飯田城(長姫城) Iida-jou(Osahime-jou)
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飯田城(いいだじょう)は、天竜川の支流で、長野県飯田市内を流れる松川と野底川に挟まれた河岸段丘の先端部を利用して築かれた城である。
長姫城の別名を持ち、本丸、二の丸、三の丸の各郭間に堀切を設けた連郭式の平山城であった。
室町時代の建保年間(1213~1218)に、この地の地頭に任じられた坂西長由(ばんざいながゆき)によって築かれたとされている。
その後、何度かの改築を受けつつ、信玄率いる武田軍と信長率いる織田軍の戦闘となった「下伊那侵攻」において、武田方の中核として機能した城であり、何人もの城主を経ながらも、戦国乱世から明治維新まで存続した下伊那地方唯一の城だった。
現在も残る城の遺構はわずかであり、本丸があった場所には長姫神社が鎮座し、深い堀切と石塁、土塁を垣間見ることができる。
また、宝暦四年(1754)建立の、門全体が紅殻で赤く塗られた通称「赤門」と呼ばれる桜丸御門が県合同庁舎前に移築保存されている。
長姫城の別名を持ち、本丸、二の丸、三の丸の各郭間に堀切を設けた連郭式の平山城であった。
室町時代の建保年間(1213~1218)に、この地の地頭に任じられた坂西長由(ばんざいながゆき)によって築かれたとされている。
その後、何度かの改築を受けつつ、信玄率いる武田軍と信長率いる織田軍の戦闘となった「下伊那侵攻」において、武田方の中核として機能した城であり、何人もの城主を経ながらも、戦国乱世から明治維新まで存続した下伊那地方唯一の城だった。
現在も残る城の遺構はわずかであり、本丸があった場所には長姫神社が鎮座し、深い堀切と石塁、土塁を垣間見ることができる。
また、宝暦四年(1754)建立の、門全体が紅殻で赤く塗られた通称「赤門」と呼ばれる桜丸御門が県合同庁舎前に移築保存されている。
- 住所
- 395-0034 長野県飯田市追手町2丁目
- 名前
- 飯田城(長姫城)