前橋城跡 Maebashi-jyou-ato Maebashi Castle Ruins
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前橋城の前身は、厩橋(まやばし)城。箕輪城主、長野氏の一族である長野賢忠が戦国時代、天文三(1534)年に築いたとされる。
前橋城は、戦国時代から江戸時代にかけて、北関東の要所として戦国群雄の争奪戦が繰り広げられた城である。天文二十(1551)年、上杉氏が北条氏に敗れたことにより、上州は北条氏の配下となり、厩橋城も北条氏のものとなる。
その後永禄三(1560)年、権力奪回を窺っていた上杉謙信が厩橋城を攻め落とした。
以降、甲斐の武田氏、織田信長、北条氏、平岩氏、酒井氏と、城主が目まぐるしく変わるこの厩橋城が「前橋城」と名を変えたのは、慶長六(1601)年、酒井重忠の代に城を大改修して近世城郭を築き上げたときのこと。酒井氏の代は9代、150年続いたが寛永二(1749)年に姫路へ転封、代わりに松平氏が17万石で入封、明治維新を迎えた。
前橋城は、戦国時代から江戸時代にかけて、北関東の要所として戦国群雄の争奪戦が繰り広げられた城である。天文二十(1551)年、上杉氏が北条氏に敗れたことにより、上州は北条氏の配下となり、厩橋城も北条氏のものとなる。
その後永禄三(1560)年、権力奪回を窺っていた上杉謙信が厩橋城を攻め落とした。
以降、甲斐の武田氏、織田信長、北条氏、平岩氏、酒井氏と、城主が目まぐるしく変わるこの厩橋城が「前橋城」と名を変えたのは、慶長六(1601)年、酒井重忠の代に城を大改修して近世城郭を築き上げたときのこと。酒井氏の代は9代、150年続いたが寛永二(1749)年に姫路へ転封、代わりに松平氏が17万石で入封、明治維新を迎えた。
- 住所
- 371-0026 群馬県前橋市大手町
- 名前
- 前橋城跡