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2007/10/15


栗林公園 掬月亭 Ritsurinkouen Kikugetsu-tei Kikugetsutei Tea House in Ritsurin Park

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 香川県高松市にある掬月亭(きくげつてい)は、廻遊式庭園として有名な栗林公園(りつりんこうえん)内に造られた由緒ある茶室である。
 公園は寛永二(1625)年頃に讃岐領主・生駒高俊(いこまたかとし)によって造成され、その後、江戸時代に藩主となった松平家によって完成された。
 掬月亭は江戸時代初期の頃に建てられたものであり、松平家が愛用した大茶屋である。建築様式は数寄屋風書院造りの建物で、池を中心として構成されている庭園の象徴的建物となっている。その優雅な姿は池の水面と見事なほどに融合している。また、背景に聳え立つ紫雲山(しうんざん)とも見事なコントラストを描きだし、見る者を幻想の世界へと誘う。
 明治八(1875)年に県立公園となり一般に開放され、現在では、毎月第二日曜日に掬月亭での茶会が催されている。
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栗林公園 Rinritsu-kouen Ritsurin Park

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 栗林公園(りつりんこうえん)は香川県高松市にある、国指定特別名勝としては最大の公園である。
 寛永二(1625)年頃に讃岐領主・生駒高俊(いこまたかとし)によって造成され、寛永一九(1642)年に藩主となった松平頼重(よりしげ)が改築、以後松平家五代約一〇〇年をかけて完成された。
 公園は豊富な湧き水を利用している。池を中心にまとまりのある配置がなされた庭園空間を、順々に巡って観賞するタイプの廻遊式庭園である。これは非常に珍しいものである。
 また、背景に広がる紫雲山(しうんざん)と、見事なコントラストを描きだしている。周りを堀で囲んでいるのも大きな特徴である。
 明治八(1875)年に県立公園となり一般に開放されるようになった。
 現在では、歴代藩主が愛用した大茶屋「掬月亭(きくげつてい)」での茶会や庭園コンサートが開催され、秋には公園がライトアップされる。
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2007/10/1


松平東照宮 Matsudaira-toushou-guu Toshogu Shrine in Matsudaira

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 徳川家康を祀る神社のことを「東照宮(とうしょうぐう)」といい、幕府によって建立された日光、久能山などをはじめ、徳川氏に臣従した大名家が競って各地に建立したため、一時は全国に五〇〇社を超える東照宮があったとされる。明治に入り廃社や合祀が相次ぐにつれ、その数は減っていき、現存するのは約一三〇社とされる。
 市街地から離れた山村、松平町にある松平東照宮(まつだいらとうしょうぐう)はその現存する社のひとつである。松平郷領主、松平親氏(ちかうじ)が祀られているという。親氏は信仰と慈悲の心が深かったといわれており、領内に菩提寺となる高月院を初めとした、多くの寺社仏閣を建立した人物である。
 大正時代まで松平家が住んだとされ、境内には屋敷跡や徳川家康産湯の古い井戸跡などの史跡がある。また、敷地全体が松平家の屋敷跡であるため、神社の周りの石垣や濠が、当時の趣を感じさせてくれる。
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幸田町 本光寺 Kouta-cho Honkou-ji Honkoji Temple in Koda Town

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 本光寺(ほんこうじ)は愛知県額田郡幸田町、JR東海道線三ヶ根駅から東へ徒歩10分ぐらいの場所にあるお寺。正式名は曹洞宗瑞雲山本光寺である。
 開基は三河十四松平の一つ、深溝松平の初代である松平忠定公で松平家の菩提寺でもある。特にこの寺はアジサイでも有名で、別名「アジサイ寺」とも呼ばれている。
 その、アジサイの咲きほこる参道を進むと、右手に古めかしい小さな鎮守社があり、朱塗りの山門(薬井門)に出会う。山門をくぐると左手が西廟所、右手が東廟所で、どちらも松平家の霊廟である。
 山手の奥には方丈風で横に長い本堂の建物がある。軒下には松平忠利公が厄災消除のため作らせた、金銀銅をとりまぜ鋳造された梵鐘がつるされている。
 本尊は釈迦如来、脇侍である地蔵菩薩と千手観音菩薩は運慶の作と言われている。
 アジサイだけでなく、梅や椿も美しい寺である。
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2007/9/14


高月院 Kougetsu-in Kogetsuin Temple

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 高月院(こうげついん)は、徳川家の始祖松平親氏(ちかうじ)、泰親(やすちか)の菩提寺として知られる。境内にある松平家墓所は、周囲を石製の塀で囲んでおり、葵の紋が刻まれた扉がつけられ、中央に親氏、そして泰親、親忠夫人の墓が並んでいる。
 高月院はもともと「寂静寺(じゃくじょうじ)」ともいい、貞治六(1367)年に足助重政(あすけしげまさ)が、親氏の妻の父親である在原信重の援護を受けて建立した。永和三(1377)年、松平親氏が本尊阿弥陀仏をはじめ、堂・塔を寄進してから「高月院」と改め、松平氏の菩提寺となった。
 その後、慶長七(1602)年、徳川家康によって寺領百石が与えられた。寛永一八(1641)年、三代将軍家光により山門や本堂が再建され、明治維新まで徳川将軍から厚い保護を受けてきた寺である。
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2007/8/9


信光明寺 Shinkoumyou-ji Shinkomyoji Temple

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 信光明寺(しんこうみょうじ)は、愛知県岡崎市岩津町東山にある浄土宗の寺である。本尊は、釈迦如来。
 宝徳三(1451)年、松平家3代信光が浄土宗鎮西派の釈誉存冏(しゃくよぞんげい)に帰依、創建された。
 境内にある観音堂は、文明一〇(1478)年に建てられたもので、屋根の軒先の反りの深さ、総門の屋根にあがっている鬼瓦などに、室町中期の禅宗的趣味がよく表されており、国指定の重要文化財となっている。
 江戸時代には、将軍家の先祖菩提寺として幕府により篤く庇護され、諸堂の焼失などの際にも修復費用が捻出されている。
 この寺には文化財も多く、室町時代の山越阿弥陀如来像、南北朝時代の雲中阿弥陀如来像などが存在している。
 信光明寺は、徳川家の先祖・松平家の菩提寺として有名な長い歴史を誇る寺院である。
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2007/2/20


杵築城 Kitsuki-jyo 

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 杵築城は、大分県杵築市杵築にあった城である。
 明徳4(1393)年、杵築城は、大友氏の一族である木付頼直によって築かれた。
 天正14(1584)年、島津家久の大軍が攻め寄せるが、籠城の末に耐えて、勝利を得る。
 豊臣秀吉によって大友義統が改易されると、木村氏も杵築城から追い出され、後に滅亡した。その後、次々と城主が入れ替わる。
 正保2(1645)年、松平英親が入城し、以後は明治維新まで松平家の居城となった。
 明治4(1871)年、廃藩置県により、廃城となる。
 杵築城は、八坂川河口の台山に築かれており、三方を海と川に囲まれる天然の要害であった。
 現在、城跡は公園になっており、本丸跡に復興天守閣が建つ。
 杵築城は、戦乱に揺れた昔を偲ばせる、堅牢な城である。
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杵築雛 Kitsuki-hiina 

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 杵築雛(きつきひいな)は、大分県杵築市にて大切に保管されているひな人形達の事である。
 この地ではなぜか、雛を「ひいな」と呼ぶ。この言葉には、雅言葉独特の美しさが感じられる。
 毎年、ひな祭りの季節になると、藩主松平家ゆかりの古今びなや、「きつき城下町資料館」のひな、「杵築ふるさと産業館」の愛らしい竹ひな、商人の雛人形、地元婦人会の手作りびななど、多彩な雛人形が公開される。
 250年前の雛人形から現代風雛人形まで20数か所の家で展示され、座敷に上がって鑑賞することが出来る。
 また期間中、特別に用意される特産のカキを使ったカキ焼き、ひいな膳・ひいな弁当なども、訪れる者の舌を楽しませてくれる。
 杵築ひいなは、見ているだけで豊かな気持ちになる人形である。
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