NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/19


奥石神社 Oiso-jinja Oiso Shrine

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 奥石神社(おいそじんじゃ)の創建年は不明であり、もともと繖山(きぬがさやま)山頂の磐座(いわくら)を遠拝する祭祀場として営まれたものとされている。
 祭神は、藤原氏の祖である天津児屋根命(あまつこやねのみこと)である。
 日本神話によると、日本武尊(やまとたけるのみこと)が受けた海神の怒りを解くため、后である弟橘媛(おとたちばなひめのみこと)が海に身を投じた。
 このとき懐妊していた妃は、「自分は老蘇(おいそ)の森に留まって女人安産を守る」と言い残した。このことからこの神社は安産の神といわれて、広く信仰されている。
 老樹の茂る参道を進んでいくと、神域である老蘇の森が神社を護るように広がっている。
 本殿は三間社流造で重要文化財である。棟札より天正九(1581)年の建立とされている。
 境内の一隅には「夜半ならば老蘇の森の郭公今もなかまし忍び音のころ」という本居宣長(もとおりのりなが)の歌碑も立っている。
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2008/2/5


世古峡 Seko-kyou Sekokyo Gorge

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 世古峡(せこきょう)は、狩野川の源流にあたる猫越川沿いに約1キロメートル続く渓谷のことをいう。猫越川と本谷川が合流し、狩野川になる地点に架けられている出会い橋より東西に延びている渓谷で、春の新緑や秋の紅葉の季節はとくに美しい光景をみせる。
 また、天城山麓に逆まく瀬戸の水簾とも讃えられている。
 この渓谷は、湯ヶ島温泉郷のなかにある。湯ヶ島の温泉街から世古峡へ続く「湯道」は、昔湯ヶ島の人々が共同浴場へ向かうときに歩いた道だといわれている。
 湯道の周辺は文学の道としても知られ、川端康成をはじめ与謝野晶子、井上靖、梶井基次郎、若山牧水など多くの歌人、文人の歌碑を見ることができる。
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2008/1/8


旧取手宿本陣 Kyu-toridejuku-honjin Old Toridejuku Honjin

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 貞享四(1687)年に、水戸街道を通る大名などが利用する宿である本陣として取手宿の名主である染野家が選ばれた。それが旧取手宿本陣(きゅうとりでじゅくほんじん)である。
 寛政六(1794)年に一度焼失、翌年に立て直されたものが現在の母屋である。
 寄棟茅葺、桁行19m、梁間13・3mの大型の民家だが、式台玄関の上部に入母屋破風を造っており、重厚感を出している。
 内部は、宿泊を行う本陣部分と住宅部分が分かれており、三間続きの間や、書院造りの上段の間等があり、風格を重んじた造りとなっている。
 敷地内には、第9代水戸藩主徳川斉昭が天保一一(1840)年に水戸に戻る途中の利根川での船で詠んだ唄「指して行 さほのとりての渡し舟 おもふかたへは とくつきにけり」と、石に刻んだ歌碑が残っている。この歌碑は、後に江戸屋敷から届けられたもので、水戸徳川家と染野家のゆかりを示している。
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2007/12/10


恵比須島 Ebisu-jima 

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 恵比須島(えびすじま)は、静岡県下田市須崎の相模灘にある、直径最長200m、面積およそ2ヘクタールの島である。
 須崎半島の西端に位置する、本土と橋で結ばれた小島で、島内には芝生広場、千畳敷の大岩盤があり、散策や磯遊びの好適地となっている。また、島の先端には、エリカの碑・若山牧水歌碑があり、海と伊豆諸島の眺望が素晴らしい。
 島全体が公園として整備されているほか、須崎恵比須島指向灯・夷子神社・夷子島遺跡などが存在している。
 島頂からは、7世紀から8世紀のものと思われる須恵器とともに、祭祀用の滑石製臼玉や手捏土器が多数発見されており、これらの遺物の出土は、当時、夷子島の島頂に於いて神を祭る儀式が営まれていたことを裏付けているという。
 恵比寿島は、エリカ、ハマユウ、ツワブキなどの植物も群生している、自然と歴史に溢れた島である。
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2007/11/12


高田松原 Takadamastubara Tkada Pine Grove

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 日本百系にも数えられる、白砂青松の弓形海水浴場。白い砂浜に樹齢300年を超える約7万本の松が続くさまは、まるで日本画に描かれた風景のよう。
 盛岡中学時代の石川啄木が激賞し、また俳壇の巨星高浜虚子も日本百景の審査員として訪れた際に句を詠んでおり、それぞれ 歌碑、句碑 が置かれている。
 この「白砂青松」の地には年間約 440万人もの人々が憩いを求めてやって来る。
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2007/11/5


飯野山(讃岐富士) Iinoyama(Sanukifuji) Mt. Iinoyama (Sanuki Fuji)

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 飯野山(いいのやま)は四国の讃岐平野にあり、香川県丸亀市と坂出市にまたがる円錐形の美しい山である。標高は約422メートル、別名・讃岐富士(さぬきふじ)と呼ばれている。
 飯野山はその見栄えのよさから多くの歌人が歌に詠んでいる。古くは西行法師や高浜虚子が、近年では昭和天皇が「暁に駒をとどめて見渡せば讃岐の富士に雲ぞかかれる」と詠まれ、頂上にはその歌碑が建てられている。
 山中ではフジ、ボタン、ハギの花々など四季折々の植物を楽しむことが出来る。また、山頂までの道のりには巨石や巨岩が連なる「おじょもの足跡」がある。おじょもとは昔話の大男の名で、この大男が残したものだという言い伝えがある。
 山頂からの眺めは素晴らしく、猫山、大高峰、大麻山など、讃岐平野の山々の連なり、遠くには瀬戸内海や瀬戸大橋も見ることが出来る。
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2007/10/31


吉野 西行庵 Yoshino Saigyou-an Yoshino Saigyo-an Hut

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 西行庵は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある庵である。
 西行は、「新古今集」や「山家集」で知られる、平安末期の歌人。西行庵は、旅の歌人・西行法師が、俗塵を避けて3年の春秋を隠棲したとされる小さな庵である。
 近くには今も苔清水と呼ばれる清らかな水が湧き出ていて、貞亨元(1684)年には西行を慕って松尾芭蕉もここを訪れ、歌を詠んでいる。
 清水は、大和の水31選の一つに数えられている。
 西行の歌碑や、芭蕉の句碑が立ち、春秋は桜、紅葉が美しい。
 西行庵は、歌の心を刺激する場所である。
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2007/10/17


山部神社 Yamabe-jinja Yamabe Shrine

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 「山部神社(やまべじんじゃ)」は奈良時代の万葉歌人、山部赤人(やまべのあかひと)を祭神として祀っている神社として知られている。
 境内には江戸時代の歌人・渡忠秋(わたりただあき)が、赤人の歌「田籠の浦にうち出てみればしろたへの・不二の高嶺にゆきはふりつつ」を刻んだ歌碑が立っている。
 赤人の経歴は詳しくはわかっていないが、残された多くの歌から、広く各地を旅した歌人であるとされ、蒲生町下麻生で生涯を閉じたといわれている。
 境内に入るとまず目に付くのが、立ち木を利用した立派な「勧請吊(かんじょうづり)」であろう。勧請吊はこの地方でよく行われるもので、「除災招福」を願って正月に奉納されるものだという。
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