NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/5/24


上ノ国の中世の館 Kaminokunino-chuseino-tate Kaminokuni Fort-Mansion

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 北海道道南の日本海に面する上ノ国町には、「館(たて)」と呼ばれる中世の山城の跡が残る。
 上ノ町に所在する「花沢館」「州崎館」「勝山館」の三館が、北海道遺産に指定された「上ノ国の中世の館」である。このうち最も規模の大きい勝山館跡は、昭和五四年から発掘調査が行われており、謎の多い北海道中世史の空白を埋める貴重な遺構だ。
 勝山館は、松山藩の祖・武田信広が長禄三年(1457)年、アイヌ民族との戦いに勝利した後、居城として築城。発掘調査では、空壕、屋敷跡、食器などともに200人以上の和人とアイヌ民族が一緒に暮らしていた記録も出土され、和人とアイヌ民族の共生の証として注目を集めている。また、出土した陶磁器の45%が中国製だったことから、中国との交易を盛んに行っていたことが窺える。
 上ノ国の中世の館は、歴史のミッシングリンクを埋めるロマン溢れる遺跡である。
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2007/1/18


都久夫須麻神社 Tukuhushima-jinjya Tsukubusuma Shrine

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 滋賀県長浜市、琵琶湖北部に浮かぶ周囲2kmの竹生島にある神社。竹生島神社(ちくぶじまじんじゃ)ともいう。
 雄略天皇三年(420)年に浅井姫命を祀る小祠が作られたのに始まる。「近江国風土記」に、夷服岳(伊吹山)の多多美比古命が、姪にあたる浅井岳(金糞岳)の浅井姫命と高さ比べをし、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を斬ったところ、湖に落ちた首が竹生島になったという記述がある。首が沈む時に「都布都布(つふつふ)」という音がしたので「都布失島」という名前になったとも、最初に生えたのが竹であったことから「竹生島」という名前になったともいう。
 「日本三大弁財天」の一つ。日本最古の弁財天とも言われる。
 常行殿拝殿は琵琶湖に面する景勝地にあり、眼下の断崖上に竜神拝所がある。ここから土器を海に投げると願いが竜神により成就されるという「かわらけ投げ」という風習が残る。
 本殿は国宝に指定されている。
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