NIPPON Kichi - 日本吉

記事数74件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/11/18


キンニャモニャ祭 kinnyamonya-matsuri 

Jp

 キンニャモニャ祭(きんにゃもにゃまつり)は、島根県隠岐郡にある隠岐諸島のひとつ・中の島に位置する海士町(あまちょう)菱浦にて、毎年八月の第四土曜日に開催されている祭りである。
 明治一〇(1877)年、西南戦争に従軍した菱浦生まれの杉山松太郎が、熊本の民謡「キンニョムニョ」をうろ覚えに覚えて故郷へ持ち帰ったのが最初と伝わる。
 杉山は山高帽を被りステッキを銃に模し腰に据え、自作の「キンニャモニャ」を唄いながら面白い格好で踊り満座を沸かしたという。
 杉山亡き後は踊る姿も変わり、羽織を着てキセルをふかしながらこうもり傘を持って踊られた。
 平成七(1997)年、この民謡「キンニャモニャ」にフリがついてキンニャモニャ祭が行われるようになった。以来、思い思いに趣向を凝らしたカラフルな衣装で、しゃもじ両手に1000人もが踊り歩く踊りパレードが行われ、夜には花火大会も開催されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/10/24


中海 nakaumi 

Jp

 中海(なかうみ)は、島根県松江市、安来市、八束郡東出雲町から鳥取県境港市、米子市にまたがる、面積86.2平方km、周囲105kmの天然湖である。
 全国第5位の広さを有する湖で、大山隠岐国立公園と隣接して雄大な景観をつくりだしている。
 幅600mほどの自然の水路により日本海と結ばれた汽水湖のため、海水と淡水の両方の魚が生息しているのが特徴である。
 湖岸には浅瀬やヨシ原が発達し、南には穀倉地帯の米子平野が広がり、西は大橋川を介して宍道湖とつながっている。
 日本有数のガンカモ類の越冬地として知られ、毎年約5万~7万5千羽が越冬する。また、コハクチョウも千羽以上飛来し、列島南限の集団越冬地となっている。
 中海は、豊かな自然に彩られた、渡り鳥が集う景勝地である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/9/25


神魂神社 Kamosu-jinja 

Jp

 神魂(かもす)神社は、島根県松江市大庭町に鎮座する神社で、伊弉奈彌命(いざなみのみこと)を主祭神としている。
 その創建は定かではないが、社伝では天穂日命(あめのほひのみこと)がこの地に降臨して創建したものとされる。文献では承元二(1208)年の「鎌倉将軍下文」に始めて登場する。そうしたことから、実際の創建は平安時代中頃以降と見られている。
 天穂日命の子孫であり、出雲大社の最高位の神官である出雲国造(いずものくにのみやつこ)が二五代まで当社に奉仕したといわれ、近くの、熊野大社、八重垣神社、六所神社とともに意宇(おう)六社の一つに数えられる格式の高い神社でもある。
 柱に正平元(1346)年の墨書がある本殿は、現存する最古の大社造建造物といわれ、国宝に指定されている。
 悠久の歴史と高い格式に彩られ、大きな杉林の中に静かに建つ古社だが、地元では「大庭の大宮さん」として、親しみを込めて呼ばれている神社である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します

keywords :


2008/9/10


一夜嶽牛突大会 Ichigayadake-ushitsuki-taikai 

Jp

 日本の闘牛は全国五地域でしか行われていない。そのひとつ、島根県隠岐の島町に伝わる闘牛は「牛突き(うしづき)」と呼ばれる。島では年に三回の本大会が開催されるが、その千秋楽を飾るのが毎年一〇月一三日の「一夜嶽(いちやだけ)牛突大会」である。隠岐闘牛独特の絢爛豪華な土俵入りが披露される。
 隠岐の牛突きは、承久(じょうきゅう)の乱に敗れ隠岐に流された後鳥羽(ごとば)上皇を、島民が慰めるために始めたのが起源とされ、七百年以上の歴史を持つ。隠岐では、子牛のときから角を内側へ矯正するなどして格闘専用に飼育される。また、牛に綱を付けて突かせるのが特徴で、上皇の御前で突かせたため、万一に備えて綱を付けた名残といわれている。
 勝敗を握る綱取り男の厳しいかけ声に、八百キロ~一トンもの巨体がぶつかり合う。鋭く削った角で突き合い、血を流しながらの勝負が数十分、時には一時間にも及ぶ。一方の牛が悲鳴を上げて逃げ出した瞬間に勝敗が決する。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/9/2


ローソク島 Rousoku-jima 

Jp

 隠岐島後(どうご)の北西に位置する代(しろ)海岸の沖合いに、「ローソク島」という小島がある。高さ20mの奇岩で、形状はまさにロウソクそのもの。土台となる岩礁はロウソクの燭台のようであり、頭頂部に突き出た岩はロウソクの芯にそっくりだ。しかも、岩の先端に夕陽が重なると、まるで一本の巨大なロウソクに火を灯したように輝きを放つ。
 火を灯したローソク島を見るには、福浦港を出航するローソク島遊覧船に乗ればいい。夕陽が落ちるタイミングに合わせて、最適なポイントを選んでくれる。日本海の荒波に浮かぶドラマチックな光景は息をのむほど美しく、深く心に刻み込まれる。陸上から島を間近に見られるよう、ローソク島展望台も設けられている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/6/26


津和野城址 Tsuwano-joushi 

Jp

 島根県の「津和野城址(つわのじょうし)」は、津和野盆地の南西部に位置する標高367mの山上の山城址である。
 津和野城としての築城は古く、元寇襲来の後、沿岸防備の為に弘安五(1282)年、吉見頼行が地頭として赴任し、永仁三(1295)年から築き始めた。当初は三本松城と呼ばれており、正中元(1324)年に完成した。その後、一四代に亘って吉見家が居城していた。
 戦国時代から江戸時代にかけて幾度か城主が変わるが、元和三(1617)年に亀井政矩が入城すると亀井家が明治まで一一代続く。
 津和野城は、長州に対する目付役として監視をしていたので、戦国時代の城郭形式が江戸時代もそのまま使われ、石垣もそのまま残っている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/6/10


松江姉様 Matsue-anesama-ningyou 

Jp

 松江姉様(まつえあねさま)は、島根県松江市に伝わる伝統民芸品である。
 江戸時代、松江藩の御殿女中(ごてんじょちゅう)が作り始めたもので、江戸から伝わった姉様人形の一つといわれる。
 姉様人形とは、江戸時代に普及した和紙と千代紙で造られた優雅な人形で、裕福な武家や商家の子女に大切にされた。
 昭和一〇(1935)年頃までは子供や娘たちの日常の遊び用玩具であったが、今日では郷愁を誘う民芸品となっている。
 普通、姉様人形は顔を略したものが多いのだが、松江の人形はおちょぼ口で目が細く、頬をほんのり赤く染めている。
 衣装は赤と緑の二色であるが、単純化された中にもきらびやかさ、あでやかさがある。
 松江姉様は、小泉八雲(こいずみやくも)も愛好したという、日本的で気品のある三姉妹の紙人形である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




母里焼 Mori-yaki 

Jp

 母里焼(もりやき)は、島根県安来市伯太町東母里で伝えらる工芸品である。また、県の伝統工芸品に指定されている。
 幕末の弘化元(1844)年に、松江藩の分藩・母里藩の産業・文化事業として始められた。
 嘉永三(1850)年、豊岡に窯が移され豊岡焼といわれた。この豊岡焼から分れて明治二二(1889)年、稲垣茂平(いながきもへい)、利市父子(りいちふし)が登り窯を築いたのが現在の母里焼の始まりとされる。
 特徴は色の豊富さで代々伝わる色は、合計すると約30種類もの釉薬を使用する。
 粘土から松割木まで、全工程を全て手作業で行うため、窯出しは年に1回のみであり、非常に貴重なものとなっている。
 母里焼は今なお、捏鉢(つくねはち)や漬物鉢・食器類などの日用品を焼成している民芸陶器である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数74件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter