NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/11/25


大仙陵古墳 daisenryo-kohun 

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 大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)とは、大阪府大仙町にある日本最大の前方後円墳である。上空から見ると円と四角が合体した形をしていて、これは日本独自の形である。
 正式には百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)と呼ばれ、仁徳陵古墳として宮内庁が管理している。
 この古墳は、五世紀中頃、約二〇年の歳月をかけて築造されたと推定される。墳丘は全長約486メートルあり、後円部の径は約249メートル、高さ約35メートル、また前方部の幅は約305メートルで高さ約33メートルの三段築成となっている。
 外を廻る三重の外濠は、明治時代に掘り直されたものである。全周は2.8キロメートルで、現在は周遊路として整備されている。
 墳丘には、古墳の盛り土の上を覆うため敷きつめられた葺石(ふきいし)があり、巫女や水鳥、犬、馬、などの埴輪が出土している。
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2008/11/14


南下古墳群 nanka-kohun-gun 

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 南下(みなみしも)古墳群は、群馬県の赤城山と榛名山の南の麓、利根川の西に位置する古墳群である。
 かつては四〇基を超える大規模な古墳群であったが、現在は九基が現存するのみとなっており、そのうちの五基の古墳に「A号」から「E号」まで名付けられている。
 五基の古墳のいずれも築造時期は古墳時代後期と考えられ、それぞれ石室の形状や使用している石に違いがある。
 その中で「A号」と「E号」の造りには共通点も多く、ともに榛名山の噴火時に噴き出した軽石を用いており、玄室壁面に石材加工の際の作業線とみられる赤い線を残している。これは古墳時代の設計技術をあらわした全国的にもほとんど例のない希少なものである。
 また古墳群のすぐ東には上野国三宮(こうずけのくにさんのみや)神社という古くから続く神社があり、近くには古墳時代から古代にかけての集落遺跡も多いことから、それぞれが密接な関係にあったのではと推測されている。
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2008/10/2


南方古墳群 Minamikata-kofun-gun 

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 南方古墳群は宮崎県延岡市にある古墳。水郷の市といわれる延岡市の代表的な川「五カ瀬川」の流域に存在する。国の指定史跡である。
 古墳時代、3世紀から4世紀にかけて作られたものと考えられている。延岡市では県の史跡指定も含め120基ほどの古墳が確認されている。
 古墳には「前方後円墳」「円墳」「方墳」など様々な形が存在する。「南方古墳群24号」では、前方後円墳で「横穴式石室」を有しているのが特徴である。また「37号」では、墳丘はないものの、家形石棺が露出している市内では唯一の古墳である。
 延岡城のそばにある「内藤記念館」では南方古墳群の出土品が展示されている。
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2008/9/5


正法寺古墳 Shoubouji-kofun 

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 正法寺(しょうぼうじ)古墳は、正法寺裏山にある西三河地方最大の前方後円墳で、全長が95メートルほどあり、保存状態がよい墳丘として知られる。昭和一一(1936)年に国の史跡に指定されている。
 三段に築かれた墳丘斜面には葺石(ふきいし)が敷き詰められ、各段には円筒埴輪が並べられていたようである。三河湾に面した構造であることや、整った形の古墳であることから、この古墳に葬られた人は畿内政権と関係の深い有力者だと推定される。出土品である円筒埴輪や墳丘の形態から、古墳時代の中期に築かれたものと考えられている。
 古墳周辺は現在、公園として整備されている。春には桜の名所として知られ、開花時期には多くのお花見客で賑わう。
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2008/6/10


須曽蝦夷穴古墳 Susoezoana-kofun 

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 波穏やかな七尾湾に囲まれた石川県能登島。その能登島の高台にあるのが須曽蝦夷穴古墳(すそえぞあなこふん)である。
 古墳に附随する前室から出土した土器や直刀片などから、作られたのは七世紀の中頃、古墳時代末期と見られている。
 一辺が20m弱の四角い墳丘を持ち、そこに二基一対の石積みの横穴式石室様の慕室が設けられている。
 石積みの技法に、付近の海岸から運んだと思われる安山岩板石を用いてドーム型の慕室を作る角三角持送(すみさんかくもちおくり)技法が用いられていることや、石室が二つあることなど、当時の朝鮮半島の高句麗式の古墳に通じる点も多く、全国的に見ても珍しい遺構である。
 また、古墳そのものの建造が少なくなったころにしては、比較的規模が大きいこともその特色として知られている。
 昭和五六(1981)年には、国の史跡にも指定されており、古墳のある高台からの七尾南湾の眺望の良さも特色のひとつと言えるだろう。
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2008/5/12


天理市 伊射奈岐神社 Tenri-si Izanagi-jinja 

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 奈良県天理市の柳本町(やなぎもとちょう)には、全長二四〇メートルもある、大和朝廷の創始者といわれる第一〇代崇神天皇陵の壮大な前方後円墳がある。この古墳から国道を挟んだ向かい側にあるのが、「伊射奈岐神社(いざなぎじんじゃ)」である。
 この神社は天神山に鎮座し、ご祭神は、伊邪那岐神(いざなぎのみこと)と菅原道真(すがわらのみちざね)である。
 境内にある拝殿や本殿は小さいが、社域の木々が大きく、静かな古社のたたずまいをみせている。
 その他、境内には天満宮でおなじみの牛の像や、天満宮の文字が刻まれた石灯籠がある。もともと伊射奈岐神社は別の場所に鎮座していたのが、天満宮に合祀され、明治になり天満宮から社名を伊射奈岐神社と改めたようである。
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2008/3/24


亀塚古墳 Kameduka-kofun Kamezuka Tomb

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 亀塚古墳(かめづかこふん)は、大分県大分市坂の市の町を流れる丹生(にゆう)川河口近くの左岸に位置する、丹生台地の東端にある古墳だ。
 前方部を南に向ける前方後円墳で、古墳時代中期の五世紀前半に築かれたものとされる。また、周辺には別な古墳もいくつかあり、一帯は亀塚古墳群としても認知されつつある。
 墳丘は三段に築成され、全長は一二〇m、後円部径六四mを誇り、県下最大の前方後円墳として知られている。
 地域一帯は、古くは豊後水道で縦横に船を操り活躍した海部民(あまべのたみ)の支配地域であったとされ、その首長が埋葬されていたと考えられている。
 平成八(1996)年に国の史跡に指定、同時に発掘調査も開始され、まが玉や土器、ガラス玉、剣、方位磁石など百五〇点以上の出土品があった。
 調査後は公園としての整備が進められ、円筒埴輪がめぐらされるなど、古墳も往時を髣髴とさせる姿へと復元され、人々の憩いの場所になっている。
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雨の宮古墳群 Amenomiya-kofungun 

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 雨の宮古墳群(あめのみやこふんぐん)は、石川県鹿島郡中能登町にある眉丈山(びじょうざん)の山頂を中心にして造られた、三六基の古墳からなる古墳群である。
 標高188mの山の尾根筋に沿って造られており、古墳時代にあたる四世紀中頃から五世紀のはじめのものと見られている。
 どれも、古墳が作られた時代に能登地方を治めていた豪族のものと考えられている。
 山頂の雷ヶ峰には墳丘長64mを誇る一号墳があり、前方後方墳としては県内はもとより北陸地方でも最大規模のものである。また、すぐ近くには前方後円墳である二号墳がある。
 その一号墳からは神獣鏡(しんじゅうきょう)や石釧(いしくしろ)、車輪石(しゃりんせき)等の装飾品や玉類・短甲・刀剣類が出土しており、重要な文化財であることから昭和五七(1982)年に国指定史跡に指定された。
 平成四年から五年に渡り発掘調査が実施され、同時に葺き石などを施して整備された事で周囲の見晴らしも良く、山頂付近からの鹿島の町並みも楽しめる。
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