NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/29


当麻寺 東塔 Taima-dera Tou-tou 

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 当麻寺(たいまでら)は奈良時代創建の寺院で、大和の代表的な古寺。近鉄当麻寺駅からまっすぐ伸びる参道を進み、山門をくぐった左手に建つのが国宝の東塔である。重厚感にあふれ、見上げるほどに歴史を感じさせるその三重塔は、法隆寺に次いで日本で二番目に古い。
 奈良時代の天平年間に創建され、高さは22・21m、本瓦葺き。屋根上の飾りの相輪(そうりん)は上部の水煙(すいえん)に特徴があり、水煙の下にある宝輪(ほうりん)も、通常は九輪であるところ八輪でできている。
 少し離れたところに西塔(国宝)が建つが、東西二基がそろって創建当時から現存するのは、日本ではここしかない。
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2008/5/26


調布市 深大寺 Choufu-shi Jindai-ji 

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 東京都調布市・深大寺(しんだいじ)は古い歴史を持つ寺院で、天平五(733)年に満功上人によって法相宗の寺院として創建されたのがはじまりと伝わる。
 約一〇〇年後に天台宗に改宗され、今に至る。寺名は、仏教の守護神のひとりである深沙大将(じんじゃたいしょう)に由来しているという。
 本堂には本尊である阿弥陀三尊像、釈迦堂には奈良時代に作られた銅造釈迦如来像が安置されている。僧都・恵心の作とされる如来像は重要文化財に指定されている。
 深大寺は深大寺蕎麦でも知られており、これは元禄年間(1688~1703年)に上野東叡山寛永寺大明院法親王に献上して、大いに賞賛されたことからはじまるという。その伝統は今も継承されており、寺の周りには店がいくつも並んでいる。参詣帰りに立ち寄る人も多い。
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2008/4/8


高台寺圓徳院 Koudaiji-entokuin 

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 圓徳院(えんとくいん)は、寛永九(1632)年に、北政所ねね(きたのまんどころねね)の次男・木下利房(きのしたとしふさ)により、高台寺の三江和尚(さんこうおしょう)を開基とした寺院である。また、北政所ねねの終焉の地である。
 豊臣秀吉(とよとみひでよし)の没後、その妻ねねは、「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に高台寺建立を発願し、慶長一〇(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と、その前庭を山内に移築して移り住んだという。
 それ以来、大名・禅僧・茶人・歌人・画家・陶芸家等多くの文化人が、北政所を慕って訪れたと伝えられている。
 また、小堀遠州(こぼりえんしゅう)作庭による庭園が、臥龍池(がりょうち)と偃月池(えんげつち)を中心に広がり、マツとカエデの木立の下にウマスギゴケが地面を覆っており、方丈前庭の白砂とウマスギゴケの植え込みなどの色彩が楽しめる。
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圓満院門跡 Enmanin-monzeki 

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 圓満院(えんまんいん)は、寛和三(987)年に、村上天皇の皇子・悟円法親王(ごえんほうしんのう)によって開創された寺院である。長く天台寺門宗総本山園城寺(三井寺)の中枢に位置していたが、現在は単立寺院である。
 「門跡」の起源は、宇多法皇(うだてんのう)が仁和寺に入室したことに始まるという。師資相承して法脈を伝える「門葉門流」の意味で、祖師の法統の継承者を指す言葉として用いられていたものである。
 皇族や攝関家等の子弟が出家した僧房では、各門流を各々継承することになり、「門跡」とは、皇族その他の出身者によって相承される特定の寺院を指す称号へと変化していったと伝わる。
 圓満院門跡は、全国で17ヶ寺あるうちの門跡寺院の一つで、江戸時代(1603~1867)に建立した書院造りの宸殿と、室町時代(1336~1573)の造園家・相阿彌(そうあみ)乍と伝えられる、名勝史跡指定の庭園が現存している。
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