾品だけにこだわり創作を続けている。陶芸も宝飾も独学で、それ故の独特でオリジナルな世界を創りだしている。
 2007年にはタヒチ産黒蝶真珠の世界的造形コンテスト「タヒチアンパール・トロフィー」の国内審査で、メンズ部門1位を受賞するなど、世界的にも注目を集めている。
 400年の長い歴史を持ち、17~18世紀ヨーロッパの王侯貴族を魅了したという伊万里焼。その、歴史と伝統を礎に現代の技術と感性を取り入れて、全く新しいものを作り出す想像力が、日本文化の発展に力を与えているのではないだろうか。
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2007/8/14


西郷古墳 Saigou-kofun 

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 宮崎市内から、ひむか神話街道を北へ向かう。古事記や日本書紀で多くの舞台となった宮崎は、まさに神話のふるさと。県内のいたるところに文化財、史跡などの歴史遺産が点在している。車は2時間半ほどで美郷町に行き着く。
 美郷町は、周囲を美しい山々に取り囲まれ、小丸川、五十鈴川、耳川といった豊かな清流が流れる。この自然環境に恵まれた町の真ん中に位置する西郷区の外れ、鳥の巣集落からやや離れた、標高400mの地点に西郷古墳(さいごうこふん)がある。
 直径10m、高さ2mの小さな円墳だが、昭和四(1929)年に直刀や鉄剣が出土。さらに昭和五二(1977)年には粘板岩の切石を利用した石棺が発掘された。昭和一〇(1935)年7月2日、県の文化財(名勝)に指定。
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2007/7/9


オムサロ台地 竪穴群 Omusaro-daiti Tateana-gun Pit Dwellings on the Omusaro Plateau

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 オムサロ台地竪穴群(おむさろだいちたてあなぐん)は、北海道紋別市の中心から約7km北西の海岸近くにある小高い丘にある遺跡。
 遺跡は、渚滑川と興部町のオムサロ沼の間の丘の上に約1kmに渡り、208個余りの先住民の竪穴住居跡が続く。
 今から約1万年前以上の縄文早期、続縄文、それにオホーツク文化と呼ばれる北海道特有の大陸系民族の文化、擦文(さつもん)、アイヌと、1万年もの間途切れることなく、北海道の住民の生活の跡を残している。
 遺跡の中でも見晴らしのよい台地には遺跡公園が作られ、1千年前の擦文時代の様子や、竪穴住居、高床倉が復元され、アイヌの人々が好んで食用したとされるオオウバユリやエゾエンゴサク、ギョウジャニンニクなどの植物が植えられている。
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2007/5/24


上ノ国の中世の館 Kaminokunino-chuseino-tate Kaminokuni Fort-Mansion

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 北海道道南の日本海に面する上ノ国町には、「館(たて)」と呼ばれる中世の山城の跡が残る。
 上ノ町に所在する「花沢館」「州崎館」「勝山館」の三館が、北海道遺産に指定された「上ノ国の中世の館」である。このうち最も規模の大きい勝山館跡は、昭和五四年から発掘調査が行われており、謎の多い北海道中世史の空白を埋める貴重な遺構だ。
 勝山館は、松山藩の祖・武田信広が長禄三年(1457)年、アイヌ民族との戦いに勝利した後、居城として築城。発掘調査では、空壕、屋敷跡、食器などともに200人以上の和人とアイヌ民族が一緒に暮らしていた記録も出土され、和人とアイヌ民族の共生の証として注目を集めている。また、出土した陶磁器の45%が中国製だったことから、中国との交易を盛んに行っていたことが窺える。
 上ノ国の中世の館は、歴史のミッシングリンクを埋めるロマン溢れる遺跡である。
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2007/2/19


三春城 Miharu-jyo Miharu Castle

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 三春城は、福島県田村郡三春町にあった城である。
 三春城は、鎌倉〜南北朝時代にかけて、田村氏の田村義顕が大志多山に築いたと言われる。
 やがて、田村氏は強豪に臣従するようになったが、天正18(1590)年の奥羽仕置により、伊達政宗に従い仙台へ去った。
 その後は蒲生氏郷、上杉景勝、加藤嘉明などの大名の所領となったり、天領になったりした。
 正保2(1645)年、秋田俊季が5万5千石で入封し、以後明治維新まで秋田氏が続いた。
 明治4(1871)年、廃藩置県により廃城となる。
 現在は公園となっており、桜の名所としても知られている。城跡近くには公共機関が集まり、三春町の中枢地域をなしている。
 三春城は、歴史に翻弄された小勢力の悲哀を感じさせる城である。
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2007/2/12


伊賀八幡宮 Iga-hachiman-guu Iga Hachimangu Shrine

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 愛知県岡崎市にある神社。
 その歴史は、徳川家の先祖である松平親忠が15世紀後半に子孫繁栄のため、守護神として創建したのが始まりである。
 徳川幕府3代将軍家光は、この神社に東照大権現(徳川家康)を合わせ祀った。
 また、本殿の増築したものが現在の権現造りの御社殿であり、これも家光がおこなったものである。徳川家のこの神社への思い入れが垣間見られる。
 当時、この神社の鳥居を動かしながら、戦が近いことを町民たちに知らせ、士気の鼓舞に利用したという。
 御社殿は極彩色の立派なもので、国宝に指定されている。隋神門や石橋は国の重要文化財に指定されている。
 家運隆盛、事業発展、厄除開運などのご利益があり、参拝者で年中賑わっている。
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