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2007/9/27


隠岐武良祭風流 Oki-mura-matsuri-fuuryuu Oki Muramatsuri Furyu

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「隠岐武良祭風流(おきむらまつりふうりゅう)」は隠岐三大祭りのひとつで、隔年の一〇月一九日に行われている。
 その起源は鎌倉時代の初めに遡り、隠岐の守護に任ぜられた佐々木定綱(さだつな)が、本国近江から日神・月神を迎え、五穀豊穣を祈願して始めたことと伝えられている。
 元屋八王子神社に祀られている日神(日天子)と、中村一之森神社に祀られている月神(月天子)が、この武良郷(むらごう)の地の神々たちと、中村の会所で出会うというもの。
 両神社から行列が出て会所に向かう。到着すると「日天子・月天子の和合による礼」が行われる。
 さらに、甲冑を付けた武者の「行司礼拝」、化粧した若者が囃子に舞いながら大太鼓を打つ「陰陽胴打ち」、子供による相撲の舞い「神相撲(こずま)」、青年による相撲の舞い「占手(うらて)」などが続き、流鏑馬(やぶさめ)を最後に祭りは終了する。
 古式ゆかしい多彩な行事は、まるで歴史絵巻のようで県の無形民俗文化財に指定されている。
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2007/9/21


安倍清明 AbenoSeimei Abeno Seimei

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 陰陽師として知られる安倍晴明(あべのせいめい)は、平安時代の『今昔物語集』、鎌倉時代の『宇治拾遺物語』、歌舞伎や文楽の演目の中で語り継がれてきた伝説的な人物。
 出自には謎が多い。幼少期から怪異を見る力があり、当時の陰陽道の大家・賀茂忠行に師事して、天文・暦法・占術などの知識を吸収した。やがて、式神を操り、病を鎮め、雨を降らせるまでに至ったが、晴明の個性は、時空間を読む力、暦の秘密の把握にあったという。陰陽五行と占術の関係を理論化した『占事略決』を始め、いくつかの秘伝書を記した。
 当時としては異例の85歳という長寿だった。晴明の死後、彼の子孫は土御門家として、歴史の舞台裏で君臨し続けた。京都にある安倍晴明神社には、今でも参拝者の姿が途絶えない。
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2007/7/20


弘前八幡宮 Hirosaki-hachimanguu 

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 弘前八幡宮(ひろさきはちまんぐう)は、元々、岩木町に建てられていたが、二代藩主弘前信枚が築城の後、陰陽道で鬼が出入するとされている方角「鬼門」をおさえるために移転を行った。
 門は、唐風と呼ばれている屋根のカーブや、四辺の反りなど、屋根の形態が特徴的であるため、唐門と呼ばれている。また、天井は細かい格子の組み合わせで作られており、小組格天井(こぐみこうてんじょう)と呼ばれ、弘前では珍しい造り方となっている。
 本殿は正面が三間社流造(さんげんしゃながれづくり)となっており、屋根の側面の妻が、左右非対称であり、片方の軒が前方に延びており、アシメトリックなデザインとなっている。
 本殿及び唐門は、桃山時代の様式として貴重な資料となっており、重要文化財建造物に指定されている。
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2007/5/31


能面 橋姫 Noumen Hashi-hime Noh Mask Hashihime

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 能面「橋姫」は、能の「宇治の橋姫」で主人公の橋姫が付ける能面。
 「宇治の橋姫」のあらすじは、次の通りである。自分を捨てて他の女を妻とした夫を恨み、復讐に燃えて貴船の宮に牛の刻参りをする女、橋姫。赤い衣を着て顔に丹を塗り、火を燃やした鉄輪を頭に載せて憤怒の心を持てば鬼神になれると社人に教えられ、その決心を固める。やがて女の前夫が夢見が悪いのを陰陽師に占ってもらうと、女の深い恨みで命が今夜限りと知らされる。驚いて祈祷をしているところへ女の生霊が鬼形となって現れ、男を連れて行こうとする。
 この、女が鬼形となって現れるところで付ける能面が「橋姫」だ。女の業や嫉妬の醜さを表し、額には幾重もの青筋が浮かび、歯を食いしばり、目は大きくつり上がる。
 「橋姫」は、醜く怖い中にどこか哀しげな表情があり、女の愛の哀愁がよく表現された能面である。
 
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2007/4/27


宮城 釣石神社 Miyagi Tsuriishi-jinja 

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 釣石(つりいし)神社は、宮城県石巻市北上町十三浜にある神社である。
 祭神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)は、知恵と学業の神様である。ご神体は断崖に釣り上げられた周囲14mの巨岩「釣石」と、その下にある巨石(8m×4m)であり、陰陽神として崇拝されている。
 古くは産土沢という山上に祭られ、釣石権現、つるいし神社と呼ばれていた。
 昭和五三(1978)年の宮城沖地震にも耐え、落ちそうで落ちないことから受験の、釣の字から大漁の、陰陽神から夫婦円満・縁結び・子宝の、横から見た釣石が亀の頭に似ていることから満年長寿の、ご利益があるなどとされている。
 境内には、北上川河口に唯一残る唐船御番所跡の見張台もある。
 釣石神社は、古くから名跡として大切にされてきた社である。
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2007/3/22


佐世保独楽 Sasebo-goma 

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 佐世保独楽(させぼごま)は、頭が大きくて足が細い、らっきょ型の形状が特徴。相手の独楽を打ち割って遊ぶ「けんか独楽」として遊ばれてきた。佐世保の独楽作りは、明治時代からはじまったとされる。
 佐世保独楽の材質はブナ科のマテバシイという広葉樹。上部には色鮮やかな色彩が施されている。色彩は、中国の「陰陽五行説」に影響され、青、赤、黄、白、黒の5色で構成されている。これは、日本の独楽が中国から伝来したことに由来すると推測される。この5色は、世界や宇宙を意味していると言われる。
 現在「佐世保独楽本舗」では、玩具のほか、鑑賞用の雛独楽、端午独楽や干支など、縁起物や四季折々のもの約400種類の独楽を製作、展示販売している。製作過程は見学もできるという。
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2007/3/20


一枚岩 Ichimai-iwa Ichimaiiwa Rock

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 和歌山県を流れる古座川河口から七川ダムに至る約30キロの峡谷には、数多くの奇岩が連なるが、中でもいちばん圧巻なのが「一枚岩」。高さ100メートル、幅500メートルと迫力ある存在感を放つ。国の天然記念物にも指定されている。
 一枚岩にはある伝説が残る。昔、岩が大好物の魔物がおり、その魔物が古座川流域に目をつけ、岩を次々と食い荒らしていった。魔物が一枚岩の前までたどりつき、一枚岩にかぶりつこうとしたそのとき、犬がこれを見つけて猛然と襲いかかかった。犬嫌いの魔物は一目散に逃げ去ったという。このとき付いた歯型が一枚岩の中央に今も残っており、魔物の悔し涙が岩に流れ落ち、「陰陽の滝」と呼ばれる滝になったというものだ。
 ここ古座川峡は、桜の名所として知られ、また秋には紅葉が美しく、四季折々の色彩で目を楽しませてくれる。
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2007/3/2


左京鼻 Sakyou-bana 

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 鼻とは突端の断崖絶壁のこと。
 八幡半島のなだらかなスロープ状の草原を進むと、玄界灘に面して切り立った総延長約1キロメートルにも及ぶダイナミックな海蝕崖に行きつく。
 ここの海蝕岩は玄武岩特有の柱状節理で、左京鼻の海中からは細い柱を束ねたような奇岩が突き出ている。
 壱岐島誕生神話の八本の柱の一つ折柱(おればしら)である。
 由来はいろいろあるが、江戸時代はじめ、雨が降らず作物は枯死に人々が苦しんでいるのをみかねた、陰陽師の後藤左京と龍蔵寺五世日峰和尚が一身に祈祷するも雨は降らず、後藤左京がこの断崖から身を投げようとした時、大雨が降ったと言う。この話よりこの岬は左京鼻と言われている。
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