NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/18


猿楽 Sarugaku 

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 古来中国には散楽(さんがく)という民間の舞楽があり、唐の時代に軽業師、奇術師、滑稽物真似などが伴奏とともに演じるものを称していた。日本には奈良時代に伝来、朝廷の保護を受けるが、しばらくして保護がなくなり、各地に広まり、平安時代には日本化して「猿楽」と呼ばれるようになった。散楽から猿楽という名に変わったのは、言葉の音韻上の類似や、芸が物真似芸であり猿の動きが連想されたといわれている。
 平安時代以降、猿楽は社寺の保護を受ける。神事の際に行われた猿楽は一座の長老が翁の面をつけて単調に舞う「翁猿楽」が主体で、余興として「猿楽能」があった。鎌倉時代には歌舞劇としての能と台詞劇としての狂言に分かれていき、室町時代には猿楽を演じる一座が各地にできて、大和四座(観世座・宝生座・金春座・金剛座)や吉野猿楽と呼ばれた桧垣本猿楽座という一座も活躍していた。その後、猿楽は武士階級の庇護を受け、江戸時代には幕府の式楽になったことで新曲や新作面は禁じられ、明治には「猿楽」は「能楽」と呼ばれるようになった。
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2008/3/6


大日堂舞楽 Dainichidou-bugaku 

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 大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(おおひるめむちじんじゃ)に奉納されている古典舞楽である。
 神社では、毎年正月二日に行う祭典にて大日堂舞楽を奉納しており、舞楽は国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 大日霊貴神社は、継体天皇(507~531)が建立したのが始まりとされている。
 その後、元正天皇が養老二(718)年に再建し、その時に大日堂舞楽を伝えたと言われる。
 当日は能人と呼ばれる氏子の中から35人が選ばれ舞楽を奉納し、周辺の4集落に分かれてそれぞれの集落内で舞台元の舞をする。その後、各所で権現舞を舞いながら大日堂に一同集まり、挨拶の後、堂の中で舞い始める。
 大日堂舞楽は、わが国に現存する舞楽の中でも、最も古い形が伝えられる伝統芸能である。
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2007/9/11


熊野堂舞楽 Kumano-dou-bugaku Kumanodo Bugaku

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 熊野堂舞楽(くまのどうぶがく)は宮城県名取市高舘熊野堂の熊野神社の春の例祭時に演じられる芸能で、古風な舞と様式を忠実に残す貴重な舞楽である。県指定の民俗文化財民俗芸能に指定されている。
 舞楽は二間四方の水上の上に設けられた仮設舞台で演じられる。背面に神楽幕が張られ、正面に神簾がおかれる。舞台後方では奏楽が、太鼓一、大拍子一、笛一のかたちで奏曲される。
 舞楽そのものは古代インド、中国、朝鮮から伝来した外来芸能である。熊野堂舞楽については山形県山寺立石寺林家から伝承されたもの、と伝えられているが明確な資料はなく定かではない。
 音調も古風で、すべて黙劇の祈薦の舞である。社家舞楽ではあるが、随所に修験の呪法としての舞の名残が見られる。
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2007/1/17


慈恩寺 Jion-ji Jion-ji Temple

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 山形県寒河江市にある寺。
 746年聖武天皇の勅命でインド僧、婆羅門僧正が開いた伝えられている。江戸時代には、幕府から2812石の御朱印を受け、まさに東北を代表する名刹となる。
 本堂は桃山時代の様式を残し、国の重要文化財に指定されている。本堂内には多数の菩薩像が残されており、それらもまた、国の重要文化財の指定を受けている。
 杉の木が生い茂る山中には、三重塔、仁王門などが立ち並ぶ。
 十二神将など歴史的にも一級品である像は、海外でも展示され、その躍動感あふれる姿はいまも人々の心に残る像である。
 1200年もの長い間伝承されてきた「慈恩寺舞楽」は5月5日の例祭において、燕歩、散手、太平楽、陵王など八番が奉奏される。
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