NIPPON Kichi - 日本吉

記事数49件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/7/11


土瓶 Dobin 

Jp

 土瓶(どびん)とは、湯を沸かすために用いる道具の一種で、基本的に陶磁器できたものの総称である。同じ用途で、金属でできたものは「やかん」と呼ばれる。
 やかんのように直接火にかけられるものもあるが、磁器製の場合は急須の代わりとして用いられ、陶器、磁器にかかわらず急須より比較的大きいものが多い。
 その形状はやかんや急須とほぼ同じで、湯をためておく胴部に注ぎ口がつき、胴部の上に熱を伝えにくい竹や籐などを用いた持ち手が付く。
 茶の湯では急須のように容器の中で茶をたてることはせず、主に茶碗に湯を注いで茶をたてるため、土瓶が用いられている。
 ただ、取っ手が胴の上部につく上手(うわで)のものは、それが急須であっても土瓶と称することもある。
 保温性のよい陶磁器でできた土瓶は、火を通しすぎることなくお茶の味を引き立ててくれ、茶の湯の名脇役として茶室をはじめ、様々な場面で活躍している。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/5/19


茶杓 Chashaku Chashaku Teaspoon

Jp En

 茶杓(ちゃしゃく)とは、抹茶を茶器からすくって茶碗に入れるための茶匙(ちゃさじ)である。
 元々は中国で使用されていた金属製の薬匙で、芋の葉形の匙に柄をつけ、薬を破砕する目的でその根元の先は球状になっていた。
 やがて室町時代の末に茶の湯が成立すると、茶器を傷つける恐れのある金属製は適さなくなり、竹で作られるようになった。
 千利休(せんのりきゅう)の時代になると、慶首座(けいしゅそ)が利休の茶杓の下削りを行って節のある茶杓が出現し、慶首座の弟子・甫竹(ほちく)は利休の茶杓師として茶杓を確立した。
 茶杓には、一般的には苦竹科の竹が主に使われ、中でも晒竹が利用されることが多い。
 長さは17~21cmぐらいで、茶を掬う部分は幅1cm、長さ2cmほどの楕円形で、一方の辺を曲げた形状をしている。
 茶杓は、機能美が感じられる、伝統の茶道具である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/4/25


手水鉢 Chozu-bachi 

Jp

 手水鉢(ちょうずばち)とは、神前・仏前に向かう際に水で身を清め、心のけがれを払う為に備えられている石の器である。
 神社などに設けられている姿を目にするが、平安時代(794~1185)に、始まった茶の湯に取り入れたのが最初とされ、石と水の美が現在でも日本庭園に欠かせないものとなっている。
 低い姿勢で使う蹲踞手水鉢(つくばいちょうずばち)、立ったままで使う立手水鉢(たちちょうずばち)、建物の縁先に配される縁先手水鉢(えんさきちょうずばち)などがある。
 デザインも石本来の姿を使用したものから、作りこまれたものなど様々で、創作手水鉢としては立方体の銀閣寺型、やわらかい丸みのある鉄鉢型・菊鉢型・銭鉢型など、モチーフとなっている対象物も意外性に富んでいて面白い。
 苔が付きやすい石を敢えて材料としたり、水滴により琴のような音を発生する水琴窟(すいきんくつ)の仕掛けを込めたりと、様々な趣が示されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/4/9


朝日焼 Asahi-yaki 

Jp

 朝日焼(あさひやき)は、京都府宇治市で焼かれる陶器を指す。この地では、古墳時代から焼きものが焼かれていた。室町時代に宇治茶の栽培が盛んになると、茶の湯向けの国産陶器が焼かれるようになり、これが朝日焼の原型ではないかといわれている。
 朝日焼の初代作陶は慶長年間(1596~1615)に宇治川のほとり、朝日山麓で開窯したと伝えられ、二代目の時に遠州七窯の一つに数えられるようになった。その後、苦しい時代を乗り越え、江戸末期には早くから御所への出入りを許され、全盛期を迎えた。伝統の窯と技は代々受け継がれ、今日に至っている。
 朝日焼は原料の粘土に鉄分を含むため、焼成すると独特の赤い斑点が現れるのが最大の特徴である。師匠が焼いたものという意味の赤い粗めの斑点が表面に浮き出たような器を「燔師(はんし)」、燔師とは対照的に鹿の背中を思わせるきめ細かな斑点が見られる器を「鹿背(かせ)」、鹿背の中でも特に鉄分が多くよりくっきりと紅色が見える器を「紅鹿背(べにかせ)」と呼んで区別している。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/2/28


城下町 大聖寺 Joukamachi Daisho-ji Castle town,Daishoji

Jp En

 石川県加賀市の大聖寺(だいしょうじ)は、加賀百万石の支藩、大聖寺藩の城下町として栄えてきた歴史と伝統文化の息づく町だ。
 江戸時代からの街並みをそのままとどめ、しっとりと落ち着いた雰囲気を漂わせている。錦城山城址のふもとには禅宗、日蓮宗などの古刹が立ち並び、年間を通して史跡めぐりを楽しむ人々が絶えない。
 特に実性院(じっしょういん)は、5月に咲く藤の花の全国的な名所としても知られている。金箔をあしらった障子画も見事だ。また、大聖寺3代藩主の藩邸跡の一部に当たる江沼神社境内にある「長流亭」は、兼六園を模して作庭されたとされ、書院や茶室など、隅々にまで凝らされた意匠が興味深い。この庭園は、国の重要文化財に指定されているという。 
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/1


茶筅 Chasen Chasen

Jp En

 茶筅(ちゃせん)は、緑茶、特に抹茶を点てるのに使う茶道具のひとつ。湯を加えた抹茶を茶碗の中でかき回して均一に分散させ、泡を立てるための道具である。
 茶道の流派や宗匠たちの好みにより使う種類が異なり、形、穂立ち、素材、流派の好みにより約120種にも及ぶ。大きく分けると濃茶用、薄茶用の2種類になる。濃茶用には、穂が荒くて数が少ない「荒穂(あらほ)」を、薄茶用には竹を細かく割った穂が細く、数が多い「数穂(かずほ)」を用いる。
 茶筅の持ち方には作法がある。利き手ではない方の手は、抹茶碗が滑らないように支え、利き手で茶筅を持ち、人差し指と中指と親指の3本で茶筅の竹の部分を握るのが正式な作法だという。筆の正しい持ち方が決まっている「書道」にも似た様式美がここから感じられる。
 茶筅は、茶道の文化に欠かせない、大切な道具のひとつである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/10/12


高橋敬典(人間国宝) Takahashi Keiten Keiten Takahashi (Living National Treasure)

Jp En

 大正九(1920)年、山形市に生まれる。平成八(1996)年、重要無形文化財「茶の湯釜」保持者(人間国宝)に認定される。
 昭和十三(1938)年、十九歳の若さで家業の鋳造業を継ぎ、重要無形文化財「茶の湯釜」保持者「長野垤志」に師事する。
 良質な川砂と粘土の特徴を生かし、鋳型から鋳造、着色仕上げに至る一貫した製作に取り組み、優美な形姿、柔和な鋳肌が特色の釜を作成している。
 一流の作品を造るために、手に入れるのが困難とされる島根の砂鉄を取り寄せ、そこからさらにより良いものを手の感触で選んでいくという。また「手間と時間は優品を生む」と、ひとつの作品につき三ヶ月もかけることもあるという。
 こうしてこだわり抜いて造られた釜は、形、紋様、釜肌がみごとに調和し、シャープで洗練された美しい芸術品として高く評価されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/7


茶の湯釜 Cha-no-yugama Chonoyugama Tea Kettle

Jp En

 茶の湯釜(ちゃのゆがま)は、日本の伝統的工芸品であると同時に、茶の湯の世界では非常に重要な位置を占めるものであり、茶会を開くことを「釜を掛ける」というほど、茶の湯においては大切な道具である。
 それら茶の湯釜の製造の八割が山形県産といわれ、山形県山形市とその周辺に伝わる鋳物としては、昭和五〇(1975)年に、経済産業省から伝統的工芸品に指定されている。
 山形で茶の湯釜に代表される鋳物が盛んになったのは平安時代にまで遡り、康平年間(1058~1064)における前九年の役を治めるため、山形に訪れた源頼義に帯同した鋳物職人が、山形市を流れる馬見ヶ崎川周辺の土質に鋳物製作に適することを見出し、一部がこの地に留まって製作したのが始まりといわれている。
 きめの粗いゴツゴツとした肌が特徴で、現在も紋様押しや肌打、金気止などの様々な伝統的手法が受け継がれ、素朴な佇まいの中にも重厚な存在感を発する作品を精力的に生み出している。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数49件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter