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高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ)は、杉木立に囲まれた標高三九〇メートルの山頂にある。ここには天津日高彦火火出見尊(あまつひたかひこほほでのみこと)を祀っている。邇邇芸命(ににぎのみこと)の皇子で山幸彦ともいう。
薩摩川内市宮内町にある可愛山陵、鹿屋市吾平町にある吾平山上陵とともに神代三山稜の一つにかぞえられている。
もともとこの地は神在りの岡、または神割の岡と呼ばれていた。古来より室町時代まで頂上に「鷹屋大明神」があったといわれる。
明治七(1874)年にこの地を彦火々出見尊の陵墓として決められ、陵域は立ち入りが出来ない。
古事記に「ミコトの陵は其の高千穂の西に在り」と記されていることから、明治七(1874)年にこの地を彦火々出見尊の陵墓として決定した。
薩摩川内市宮内町にある可愛山陵、鹿屋市吾平町にある吾平山上陵とともに神代三山稜の一つにかぞえられている。
もともとこの地は神在りの岡、または神割の岡と呼ばれていた。古来より室町時代まで頂上に「鷹屋大明神」があったといわれる。
明治七(1874)年にこの地を彦火々出見尊の陵墓として決められ、陵域は立ち入りが出来ない。
古事記に「ミコトの陵は其の高千穂の西に在り」と記されていることから、明治七(1874)年にこの地を彦火々出見尊の陵墓として決定した。
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