NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/4


大阪浪華錫器 Oosaka-naniwa-suzuki 

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 大阪浪華錫器(なにわすずき)は大阪府の伝統工芸品の一つで、種類は金工品。主な製品に神仏具、酒器、茶器、菓子器、花器などがある。
 その歴史は古く、今から約千三百年前の七世紀初め、遣隋使によって錫器が伝えられたのが始まりとされている。江戸時代中期に盛んになり、大坂に産地が形成された。昭和五八(1983)年四月、通商産業大臣(現経済産業大臣)により伝統的工芸品に指定。現在八名ほどの伝統工芸士がその技法を守り伝えており、毎年九月頃に開催される大阪の伝統工芸品展に出品される。
 材料には、純度九七パーセント以上の錫が用いられる。錫には水の浄化作用があり、イオン効果が高く防湿性や密封性に富むことから、酒器や茶器、花瓶、茶筒に最適といわれる。柔らかく機械加工しにくいため、「鋳込み」「ろくろ挽き」「研磨仕上げ」など、工程のほとんどが緻密な手作業で行われる。製品は独自の風合が生かされ、使い込むほどに愛着が増す。
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2008/4/25


萬祥山焼 Banshouzan-yaki 

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 萬祥山焼(ばんしょうざんやき)は、島根県出雲市大津町に伝わる工芸品である。県の伝統工芸品に指定されている。
 元々、大津地区は地元産の良質な粘土を利用した瓦などの窯業が盛んであった。
 明治五(1872)年頃、日野源左衛門(ひのげんざえもん)が、地元の豊富な粘土を使用して焼いたのが始まりとされる。
 開窯当時は、来原焼(くりはらやき)と呼んでいたが、後に大津町長の森広操軒(もりひろそうけん)の命名で、萬祥山焼と呼ばれるようになった。
 当初は日用雑器が主だったが、明治二五(1892)年頃から茶の道具類が主となったという。他に、酒器や花器なども製作されている。
 その特徴は青銅、伊羅保釉(いらぼゆう)などが使われる事とされている。
 萬祥山焼は、明治以来の伝統を今に受け継ぐ民芸陶器である。
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湯桶(ゆとう) Yutou 

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 湯桶(ゆとう)とは、注ぎ口と柄のある木製漆塗容器のことで、現在では蕎麦屋や懐石料理などで用いられる。
 湯桶は、元々上流階級の婦人が化粧用の湯つぎとして用いたもので、江戸時代には酒器にも使われていた。また、茶懐石では最後に一口残しておいた飯椀のご飯を香の物で湯漬けにする時、湯桶が使用されている。
 蕎麦を食べ始めた後に蕎麦湯を飲む習慣が江戸で広まり始めたのは、寛延年間(1748~1751)の江戸時代中期以降とされるが、蕎麦屋が蕎麦湯入れとして湯桶を使い始めた年代は、はっきりしていない。
 塗り物の湯桶には円形の丸湯桶と角型の角湯桶とがある。外側は朱色か黒塗りだが、内側は朱塗りが一般的である。
 湯桶は主にそば湯を注ぐ時に使用するのが一般的である。
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