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大磯宿(おおいそじゅく)は、東海道五十三次の宿場のひとつ。現在の神奈川県中郡大磯町にあった。
江戸時代に徳川家康が宿場制度を成立、日本橋から京都までの幹線道路として東海道を整備した際に53箇所敷設した宿場のうち、大磯宿は日本橋から8番目の宿場として作られた。
日本橋からは66kmの距離にあり、もし徒歩なら16時間ほどかかることになる。大磯宿は、両隣の平塚宿と小田原宿の間が東海道でも有数の近距離になるため、宿泊者が少なかったようである。
現在、宿場町としての名残をとどめるものは数少ないが、山王町の旧東海道と国道1号の松並木は往時を偲ばせる。旧東海道の「化粧坂(けわいざか)」付近の風景は、安藤広重が浮世絵「東海道五十三次・大磯虎ヶ雨」に残している。
江戸時代に徳川家康が宿場制度を成立、日本橋から京都までの幹線道路として東海道を整備した際に53箇所敷設した宿場のうち、大磯宿は日本橋から8番目の宿場として作られた。
日本橋からは66kmの距離にあり、もし徒歩なら16時間ほどかかることになる。大磯宿は、両隣の平塚宿と小田原宿の間が東海道でも有数の近距離になるため、宿泊者が少なかったようである。
現在、宿場町としての名残をとどめるものは数少ないが、山王町の旧東海道と国道1号の松並木は往時を偲ばせる。旧東海道の「化粧坂(けわいざか)」付近の風景は、安藤広重が浮世絵「東海道五十三次・大磯虎ヶ雨」に残している。
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