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2008/7/11


古樺細工 Furukaba-saiku 

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 古樺細工(ふるかばさいく)とは、秋田県仙北市角館町に伝わる伝統民芸である。県の有形民俗文化財に指定されている。
 樺細工は、天明年間(1781~89年)に佐竹北家により、秋田県北部から角館に技法が伝えられたのが始まりとされる。
 佐竹北家の城主に手厚く保護を受けた樺細工は、下級武士の副業として広まり、明治時代に入ると禄を失った武士が本格的に取り組み、盛んとなった。
 樺細工はヤマザクラの木の皮を用いて作られる、国内では他に見る事のできないもので、あめ皮、ちらし皮、ひび皮等12種類の木の皮を使用し、用途に応じて使い分けられている。また、仕上げられた作品に同一の物はない。
 藩政期の古樺細工12点は県指定有形民俗文化財であり、角館樺細工伝承館にて展示されている。
 古樺細工は、郷土に伝わる貴重な伝統工芸品である。
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2008/6/6


八幡馬 Yawatauma 

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 八戸をはじめ南部地方に伝わる、木彫り馬の郷土玩具が「八幡馬(やわたうま)」といわれる。仙台の「木ノ下駒」、福島の「三春駒」と共に日本三駒と呼ばれている。
 八幡(やわた)の一ノ宮である櫛引八幡宮(くしひきはちまんぐう)で、年に一度「流鏑馬」の祭礼が行われた際、参詣者のお土産として境内で売り始めたのが、約七百年前だと言われている。
 もともとは、農家の人たちが農閑期に副業として、八幡馬を作り始めたのが始まりとされる。当時は、親子馬が乗る台に四つ車がついており、引いて遊べる男の子用のおもちゃも売っていたという。
 胴体は、黒(鹿毛)・赤(栗毛)・白(芦毛)などの原色を使って鮮明に彩られており、馬の模様は八戸名産である「食用菊」や、八戸の名所である「蕪島(かぶしま)のうみねこ」などが使われており、八戸の特色を馬体に表しているという。昔から変わらず、ひとつひとつ丁寧に手作業で作られている。
 八幡馬は縁起物として、また記念品やお祝いの品として幅広く知られている。
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2008/5/15


甲州だるま Kousyuu-daruma 

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 甲州だるまは山梨県甲府地方の伝統工芸品で、大神宮祭・十日市などの縁日で招福・厄除けの縁起物として売られ、一般的な赤だるまのほかに数種類ある。
 江戸時代初期に地元の武井八衛門(たけいはちえもん)という人物が、武田信玄の顔を模して作り始めたのが、はじまりと伝えられている。農家の副業として発達し、かつては十数人の職人がいたが、今では製作者は市内に一人だけという。
 柳や桜の木型に和紙を幾重にも張り付けし、重しを乗せ赤や白の塗料を塗り重ね、最後に面描きをして数日間乾燥させる。完成まで二〇以上の工程を要し、製作にはおよそ一ヵ月かかる。
 四百年の伝統に培われた気品と風格はまさに天下一で、顔面の彫りが深く鼻が高いのが特徴。目玉を下まぶた寄りに書き入れるため、神棚に祀ったとき、拝む人と目が合うように見えることから、「下見だるま」とも呼ばれる。
 豊作を願う白だるま、子孫繁栄を願う親子だるまといった、この地方特有の珍しいものもある。
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日永うちわ Hinaga-uchiwa 

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 「日永(ひなが)うちわ」は、農家の副業として作り始められ、江戸時代には東海道日永宿で伊勢参りの土産品として売られ親しまれたという。明治時代中期までは、十数の製造業者が軒を並べる盛況ぶりで、京うちわと共に全国にその名を轟かせたとされる。しかし、鉄道が開通すると宿場はさびれ、次第に衰退して行った。現在も営んでいるのは一軒しかないといわれている。
 特徴は、女竹(めだけ)の丸竹を使用するため、握りやすいところにある。また、骨の数が六四本と多く、柄と骨が一体となった丈夫な作りのため、弾力性があってよくしなり、柔らかな風が起こる。
 製作工程は手が込んでおり、その工程数は実に二〇以上にも及ぶという。三年物の女竹を切り落とし、一昼夜水に漬け六四本に割る。糸で等間隔に編んで、うちわの形を作り美濃紙を張る。絵柄は、木版画の手法で刷られた美人画や富士山、伊勢神宮が多い。
 最近は、伊勢型紙の技法を用いた透かし絵や、松阪木綿を素材に用いた製品を開発し、人気を博しているという。
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2008/3/7


木ノ下駒 Kinoshita-goma Kinoshita-koma Wooden Horse Toys

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 宮城県の木ノ下駒(きのしたこま)は、青森の八幡駒・福島の三春駒と並び、日本三駒と称される馬の形をした玩具である。
 平安時代、馬は兵役や農耕には欠かせない大事な動物であった。当時、東北地方は馬の名産地でもあり、この地方の国府長官は朝廷の行事である「駒牽(こまひき)」の際には、必ず当地の馬を献上していたという。献上馬の首には、馬の形に作られた小さな木型が付けられていた。それをまねて作られたのが木ノ下駒の始まりと言われている。
 木ノ下駒は、陸奥国分寺薬師堂や白山神社の祭礼で馬の守護神・厄除けのお守りとして売られていた。その後、参拝者のおみやげとして人気を博すようになり、農閉期になると農家の貴重な副業となったという。
 木ノ下駒はすべて手造りで、その可愛らしい形からおみやげとして重宝され、全国に知れわたるようになったといわれる。
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2007/10/9


井川メンパ Igawa-menpa Ikawa Menpa

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 井川メンパ(いがわめんぱ)は、静岡県静岡市井川に伝わる伝統工芸品である。
 メンパというのは、山仕事に愛用された弁当箱の事で、今でも山の必需品として多くのファンに支持されている。
 井川メンパの特徴は、天然漆の美しい光沢と、詰めた食べ物が冬暖かく夏は腐らない事で、メンパに詰められたご飯を食べれば、現代的な弁当箱にはない、ほのぼのとしたおいしさを味わう事が出来る。
 起源は定かではないが、鎌倉時代から作られていたと言われている。室町期に井川は金山で栄え、そのために水替えの杓や曲桶の需要があったため、曲物の技術が修練された。のちに農家の副業として販売されるようになったとされている。
 井川メンパは、全て国内産天然ひのき材、本漆仕上げで作られた、伝統の弁当箱である。
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2007/7/4


養蚕民家 Yousan-minka 

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 あまり知られていない事だが、北海道の東旭川町は、明治末期から大正初期にかけて全道屈指の養蚕地区として知られていた。この頃の養蚕民家(ようさんみんか)を復元したのが、東旭川町瑞穂にある「旧松浦家住宅」である。
 開墾前から野生の桑が多く生息し、養蚕に適していた東旭川町。明治三十四(1901)年頃から、養蚕が盛んであった福島県大田村周辺から団体入植が行われ、副業として大きく発展した。最盛期の大正八(1919)年には310戸にも及んだという。
 旧松浦家住宅は現存する唯一の養蚕民家であり、郷里福島の養蚕民家を模して復元されたものである。
 茅葺の屋根は「片あずま」と呼ばれる大胆なデザインで、寄棟屋根の一部を切り落とし、そこに開口部を設けた造りとなっている。
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2007/5/2


岡本焼 Okamoto-yaki 

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 香川県の岡本焼は、古くから農家の副業として焼かれてきた素朴な焼き物である。この豊中町岡本地区では、近くで良質の粘土が採れる。
 もともと自分たちが日常につかう土鍋や鍋、豆炒り瓦など生活雑器が中心で、俗に「ほうろく」といわれる800度から900度で低温焼成されたうす赤茶のあたたかい色味の土器である。
 かつては、「ほうろく売り」と呼ばれた行商人が、製品を荷車に積み、雲辺寺山を越えて、遠く徳島まで売り歩いた。
 讃岐の醤油豆を煎るのにつかう「おくどさん」やほうろく焼に使う広くて浅い皿。
 明るくのんびりとした姿は、まるで瀬戸内の穏やかな日差しの中にいるような印象である。
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