NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/7/10


千鳥ヶ滝 Chidori-ga-taki 

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 石狩川の支流である夕張川は、夕張市の南北に連なる山地を削り西側の平野に流れ込んでいる。長い歳月をかけて浸食していった川は奇岩を織り成していき、「竜仙峡」と名付けられた渓谷を形成していった。そして隆起などが起こり落差の出来た川は、さらに「千鳥ヶ滝(ちどりがたき)」という滝を作り出し、水の流れを大小無数の幾つもの筋に分け、今日の見事な景観を形成していった。
 この北海道の自然が織り成す神秘的な美しさは、訪ずれる人々の心を必ず揺り動かすだろう。
 春には桜、夏は新緑、秋は紅葉などの様々な景観が楽しめ、特に10月の紅葉のシーズンは山全体が燃える様な赤や黄色に染まり、圧倒的な大パノラマを見せてくれる。
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夕張鹿鳴館 (旧北炭鹿の谷倶楽部) Yuubari-rokumei-kan Kyuu-hokutan-shikanotani-kurabu 

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 大正三(1913)年、北海道炭坑汽船の北海道支店が鹿の谷に移転するのに伴い、役員や政治家など来賓をもて成す施設として、岩見沢市内にあった役員住宅を移築したものが「北炭鹿の谷倶楽部(ほくたんしかのたにくらぶ)」である。
 敷地面積は約85000平方mと広大で、小高い丘の上に木造平屋約1600平方mの建物が建てられ、美しく植栽された庭には太鼓橋やゴルフ練習場などもあった。当初は中央にある本館だけで、後に東西へ第一別館と第二別館が増築、各々が渡り廊下で繋がれた。和と洋が融合した室内など、様々な箇所で贅が尽くされていた。
 昭和天皇をはじめとする皇族の夕張御行啓の際の宿泊所となっていた由緒ある施設だったが、炭坑の閉山と共に閉鎖、後に夕張市に移管された。現在、施設は修復され、1世紀前の建物を「夕張鹿鳴館」という記念館として一般に公開している。
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夕張神社 Yuubari-jinja 

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 夕張神社(ゆうばりじんじゃ)は、北海道炭鉱鉄道株式会社の設立時に、夕張炭山や鉄道敷設の安泰を祈願する神社として明治二二(1889)年11月18日、社光地区に神殿を築造したのが発祥といわれている。
 出雲大社縁りの社格の高い神社として知られており、社宝として社名額の東郷平八郎・直筆の書や、石川県輪島より寄贈された欅の朱塗りの大皿などがある。また、現在地に移転した当時は「登川神社」という社号であったため、その時の額「登川神社木彫掲」も保管されている。
 昭和四六(1971)年には太宰府天満宮から御神霊の奉斉が許され、学問の神様である菅原道真も祀られている。
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