NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/12


くまもと一刀彫 Kumamoto-ittoubori 

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 「くまもと一刀彫(いっとうぼり)」は、熊本県熊本市に伝わる伝統工芸品である。
 昭和二二(1947)年五月に人吉市紺屋町、手工芸美術研究所において、村上一光が創案創始した一刀彫りの木彫である。
 一刀彫とは、貼り合わせたり組み合わせたりせず、一本または一枚の木板から手彫りで掘り出す手法のことをいう。
 原材料は郷土産の銀杏がつかわれ、原木を製材、自然乾燥のあと、下絵なしでイメージのままに小刀一本で直彫りして仕上げられる。
 最近では、作品の一部に色づけをおこなうものもあるが、くまもと一刀彫といえば、昔ながらの白木のままの美しさを強調した作品が特徴となっている。 


 
 
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2007/11/15


徳島 地蔵寺 Tokushima Jizou-ji 

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 四国霊場第5番札所である地蔵寺(じぞうじ)は、弘仁一二(821)年、嵯峨天皇の勅願により、弘法大師が開創したと伝えられている。
 地蔵寺はかつては阿波・讃岐・伊予の三力国に三〇〇あまりの末寺を持つ大寺であったが、天正年間(1573~1592)の兵火によって殆んどが焼失し、大師堂と御影堂だけが残った。境内は約四万平方キロメートルに及ぶ広大なものである。
 奥の院の羅漢堂には、等身大の羅漢像が三〇〇体余りも並び、さまざまな表情をした像は「木像」の五百羅漢としては珍しく、日本最大級のものとされている。
 地元の人から「羅漢さん」の名で 親しまれているこのお寺の境内には樹齢八〇〇年の大銀杏があり、「たらちね銀杏」とも呼ばれ親しまれている。
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2007/8/30


茨城 西念寺 Ibaraki Sainen-ji Ibaraki Sainenji Temple

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 浄土真宗別格本山 稲田山西念寺。
 鎌倉時代の初め、越後への流罪が解かれた親鸞は、招かれて茨城県笠間市稲田のこの地に草庵を結び、布教をしていた。
 建保二(1214)年から寛喜四(1232)年のことである。
 この間、根本教典の「教行信証」を記し、その後京都に戻った。
 境内にはお葉付き銀杏をつけるイチョウの珍種がある。2000年11月15日に県の文化財に指定された。
 銀杏は化石の植物といわれ、その起源は百万年以前に遡る。この木は老木ではないが、それが親鸞聖人が蒔いたものと思って見れば、参拝の念佛者にとって特になつかしいものである。
 参拝者は一粒の実を参拝の記念に蒔いて、深き佛縁を喜んでいる。
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2007/8/20


秋元神社 Akimoto-jinja 

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 高千穂の南方、諸塚山の中腹に鎮座する秋元神社(あきもとじんじゃ)。参道の長い階段を上り切り、ふたつ目の鳥居をくぐると、眼前に境内が現われる。境内はさして広くはないが、静寂に包まれ、御神木の銀杏に守られた小さな拝殿からは神秘が漂う。流れ落ちる清らかな山の水は、御神水として祀られている。
 神武天皇の孫にあたる建磐竜命(たていわたつのみこと)が創建し、天和三(1683)年に現在地に建立したと伝えられている。珍しいのは建物の向きで、一般的には南方から西方に向けるべきところ、秋元神社は北東を向いており、これはきわめて珍しい。「パワースポット」などと呼ぶ人が多いのは、そんな理由からだろうか。
 秋元神社では毎年一一月下旬ごろ、今年一年の無事に感謝し来年の五穀豊穣を願い、山神楽が奉納される。ひと晩かけて行うこの神楽奉納には、数千円の初穂料を収めれば誰でも立ち会うことができる。
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2007/7/27


宮城 白鳥神社 Miyagi Shiratori-jinja 

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 宮城の白鳥神社(しらとりじんじゃ)は、宮城県柴田郡村田町七小路にある神社である。祭神は、日本武尊。
 伝説では、景行天皇(紀元前13~紀元後130)が、亡き皇子日本武尊を偲んで大宮白鳥宮を建立したと伝えられている。
 前九年の役(1051~62)の時、八幡太郎義家が大蛇に化身した大藤に救われたという言い伝えが残されている。
 神社の参道をまたいで2株の老杉に巻きつく姿が大蛇のように見えることから「奥州の蛇藤(おうしゅうのじゃふじ)」と呼ばれている藤の木が、その大藤であるという。
 承歴二(1078)年、現在の本殿が改修された。
 宮城の白鳥神社は、他に欅・銀杏・杉などの大木が並ぶ、緑に映える古社である
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2007/5/31


銀杏返し Ichou-gaeshi Icho-gaeshi

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 銀杏返し(いちょうがえし)は、江戸時代末期に起こった女子の髪型。
 髪をひとつに括った根元からふたつに分けてそれぞれ輪にして∞型にし、余った毛先を根元に巻き収めて髪飾りを掛けて止め、髷(まげ)の根元に簪(かんざし)を挿す。この髪型が銀杏の葉がそっくり返ったような形であることから、「銀杏返し」の名が付いた。
 初めは12歳~20歳くらいの一般女子が結っていたが、江戸に入り、芸者や娘義太夫が髷の大きなものを結うようになり、粋好みの娘などがその形を真似たという。明治以降は30代以上の女性、後家や芸人、花柳界の女性にも流行した。
 髪結いに頼まないでも自分で簡単に結えることから、昭和初期まで銀杏返しは一般的な髪型であったという。
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2007/3/15


伊那下神社 Inashimo-jinjya Inashimo Shrine

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 伊那下神社は、静岡県賀茂郡松崎町にあり。祭神は、彦火火出見尊となっている。
 仲哀天皇の妃である神功皇后が、神のおつげにより新羅を討った頃、新羅国の人が長門国豊浦を経て、伊豆の地に来て住吉三柱大神を祀り、唐大明神と称したのがはじまりといわれる。通称「下の宮」。
 伊那下神社には、社殿の建つ場所に大きな滝壷があり、2匹の龍が住んでいたと伝えられている。
 境内には、天然記念物である樹齢1000年、周囲8メートル、高さ25メートルにおよぶ大銀杏の木、めずらしい畳表の碑(桜田おもて)、名水(神明水)などが存在する。
 拝殿横には大足大明神を祀る祠があり、草鞋を奉納すれば足が強くなるという。
 伊那下神社は、古くから大銀杏が航海の目印となったという、商売繁盛と交通安全の神社である。
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村山浅間神社 Murayama-sengen-jinjya Murayama Sengen Shrine

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 村山浅間神社は、静岡県富士宮市村山にある神社である。祭神は、大山祗命、加茂沢媛。
 役の小角が水精岳より現在地に移したのが始まりともされるが、大宝2(702)年に創建され、坂上田村麻呂が参拝・寄進したと伝えられている。
 中世には、村山浅間神社は富士山を信仰の対象とし、富士山中で修行をする村山修験の行者が集う場所であったと考えられている。
 かつては富士登山道が通り、数百の坊が並び栄えていたが、新道の開通ですっかり衰退し、現在は本堂と大日堂だけが残っている。
 境内には、県指定天然記念物の大杉と銀杏が存在している。
 村山浅間神社は、富士山南麓の標高500メートル付近にあり、慶長14(1609)年の絵図に、ほぼ同じように描かれている事から、昔の景観をそのままに残していると言えよう。
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