NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/1/25


矢掛本陣 Yakage-honjin Yakage Honjin

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 「本陣」とは、江戸時代、街道の宿駅で、参勤交代をする大名・公家・幕府役人などが宿泊した公的な旅宿のこと。
 矢掛(やかげ)は小田川に沿って開けた町で、古代から都への大路が通り、江戸時代には山陽道第18番目の宿場町として栄えた。全国の本陣・脇本陣の中で全国唯一、本陣(石井家)と脇陣(高草家)が対で国の重要文化財に指定され、旧姿をとどめている。
 現存する本陣の屋敷地は間口約36メートル、奥行き約90メートル、面積約3200平方メートル。十数棟の建物が建っており、それらは江戸時代の姿をほとんど変えることなく今に至っているという。本陣を擁する町並みは妻入り、平入り造りの町家が並び、白壁、鬼瓦、なまこ壁などが昔の面影を残す。矢掛町では毎年11月には大名行列の行事が行われ、江戸情緒を存分に楽しめるとか。
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2007/1/18


草津宿本陣 Kusatujuku-honzin Kusatsu-juku Honjin

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 東海道五十三次の、江戸から52番目の宿場。寛永十二年設置から明治三年の廃止まで二百三十五年間、大名や役人等の休泊を担った。
 東海道と中山道の分岐・合流点でもあり、かつては100軒をこえる旅籠が軒を連ねた要衝の地。現存する本陣の中で最大級の規模で、宿帳には浅野内匠頭や吉良上野介などの名も見られる。
 草津宿本陣には「大福帳」の表題をもつ長帳が、元禄五(1692)年から明治七(1874)年に至る百八十二年間にわたって、各年一冊、計百八十二冊が残されている。
 江戸時代、本陣を頂点にさまざまな宿泊施設が集まっていた宿場。草津宿も同様で、本陣二軒、脇本陣二軒、旅篭屋は七十軒余を有し賑わいをみせ、なかでも、「田中七左衛門本陣」は建物をはじめ、敷地全体で当時の面影を今に伝える。昭和二十四年、「草津宿本陣」として国の史跡に指定され、多くの人を江戸の世界に誘う。
 「平成の大修理」を終え、平成八年四月より一般公開を開始した。
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