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2008/3/6


南大門 金剛力士像 Nandai-mon Kongourikishi-zou 

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 東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。本尊は盧舎那仏(るしゃなぶつ)。
 南大門(なんだいもん)は、鎌倉時代の正治元(1199)年に再建された東大寺の正門で、国宝に指定されている。
 俊乗坊重源が宋から伝えたといわれる、純粋な大仏様(だいぶつよう)方式で建築されており、全国に2棟しか現存していない。
 金剛力士像(こんごうりきしぞう)は、建仁三(1203)年に運慶・快慶他によって作られた高さ8.4mの巨大な木像であり、同じく国宝に指定されている。
 剛健なる姿、筋肉の躍動感あふれる造形美を持ち、息を吐き、手を開く開放型の阿形(あぎょう)、息を吸い、指を結ぶ姿の吽形(うんぎょう)の一対からなり、南大門の門内左右に配置されている。
 南大門の金剛力士像は、威厳と豪放さを備えた木像である。
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2008/3/5


武家造 Buke-zukuri Buke-zukuri

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 武家造(ぶけづくり)とは、鎌倉時代の武士の館の建築様式のことである。
 平安時代の貴族住宅の様式である寝殿造(しんでんづくり)は、寝殿と呼ばれる中心的な建物が南の庭に面して建てられ、東西に対屋(たいのや)と呼ばれる付属的な建物を配し、それらを渡殿(わたりどの)でつなぎ、更に東西の対屋から渡殿を南に出してその先に釣殿を設けていた。武家造は、この寝殿造りを簡略化したもので、板ぶきの屋根・板敷きの床などの簡素なもので、防備のため一種の城郭の設備が施されていたとされている。しかし実例がないため詳細は不明であり、現在の通説では独自の様式とはされていない。
 また、室町時代の書院造りの祖形となったと考えられており、室町時代初期に建てられた金閣は、1層が寝殿造、2層は武家造、そして3層は禅宗仏殿造という3つの様式が見事に調和し、銀閣寺にみられる書院造への変遷過程をたどることができる。
 因みに江戸時代の武家屋敷と混同されがちだが、全く別の様式である。
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2008/2/27


数寄屋造り(すきやづくり) Sukiyazukuri 

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 数寄屋造り(すきやづくり)は、日本における建築様式の一つであり、数寄屋と呼ばれる茶室建築の意匠を取り入れた建築様式のことである。
 そうした茶室は安土桃山時代頃から見受けられ、これは格式を重んじた「書院造」も確立されだしたころと同時期でもある。
 茶人を初めとした風流を愛する「数寄者」達は、格式ばった意匠や重厚で豪華な装飾を施す書院造を嫌い、シンプルで軽妙な数寄屋を好んだのである。
 茶人として名高い千利休によって完成されたといわれ、書院建築に見られる格式や様式を極力排し、シンプルかつ洗練された意匠になっていることが特徴であり、床の間の上にあり、柱を水平方向につなぐ長押(なげし)を排したり、それに合わせて床の間も小規模なものになっている。
 また、内部空間に落ち着きと静かさをもたらすことを狙って、庇(ひさし)が長めに造られいるのも特徴だ。
 数寄者の先人達は、庇から垂れ込める影にも風流を見出していたのかもしれない。
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書院造 Shoin-zukuri 

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 書院造(しょいんづくり)は、室町時代中期以降に成立した、日本における住宅建築様式の一つであり、通称銀閣と呼ばれる慈照寺の東求堂にある同仁斎が、現存する最古のものとされる。
 特徴として床の間や違い棚、附書院という座敷飾りを備えたものであることや、襖や障子などの間仕切りの発達により屋内が用途に合わせて細分化されていること、畳が敷き詰められていることなどがある。
 元来、書院とは禅僧の住房にある居間兼書斎の名称で、たいていは庭に面した造りとなっていた。
 この書院を中心に構成された住宅様式を書院造といい、格式を重んじ、対面と接客の機能を重視したものとなっている。
 室町時代後期には、寺院や武家住宅に押板や棚、書院を備えるものが造られるようになり、次第に書院造の形式が整えられていくこととなった。
 書院造は、平安時代から続いていた大きな敷地を必要とする「寝殿造」から、建物の外観よりも、内部を進化させていった建築様式といえるだろう。
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敷居 Shikii Shikii

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 敷居(しきい)とは、和室の障子や襖などの建具のレールの役目をしている横木の事である。
 下部にあるのが敷居で、上部にあるのを鴨居(かもい)と言い、この2つは対になっている。
 古語の閾(しきみ)が由来で、障子やふすまなどの建具を受ける溝を彫ったり、レールを付けて引き戸を滑らせる。引き戸の場合には溝を掘り、スライドできるように加工されている。
 強度と滑りやすさが求められ、松が一般的で、他に栂や桜、檜が好んで使われる。
 しかし、最近ではバリアフリーの考え方から、障害者や老人が敷居でつまづいたりしないように床に敷居を埋め込むなどして、ほとんど段差をつけない住宅が増えてきている。
 敷居は、室内空間を隔てる境界としての要素を持つ、日本伝統の建築方法の一種である。
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2007/11/13


切妻造 Kirizuma-zukuri The Kirizuma-zukuri Style

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 切妻造(きりづまづくり)とは、切妻屋根を用いた日本の伝統的な建築様式の事である。
 日本の木造住宅の屋根は、切妻造、寄棟造、入母屋造の3種類を基本とする。
 切妻造は、屋根の頂上部である棟から左右にくだる2つの屋根面で構成される。屋根が外壁面とまじわる部分にできる三角形を妻とよび、妻のある側面からみると、屋根を妻で切ったようにみえるので、切妻造の名がある。
 古墳時代には、切妻造の屋根が豪族居館を象徴した。
 しかし、奈良時代に中国から伝来した木造建築では、正面からみたとき、横方向への屋根の広がりが認識できる寄棟造の方が、格式が上とされていた。
 やがて、屋根の妻をみせる切妻造の象徴性と、寄棟造の正面形式の両方を兼備した入母屋造が、宮殿や貴族住宅、寺院において一番好まれるようになっていく。
 切妻造は、日本の古代建築の基本といえる木造建築様式である。
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2007/10/15


栗林公園 掬月亭 Ritsurinkouen Kikugetsu-tei Kikugetsutei Tea House in Ritsurin Park

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 香川県高松市にある掬月亭(きくげつてい)は、廻遊式庭園として有名な栗林公園(りつりんこうえん)内に造られた由緒ある茶室である。
 公園は寛永二(1625)年頃に讃岐領主・生駒高俊(いこまたかとし)によって造成され、その後、江戸時代に藩主となった松平家によって完成された。
 掬月亭は江戸時代初期の頃に建てられたものであり、松平家が愛用した大茶屋である。建築様式は数寄屋風書院造りの建物で、池を中心として構成されている庭園の象徴的建物となっている。その優雅な姿は池の水面と見事なほどに融合している。また、背景に聳え立つ紫雲山(しうんざん)とも見事なコントラストを描きだし、見る者を幻想の世界へと誘う。
 明治八(1875)年に県立公園となり一般に開放され、現在では、毎月第二日曜日に掬月亭での茶会が催されている。
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2007/8/29


日吉神社 三重塔 Hiyoshi-jinja Sanjuu-no-tou 

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 濃尾平野の北西部、大垣市に隣接する神戸町(ごうどちょう)に日吉神社がある。弘仁八(817)年、最澄が東国に天台宗を広めるためこの地に立ち寄った際に創建したといわれ、近江坂本の日吉大権現を主神として七柱の神を祀り、往時は八人の社僧を抱え、比叡山と共に栄えてきた。
 この神社には、室町時代の建築様式を申し分なく発揮した貴重な三重塔が現存する。永正年間(1504~1520年)に斉藤利綱が建立し、天正十三(1585)年に稲葉一鉄が修造した。
 三重塔は各層の平面がやや小さく、その分、軒が深く感じられる。全体のバランスは良いものの、二層には設けられている高欄を付した縁が三層にはなく、その理由は不明。檜皮葺屋根や、すらりと伸びた型通りの鉄製の相輪が美しい。
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